第六章 きんいろのうた


 真っ白な光が爆発して、ドォン、と音がして地面が揺れる。
 爆風がすぎると、ビカラの方陣を守っていた兵が次々に倒れていた。
 その向こうに立つアスラの姿。遠くに燃える砦を背にするその姿は、まるで鬼神のようであった。
 ビカラがその名を呼ぶのを、ゾラが忌々しそうに見た。
「待っていたよ」
 あと数歩の距離まで近づいてきたアスラに、ビカラは告げた。
「あとほんの少しで『扉』が開く。その前にアスラに会っておきたかった」
「あたしは、あんたを止めにきたんだよ」
 アスラの表情は硬い。ビカラはため息をついた。
「僕を殺すつもりなのか」
「……場合によっては」
 ビカラは顔を曇らせた。
「これは、僕と君のためだ。何故君が反対するのか、わからないよ」
「あたしはこの世界を見殺しにできない」
 アスラが言う。ビカラは首を振った。
「僕は、この世界より、君の方が大切だ。こんな世界のために、自分の存在を無駄に終わらせることはないだろう」
 アスラはうつむいた。炎の燃えている方角から、ぬるい風が吹いてくる。
「仲直りをしよう。最後くらい、一緒にいたい」
 ビカラは手を差し伸べた。あの、ザーラークシャの時にしたように。
 アスラは首を振った。
「いやだ」
「お願いだよ」
 なおも、ビカラは手を差し伸べる。
「君が僕を拒んだら、僕は独りになってしまうよ。僕と君は、最初っから二人きりだったじゃないか」
「ビカラ、よく考えて。あたしたちは、もともと、この世界には必要なかったんだ」
「そんなことない!」
 叫んで、ビカラはアスラを抱きしめた。めいっぱいの力で。
「アスラは、一番大切なんだ……」
 泣きそうな声で、呟く。
 それを聞いたアスラも、また泣きそうになっていた。
「あたしも、ビカラが大切だよ。でも……」
 アスラはビカラから身を離す。
「二人でこのまま消えてしまうのが、一番いいんだ。あと少し待てば、あたし達はもともといなかったことになる」
「そんなことは許さない!」
 ビカラは涙を流していた。
「それじゃあ、あたしはあんたを殺すしかない」
 アスラが、体勢を変える。ビカラは涙を流したまま、立っていた。
 そこへ。
 ドン、と音がして目の前に光の壁が現れ、アスラを跳ね飛ばした。見ると、砂でかかれた方陣を囲むようにして光の壁が空へ向かって聳え立っている。
「ゾラか!」
 見ると、ゾラが壁の外にいて、アスラを見ていた。
「『扉』を開く邪魔はさせませぬ。たとえ、どのような理由であろうと」
 ゾラはアスラに告げ、そしてビカラに言った。
「『祈り』をお続けになってください。その間、このゾラが長き間練った技でアスラ様を止めてみせましょう」
「……わかった」
 ビカラは涙をぬぐって方陣の真ん中へと進んだ。そしてその真ん中にまた座る。アスラはギリ、と歯を噛んでビカラを睨んだ。
「アスラ様は『鎖』の一人。力でこそ敵わないでしょうが、私も六十年余り聖者を務める身。長きに渡って浴びた聖水と、練りつづけ、極めた私の技。簡単にやぶれますかな」
 そう言ってゾラは青白い皺だらけの顔をゆがめて笑った。


「あなたが、『テンレン』殿だったのですか」
 シュカは少し驚いたような声色で、そう言った。
「先ほどは遠目でよくわかりませんでした。まさか、イヴァン殿だったとは。あなたがたがマリオラと呼んでいる――かつて聖者だったライラ殿の、兄上ですよね」
「いかにも」
 サラムが振り返ってテンレンを見る。はじめて見たときにマリオラに似ている、と思ったのは間違ってはいなかったのだ。ごしごしと涙をぬぐって、サラムはまじまじとテンレンを見た。
「なるほど。そういうことでしたか」
 シュカは納得している。
「マリオラのお兄さんだったの」
 サラムが聞くと、テンレンは「ええ」と短く答えた。
「その方は、今私が務めている聖者の地位につくはずの方だったんですよ。……これは厄介なことになりましたね」
 ざわ、と風が通っていった。
 シュカの後ろの兵士達が臨戦態勢をとる。ぴりぴりとした空気が張り詰めているのが、サラムでもわかった。
 テンレンが一歩、前に進み出た。
「『扉』が開けば、何が起こるかあなたならわかるはずです」
「もちろんです」
 シュカは頷いた。
「たった二人のために、全てを無に帰してもよいと、言うのですか」
 シュカの口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。
「さすがイヴァン殿。聖都を支えていた名家の方は仰ることも的を射ている」
 テンレンとマリオラの一族は、聖都ができたころから、それを支えてきた一族だった。財の面からも、政の面からも。そして時には、その一族から聖者になる者さえあった。
 マリオラ――当時はライラという名前であった――は幼き日より、その非凡な才能を見せていた。七歳で聖典を全て暗唱することができ、神に捧げる聖歌を天使のような声で歌う。ある種の天才であった。
 その天から授かった歌声と、人々を癒すその人柄で、当時空いていた聖者の席に異例の大抜擢をされたのが十五歳の時。その時にはじめて、彼女は『鎖』というプロジェクトのことを知る。それまでは聖典に書かれている、「最後には全てが神の胎内へと還っていく」という言葉を知るのみだった。
 同じ頃テンレン――当時の名はイヴァン――は第一軍に入隊し、厳しい訓練を積んでいた。その頃『死神』と呼ばれていたのがザーラークシャの人々の記憶にも新しい、マドという男である。彼は第一軍の聖者を務めるには、そろそろ老いてきた頃であり、後継者を求めていた。そういった状況の中で、イヴァンは妹に続き聖者になることを夢見ていた。
周りからは、聖都ではじめて兄妹の聖者が誕生するのか、とまことしやかに囁かれていた。
 そうこうしているうちに、イヴァンは妹のライラから『鎖』プロジェクトのことを聞いた。もちろん、そのプロジェクトのことは当時最上部の人間しか知らない極秘情報であったわけだが、心を痛めた彼女は、その内容を誰かに話さずにはいられなかった。そして、最も信頼のおける兄にその全容を告げた。
 しばらくしてイヴァンは聖都から姿を消した。名前を変え、ザーラークシャへと渡った。
 ライラは『鎖』が誕生する最後の最後まで、聖都で一人抵抗を続けた。極秘だった情報を聖都全体に暴露し、反対運動を募った。その度にゾラを含む当時の聖者たちが集会を開き、『鎖』の必要性について聖典を引用して延々と説いたのであった。
 ライラを追放しようにも、彼女の厚い人望のせいでできない。聖都が始まって以来の混乱の時期であった。
 そして、『鎖』が予定通りに誕生し。
 喜びに湧きかえる聖都から、ライラは数人の同志を連れて姿を消した。

「『鎖』プロジェクトに対して、罪の意識に苛まれているのはあなただけではありません」
 テンレンが言った。
「『鎖』を作り出したのは、我々人間の『神』というものに対する信仰心と、自らの存在に対する罪の意識です。そしてそれによって、大きな過ちを犯そうとしている。あなたにはわかっているのではないですか」
 テンレンの声は凛として響き渡った。
「そこをどいてください。サラム君を『扉』まで連れて行きます」
 もう一歩、テンレンは前に進み出た。シュカの後ろの兵士達の身体に緊張が走る。
「お断りします」
 シュカが首を振った。白金色の髪がゆらゆらと揺れる。苦しそうな表情をしていた。
「……たとえ何が正しかろうと、私は、アスラ様とビカラ様を救いたいのです。これはあのお二人に対する罪の意識ではなく、単なる私個人の感情なのです。私はあのお二人に出会って、『人』というものを知ることができた。私は、あのお二人だけは、助けなければならないのです」
「何を言っても、無駄ということですか」
「……個人の情とは、信心よりも罪なものですね」
「それでは」
 言って、二人は口を閉ざした。
 しん、と静まり返る。この時ばかりは先ほどから燃えている火も、その音を潜めたかのようだった。
 そして。
 シュカの放つ、真っ白い光がテンレン達に向かって突如爆発した。
 それをあの剣で、テンレンが切り裂く。ヴァルは思わずサラムをかばっていた。
 それを合図に、シュカの後ろにいた兵達が走り出す。
 回り込まれる前にテンレンが大地に剣を突き立てた。轟音がして、再び大地が大きく揺れる。吹き飛ばされはしなかったものの、兵達が地面に手をついた。
「今のうちに行け!」
 シモンが叫んだ。
 その声を聞くや否や、ヴァルがサラムの手首を掴んで走り出す。それに気づいたシュカが二人に向かって白い閃光を走らせたが、テンレンが身体でそれを制した。
「テンレンさん!」
 振り返ろうとするサラムを強引に引っ張ってヴァルは走る。
今度は兵が三人、踊りかかってきた。ヴァルはサラムの手を掴んでいない右手で、ナイフを握り締める。すると後ろから何かが飛んできて、兵が三人とも倒れた。見れば三人とも左胸に小ナイフが刺さっている。
なおも起き上がろうとする相手に、シモンが飛びかかった。
「早く行け!」
 シモンが再び叫ぶ。
 ヴァルは半ばサラムを抱きかかえるようにして、全速力で駆け抜けた。
 走って、走って、走り抜けて。
 途中から道しるべのように、アスラに殺された兵が倒れている。
 兵舎のある場所と、死体が倒れている場所をいくつも抜けて、突然目に飛び込んできた光に、ヴァルが足を止めた。
 折り重なって倒れている兵たちの向こうに、光の壁が天へ向かって立っていた。
その前にアスラが立っている。
「アスラ!」
 サラムの腕を引っ張って、ヴァルは走った。アスラが振り返る。
 その時、サラムに向かって光の矢が飛んできた。思わずヴァルがかばい、背中に光の矢を受ける。焼けるような、痺れるような痛みが背中から内臓を突き抜けた。
「ヴァル!」
 痛みの余り膝を突いたヴァルを、サラムが支える。アスラが二人に気づいて、駆け寄ってきた。
ヴァルは痛みをこらえながら後ろを振り返った。光の壁の近くに、真っ白い帽子と、服を纏った一人の年老いた男が立っている。いつかマリオラの家を出たばかりの時に出会った、あの聖者であった。
「ビカラ様の邪魔は、させぬ」
 ゾラはそう言い放った。
壁の前に立ちふさがるその姿は、彼の重い覚悟を感じさせた。
 アスラが駆け寄り、傷ついたヴァルの背に手を当てる。破れた衣服の内側で、皮膚が焼け、肉が裂けていた。傷の割に出血はひどくはない。火傷のような痛みだけがヴァルの背中を覆っていた。
「ヴァル、大丈夫?」
「ああ」
 言いながらもヴァルは立ち上がれない様子だった。
「ゾラが張ったあの結界のせいで、ビカラに近づけない。サラムの力も、あの壁を越えては及ばないかもしれない」
「そんな……アスラでも、どうにもならないのか?」
 アスラの言葉に、ヴァルはうめくような声で、痛みをこらえながら聞く。アスラは首を横に振った。
「聖者として五十年練ってきた技と、『神の再臨』に対する執念。あれを短時間で破るのはあたしでも無理だ。本人を殺すのは簡単だが、そうすると余計に厄介になる」
「じゃあ、どうするんだよ!」
 『扉』はその大きさを増し、今にも天を喰らい尽くそうとしていた。夜なのか昼なのかもはやわからない中で、ゾラの結界だけが煌々と輝いていた。
 光の壁を睨みつけながら、アスラは唇を噛んだ。
「ビカラ……」
 その名を呟く。光の壁に包まれて、彼は今も方陣の中で『祈り』を捧げていた。
「あの人、夢に出てきた人だ……」
 サラムは、ビカラを見ながら言った。
 シュカがいなくなった大雨の日に、うとうとしながら見た夢。
 アスラの名を呼びながら、泣いていた人。
「……アスラが、もうすぐ死んじゃうって、聞いたよ。アスラはそのことがわかってたのに、『神の再臨』を止めようとしてたんだね」
 サラムが言った。アスラは目を見開いた。
「あの人、アスラが死んじゃうから、泣いていたのかな」
 呟くようにサラムは言う。
「僕も、アスラが死んじゃうのを知っていたら、泣いていたかもしれない」
 サラムは目に涙をためて、アスラを見た。ヴァルはうつむいて黙っている。
 アスラは、言葉が出てこなかった。
「……あの人、まだ泣いているよ」
 ビカラの後姿しか見えないのに、確信を持って、サラムは言った。
「どうして、あの人は泣きながら祈っているの。『扉』を開いたらアスラは消えてしまわずにすむんでしょ」
 サラムがぽつりと聞いた。
アスラは、はっとした。
――ビカラは、本当に心からこの事を望んでいたわけではない。
 優しい、ビカラの性格を思えば。
 アスラが大好きな温室の薔薇を摘んできては、ビカラは枯れる様子に涙を流していた。
 ビカラはきっと心から苦しんでいる。もう間もなく『扉』が開くこのときになっても。
 ふと、アスラに、ひとつの思いがよぎった。
――あたしのせいだ。
「あたしが、あたしなんかがいたから、ビカラは……」
 何度も、ビカラは『アスラのため』と言った。
 もっと早くに気づけばよかった。
 アスラの頬に涙が伝う。
 ビカラは、自らの使命を全うするために『扉』を開こうとしたのではなかったのだ。
 『神』への信心でもなく。
 ただ一人、大切なもののために。
「あたしさえ、いなければ――」
 アスラは右手で己の左胸を突いた。
いや、正確には刺したと言ったほうがいいだろう。
「アスラ! 何を……!」
 ヴァルが叫ぶ。
右の手が胸にめり込む。そして、引き抜いた手は何か揺らめく光に包まれ、そして血がついていた。見ると胸には深深と刺した痕があり、先ほどのヴァルの傷と同様に焼け爛れていた。
「アスラ!!」
 よろめくアスラを、今度はサラムが支えようとする。が、自分もよろけて、アスラを地に横たえることしかできなかった。
「アスラ!」
 ただならぬ様子に、『祈り』の最中だったビカラが立ち上がる。
 ゾラが外からの攻撃に対して張った結界も、内側からの力には弱い。それを簡単に崩し、ビカラは『扉』を放ってアスラの方へと駆けて来た。
「アスラ! 何をしたんだ!」
 サラムを半ばはねのけるようにしてビカラはその身を割り込ませ、アスラの肩を揺すった。そして、胸の傷を見て愕然とする。
「『祈り』をやめてくれたの……」
 アスラの声は消え入りそうだった。
「どうしてこんなことしたんだ! 僕に、二人で最後まで生きてやろうって言ったのは、アスラだったじゃないか!」

 『鎖』の二人――ビカラとアスラは、この世に現れた時から、この世の人間と深く関わることが許されなかった。神に近きものは、誰かに情を抱いてはならない、という上層部の考え方からだ。人間に情を抱けば、この世を壊滅させる『神の再臨』を執行することができなくなるからである。
 誰しもがそっけなく、必要以上のことは二人に話そうとはしない。長々と人と話すことといえば、『神の再臨』を執行するという、二人の使命についてゾラを始め聖者の連中が説教をしに来る時だけだった。
アスラとビカラは、いつも二人ぼっちであった。
 そんな中、人ではなく、アスラが好んだのが温室の花畑だった。
 聖堂を年中飾るための花々。それは聖都の中で、一年中咲き乱れていた。
 アスラは毎日そこに訪れ、ビカラもまた、アスラの好きな花が好きだった。
 ある時、アスラのために摘んだ薔薇が、花瓶の中で枯れていることに気づき、ビカラが泣いたことがあった。
「また摘んでくればいいんだよ」
 いくらアスラが慰めても、一向にビカラは泣き止まない。どうしたことかとアスラが悩んでいると、ビカラがぽつりと言った。
「僕が『扉』を開いたら、この花もみんな、無くなってしまうんだね」
「……」
「どうして僕がこんなことをしないといけないんだろう。僕は、もう死んでしまいたい」
 そう言ってビカラは泣きつづけた。
 ビカラに死んでもらっては困ると、アスラは悩んだ。そしてこう言った。
「ビカラが死んだら困るよ。あたしと一緒に、最後まで生きてやろうよ。そして思い知らせてやるんだ。あたし達を作った連中にね」
 そんな事があって、しばらくした後、新しい聖者がやってきた。
 ひたすらに反抗的なアスラに手を焼いたゾラ達が、新しい聖者に彼らのことを押し付けたのである。聖都最強で『死神』と呼ばれ、氷のように冷たく、鋼のように堅い精神を持つ男に。彼らに身を守る術も教える、という名目で。
 それがシュカであった。
 当時は神の慈悲も彼の前では無力、というほど、冷たい男だった。
 けれども。
 年月を重ねるうちに、人と人は、情を深めずにはいられない。たとえそれが、自らの信心に背くことであったとしても。
 アスラは迷い始めた。同じように、ビカラも。
 そしてまた、ある事に気がつく。
『神の再臨』のためにだけ作られたたった十五年の歳月。
自分たちが『神の再臨』のためのただの道具に過ぎないこと。
道具は、その目的を遂げなければその痕跡すら残さずこの世から消え去る。
 二人の心は千々に乱れた。
 そしてアスラは聖都を飛び出し、ビカラは残る道を選んだ。

「あたしがいなければ、きっとビカラは、『扉』を開こうなんて、しなかったんだね」
「……」
「どうして、『鎖』はふたつだったんだろう……」
 ビカラはぼろぼろ泣いていた。アスラもまた、その目に涙をためている。
 しゅうしゅう、と空から音がした。見ると頭上に『扉』が天を覆い尽くしていた。
「ふふふふ」
 ゾラが笑う声が聞こえてきた。
「『扉』はもうビカラ様の手を、離れましたな」
 むくむくと天から、闇の色をした何かと、白い光の色をした何かが湧き出ては消えていく。
「『神の再臨』の前にお教えしましょうか。何故、『鎖』がふたつだったのかを」
 ゾラの顔にはこぼれおちそうな笑みが浮かんでいた。いっそそれは不気味なほどに、幸せそうな笑顔だった。
「ひとつは、『鎖』の片方がなくなっても、『神の再臨』を執行することができること。またひとつは、ひとつよりもふたつの方が、成功しやすいということです」
「……どういうことだ?」
 ヴァルが聞いた。
「ひとつよりもふたつの方が、ふたつに同族意識が生まれる。『情』というやつですかな。自分達を思えば思うほど、自分達の存在意義を証明しようとやっきになる。我らは初めからそれを念頭においていたわけですよ。確実に『神の再臨』を成功させるために」
「ゾラ! 貴様!」
 ものすごい形相で、ビカラが立ち上がった。
立ち上がると同時に、掌から閃光を放つ。閃光は、簡単にゾラの心臓を直撃し、貫通した。
声もあげずに、笑みを浮かべたまま、ゾラは倒れた。
「……我々は、唯一で完全な『神』を殺して生まれてきた……その、報いをしなければならんのだ……『神』を蘇らせるのが、我々の使命……」
 倒れてもなお、ゾラは笑みを浮かべている。
「『扉』が開き、全てが喰らい尽くされる……そして、神は再び完全なものとして、蘇るのだ……」
 そうして、ゾラはこときれた。
 その様子を、ヴァルとサラムは息をのんで見ていた。
凄まじい死に様だった。
「なあ、『神』を殺して生まれてきたって、どういう意味だ……?」
 ヴァルが尋ねる。
「……そういう、意味だよ。人間にとっては」
 ぐったりとしたアスラの髪を梳きながら、哀しそうな声で、ビカラが答えた。


 唯一神とは、昔から世界を創造した万能の神として、大体どのような宗教でも崇められる存在だった。そしてそれを、唯一のものであり、何よりも完璧であるとするために、何度か争いも生まれた。
 そしてそれを統合しようという過程で、一人の男がある仮説を唱えた。
「神が唯一無比で、完全なものであるならば、
神とは、全てを含有し、全てを生みだす前の、混沌とした何かである」
男は天才であった。
その仮説を証明してみせたばかりでなく、その論を元に様々な一神教を統一したのである。
人の世に何度も生まれてきた『神』の名における争いも、それによって終止符を打たれたのである。
 そしてその男の言葉をもとに統一された一神教である『カーダ』は、人間の根本的な部分に重大な『罪』を含有することとなった。
 『神殺し』の罪。
 人間の住む常世も、あの世も、全て『神』を殺すことによって生まれた。
 そして、もしも人が神に憧れ、神という力を信じ、欲するのであれば、『神』が再び再臨することができると。
 『神の再臨』によって、『神殺し』の罪を昇華することができると。
 これは『カーダ』という宗教の本質であった。その本質を明確に知るものは聖都の人間でも極わずかだった。
生命やこの世界の根本を否定するこの究極の本質は、至高の悟りとして、あるいは誰にも伝えてはならない秘密の教えとして、封じ込めてられていたのだ。


「それが正しいことなのか、間違っていることなのか、僕にはよくわからない」
 ビカラは言った。
「僕はただ、僕とアスラが『神の再臨』のために作られたならば、それが正しいことだと思い込まずにはいられなかった」
 ドォン、と大きな爆発音のようなものが聞こえて、地平線の向こうから、闇が波のように押し寄せてくる。大地を、喰らい尽くすように。
「これから、『ハレ』の世界そのものと、『ケ』の世界そのものが互いに喰らいあう。そして、その後に残るのは、完全な、何かだ」
 ビカラはそれを『神』とは言わなかった。
 闇の波は時々その内側から光を爆発させながら、迫りよってくる。それも、もの凄い速さで。
ヴァルは背中の痛みを忘れ、その恐怖を感じた。サラムがその腕にしがみついていた。


 シュカと、テンレンが動きを止める。
 同じように、シュカの兵達、そしてシモンも戦いの手を止めた。
 双方共に怪我を負い、血を流し、息も上がっていた。
「始まってしまった」
 テンレンが呟く。
 シュカも、ああ、と声をあげた。
「ビカラ様が……」
 爆発音のような、何かが裂けるような音と共に、地平線から、天から闇の波が押し寄せてくる。
 シモンは武器を捨てて、大地にへたりこんだ。
「……無駄だったのか……」
 テンレンは天を仰いだまま、呟いた。
「サラム……」


 闇の波が迫り来る中で、ヴァルとサラム、アスラとビカラの四人は身を寄せ合うように固まっていた。アスラは横たわったまま、弱々しく息をしている。
「アスラがこんなことをするくらいなら、『扉』なんか開く意味はなかったのに」
 同じ『鎖』の片割れなのに、ビカラはアスラに比べて優しく、弱々しい存在のようにヴァルには思えた。ビカラは、涙を流していた。
 アスラが、サラムの方に顔を向けた。そして、手を伸ばす。
 サラムはその手をしっかりと握った。
「サラム」
 小さいが、しっかりとした声で、アスラがその名を呼んだ。
「『扉』が開いてしまった……全部無くなってしまう前に、歌を歌って」
「……歌?」
 ビカラが怪訝そうな顔をした。アスラが口元に笑みが浮かぶ。
「あたし、この子の歌が好きなんだよ。聖都の賛美歌よりも綺麗なんだ。ビカラにも、聞かせてあげてよ……」
 うん、とサラムは頷いた。
 その間にも闇の波が迫る。ヴァルはサラムを守るように、サラムの身体を自分よりも内側へと押しやった。
 サラムは、歌いだした。
たくさんの思いを込めて、サラムは歌った。
マリオラから教わった、古い古い歌。
ヴァルと会ったときも、マリオラが死んだ時にも、ザーラークシャの長の前でも、クシティの前でも、何度も何度も歌った。
歌の言葉は古すぎてサラムにはわからない。
でもきっと、あたたかくて優しい歌なのだろうと思う。歌うたびに、光がさしてくるように思えるから。
五番街が無くなって、アスラと出会って、それからの全てをひとつひとつサラムは心に浮かべた。世界が無くなるならば、思い出はもうどこにも残らないから。
本当に全部が無くなってしまう前に、ひとつずつ、思い出して、それを歌に乗せた。
アスラは目を閉じて聞いていた。幸せな表情で。
ビカラも、泣いているが表情は心なしか優しげになっている。
ヴァルも目を閉じる。
その澄んだ歌声は、遠く、戦いを中断したテンレン達の所まで、届いていた。
「サラムの歌だ」
 シモンが呟く。ああ、これが、とテンレンも言った。
「……鎮魂歌のようですね」
 シュカはそう言って耳を澄ました。

 闇の波が迫ってくる。恐ろしい爆発音や、気味の悪い音を立てて。
 ビカラは、目をつぶってアスラの手を強く握っていた。
「アスラ……まだ、聞こえるかい」
「……うん」
 小さな声で、二人は言葉を交わした。
「僕は間違ったことをしてしまったような気がするよ」
 アスラは、うっすらと目を開けた。
「ごめん、アスラ」
「……あたしがあんたで、あんたがあたしだったら、あたしもきっと、同じ事をしたと思うよ」
 ビカラが目を開ける。アスラは笑っていた。
「もうすぐ、全部終わってしまう」
 ビカラはまた泣いた。後ろから、ごうごうと、音を伴いながら闇が手を伸ばしてくる。
「まだ終わらないよ。サラムが、歌ってる」
 アスラはまだ笑っていた。
「アスラ、僕はアスラのことが、ずっと大好きだよ。僕が、消えてしまっても」
「……うん。ビカラと一緒で、あたしも楽しかった」
 ビカラがアスラの手を再び強く握った。アスラは笑って、そして目を閉じた。
 
 なおも、サラムは歌いつづけた。
 そして――。
 今やその波が四人を飲み込もうとするまで近づいた時、音がやんだ。

 ヴァルが目を開ける。
 闇の波が、止まっていた。サラムの声に、うっとりと聞き惚れているように。
 サラムは歌いつづける。
 波は、しずしずと音も立てずに引いていった。
「まさか……」
 闇に喰われた大地が、元通りの姿になっていく。
 膨張した闇は、ぐんぐんと進んできた時以上の速さで、遠ざかっていった。
 やがて、天に広がった『扉』も、そのなりを潜め。

――世界は、元の姿に戻った。

 サラムの歌が終わる。
 歌っている間、目を閉じていたようで、サラムは目を開け、驚きの表情を見せた。
「『扉』は……?」
 ヴァルは答えられなかった。
 空があんまりにも、蒼く晴れ渡っていたから。
 二人はそうして、かなり長いこと、天を見上げたまま呆けていた。
 風に乗って、空にはいくつか雲が流れていた。

 走りよってくる足音に、ヴァルとサラムは急に現実に引き戻された。
「サラム!」
 振り返ると、シモンとテンレン、そしてシュカが走ってきていた。
「『扉』は閉じたのか!?」
 がっ、とシモンがサラムの肩をつかんで揺する。サラムは答えることもできずに、呆然とするしかなかった。
――扉が閉じたのか。
 やっとのことで、サラムはそのような認識をした。けれども、本当に自分の力で『扉』を閉じたのか、実感は全く湧いてはこなくて、もしかしたら、ビカラとアスラの二人が何かしたのではないか、と彼は思った。
 そして、二人にその事を尋ねようとした時――、
今度は別の声があがった。
「アスラ様! ビカラ様!」
 見ると、アスラの上にビカラが折り重なるようにして倒れている。
 その手は、しっかりと握られていた。
「アスラ様!」
 叫んで、シュカがその身体を揺する。アスラが起きる気配はない。
 何事かと、ヴァルとサラムもアスラ達の様子を窺う。
「ビカラ様!」
 今度はビカラの名を叫んでその身体を揺さぶるが、反応はなかった。
 二人は、息をしていなかった。
 シュカはその場に、崩れ落ちた。

 サラムの歌を「鎮魂歌」と言ったことが、はからずも本当になってしまったことに、シュカは己の涙を隠すことができなかった。
 そして、二人の遺体に触れながら、彼は言った。
「『鎖』はその寿命を終えれば本当は消えてしまうんです。跡形もなく。それが、ここにこうして残っているということが、『神』――いや何かが、与えてくれた奇跡だと思えば」
 かろうじて、シュカの顔に、前の優しい笑みが浮かんだ。
「サラム君の歌の奇跡かも、しれませんね」
 そう言ってシュカは横たわるアスラとビカラを見つめた。
 気づくと、サラムがぼろぼろと泣いていた。ヴァルがその頭を撫でると、サラムは初めて、ヴァルにしがみつくようにして嗚咽をあげて泣いた。
 哀しみの声が、天にまで届くほど、空は深く蒼く澄み渡っていた。

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