| 第五章 薄色の火

サラムは、元五番街に建てられた仮設営の建物内に連れて行かれた。シュカは建物内に入ると、すぐにサラムの身柄とマリオラの剣をクシティに渡し、サラムには一言も告げずにどこかへ去っていった。終始無表情の彼は、一体何を考えているのか全くわからなかった。
その建物は軍の駐屯に必要なものを置いてある倉庫といった形で、生活用品から武器らしきものまで箱詰めにされていくつも積み重ねられていた。その中で、クシティが一人、サラムを待っていたかのように椅子に腰掛けていた。おそらくサラムを捕まえることは当初の計画どおりだったのだろう。建物の外にも数人の見張りが詰めていた。
クシティはサラムを監禁する代わりに、『聖なる力』で方陣を描くとその力でサラムを閉じ込めた。方陣の中に閉じ込められたサラムは驚いて外へ手を伸ばす。しかし指先に痺れるような衝撃を覚え、すぐに手を引っ込めた。
クシティは、サラムを見張るように傍の椅子に腰掛けただけで、何も喋らない。
驚くほどにその場所は静かだった。外にはたくさんの人間がいるはずなのに。もうすぐ神が降臨するからだろうか、不思議で厳かな沈黙が、その場所にはあった。
その雰囲気に耐え切れなくなったサラムが、口を開いた。
「……マリオラは、どうやって、死んだの」
突然の質問と、その質問の内容に、クシティは表情をこわばらせた。
「最期に、なんて言ったの」
クシティは答えない。サラムから目をそらすと、伏目がちに床の隅を見つめた。サラムは続ける。
「あのね、僕……マリオラのことが大好きだったんだ。本当のお母さんみたいで、優しくて……だから」
「黙れ」
一瞬、すごい形相でクシティがサラムを睨んだ。そしてすぐまた床の隅に目を落とす。彼の黒い髪が表情に翳を落とした。
「……あのさ、あなたも、マリオラが好きだったの」
クシティが顔を上げる。
「マリオラにね、どうして結婚しないのって聞いたことがあるんだ」
サラムは指を弄びながら言った。
「そうしたらね、昔、愛し合った人がいたって。でもね、今は違うところにいるし、立場も違うから、結婚できないって言ってたんだ。だから、もしかしたら、あなたがその人なのかなって……何となくなんだけど」
「……」
ちらっとサラムが目を上げると、クシティは驚いた表情のまま、固まっていた。奇妙な沈黙が流れる。やっぱり違うのかな、とサラムは思った。そんな話をしたのは、静けさに耐えられなかったのと、どうしてもマリオラの最期を聞き出したかったからだ。
――変なこと聞いちゃったかな。
すると、突然クシティが口を開いた。
「……昔の、話だ」
そう言って、クシティはサラムに背を向けた。回転した椅子がキィ、と音を立てる。
二人の間に、またもや長い沈黙が訪れた。クシティは今度は完全にサラムを無視する態勢に入った。
「……あなたも、哀しいんだね」
サラムが呟いた。クシティはもうサラムの言葉に耳を傾けようとはしなかった。けれども、その背中は寂しそうで。その黒い服は、まるで喪に服しているようで。
「あのね、マリオラが歌ってくれた一番好きな歌を歌うとね、いつも僕は元気になるんだ。マリオラが死んだときだって……」
クシティは何も反応を示さなかったが、サラムは突然歌い始めた。
マリオラが歌ってくれた一番大好きな歌。
歌の名前は知らないけれど、ほら、ひかりがさしてくるみたいでしょ。
あたたかくなれるんだ。
サラムは、気持ちをこめて歌った。自分と、クシティと、そしてマリオラのために。
クシティは本当に陽の光がさしてきたように思えて、サラムを振り返った。すると。
「!!」
声にならない叫びをあげてクシティが立ち上がる。その反動で大きな音を立てて椅子が転げた。
ただならぬ様子に、サラムが歌うのをやめて目を開けると、いつの間にかクシティの描いた方陣が目の前から消え去っていた。
「あれ? 出してくれるの?」
わけもわからないまま立ち上がって喜ぶサラムに、クシティは大きく首を横に振った。
「……俺がやったのではない」
サラムの身柄をクシティに預けたシュカは、ビカラが『祈り』を続ける方陣の近くに立っていた。最高齢であり、最も長く聖者の地位にいるゾラが、すぐ傍に立っている。ゾラは白い長い帽子と、同じように白い裾の長い法衣を着ていた。
大きく、色とりどりの砂で描かれた方陣の中で、ビカラは一人黙々と『祈り』続けていた。その頭上に、方陣を描いている以上の色が混ざり合った『扉』が浮かんでいる。その大きさは、すでにかなりのものになっていた。
「もうすぐ、開くのですね」
シュカが呟いた。その声からは、喜びの感情はほとんど感じることはできなかった。
「我々人類の望んだものに、辿り着くのだ」
ゾラの顔には笑みが浮かんでいた。子供が、親に抱かれて浮かべるような笑みが。その皺だらけの笑顔を見て、シュカは眉を寄せた。そして、また視線をビカラへと戻す。
「アスラ様が、ここへ進入してくるはずです。その時は、私の軍を動かしてもよろしいですね」
ゾラは頷いた。シュカの率いる第一軍はその破壊力ゆえに、動かすには他の聖者の許可を必要とする。
ふふ、とゾラは笑った。
「皮肉なものだな。つい昨日までは『神の再臨』に反対してアスラについていたお前が、こうして今はそれを止めようとしている」
「――あなたが、残酷なことを思いついたからです」
「わしが?」
くくく、とまたゾラは笑った。
「わしが残酷なのではない。残酷であるとすれば、それは『神』がだ。最も、残酷であるかそうでないかは、人が感じることだがな」
「いいえ、残酷なのは『人』ですよ。『神』を考えた『人』という存在が、一番残酷なのではないでしょうか」
シュカは、ビカラの姿を見ながら言った。ふむ、とゾラが顎をなでる。
「――お前を聖者の地位に引き上げたのは、間違っていたか」
「それは前からわかっていたのではないですか」
ゾラの顔には、何とも言えない笑みが浮かんでいる。
「間違っていようが、いまいが、『扉』が開けばよいのだよ」
シュカはきつく唇を噛んだ。
ビカラはずっと『祈り』を続けている。全てをわかった上で、彼はこの道を選んだ。
――もっと早く気づいていれば。
アスラとビカラの二人が、ずっとシュカに黙っていたことを。
気づいていた所で、彼の成す術は無かったかもしれないが。
それでもシュカは思わずにいられなかった。
五番街の跡地。だだっ広い大地と化したその場所には、何かを守るように砦が作られていた。不自然なまでに頑丈に作られたそれは、何か恐ろしいものを閉じ込めているように見えた。真っ黒な雲が立ち込め、昼か夜かわからなくなった空の下で、光とも闇ともつかない不思議な色が天へと立ち昇っている。
「……『扉』が、もうすぐ完全に開く……」
瓦礫の陰にかくれてアスラが呟いた。テンレンが頷く。
「アスラ、あそこにいるのは誰の軍かわかるか?」
砦の見張りを窺いながらシモンが聞いた。思っていたより守りを固めている軍勢は少ない。アスラ達が少数なのを知っているからか。
「見張りについているのはクシティの第三軍。ただクシティはいないみたいだね。でも、どこかで確実にシュカが準備をしているのがわかる。必ず第一軍が出てくる……」
「ジェノサイドフォースか」
シモンが考え込んだ。ザーラークシャと聖都との戦いの歴史の中で、第一軍はその呼び名で恐れられてきた。聖都の有する中で最も強力な軍隊であり、そしてその軍隊を束ねる司令官である聖者は歴代『死神』の名で呼ばれた。
ザーラークシャは聖都との戦いの中でその第一軍を退ける力を身に付けるために、「聖なる力」の研究を重ねてきた。そしてその研究成果の結晶とも言えるのが、テンレンとマリオラの剣。この剣が、死神と実際に相対するのは長い歴史上今回が初めてで、おそらく最後であろう。そう思うと、シモンは緊張を隠せなかった。
一方、ヴァルの方はそんなシモンの考えなど感じ取ろうともせず、
「それで、サラムは無事なのか?」
とアスラに聞く。先ほどの頭痛も見事におさまり、ヴァルはいつもの状態に戻っていた。解毒剤が効いたのだろう。そのお蔭で、ヴァルが聖水にすがってでも得ようとした力は得られなくなったのだが。
「サラムは無事だよ。……クシティが見張りについてるみたいだ。多分場所はあの砦を入って右奥の建物……」
ヴァルがへえ、ともらした。
「よくわかるな、そんなこと」
「ビカラもそうだけど、『鎖』のあたしたちは何となく世の中のことが読めたり見えたりするんだ」
「それも『聖なる力』なのか?」
「多分」
アスラはヴァルに答えるのもそこそこに、瓦礫の陰からどうやって飛び出すかを考えていた。見張りの第三軍は突破できるとして、その後待ち構えているシュカと第一軍。これはアスラにとっても厄介な存在だった。
「アスラさん」
「何?」
いきなり声をかけてきたテンレンをアスラは見上げた。長身のテンレンはアスラの背丈と30cmほどの差がある。
「まず目の前の第三軍を破ったら、我々がシュカ殿と第一軍を引き受けます。その間に、アスラさんはビカラ殿を止めてください。」
「そんなことができるわけないだろ。相手はシュカだ」
「アスラさんがビカラ殿を止める間の時間稼ぎくらいはできます。この剣があれば」
テンレンはきっぱりと告げた。そして今度はヴァルに向かって続ける。
「ヴァル君は、同じ間にサラム君を連れ出してください」
「ああ、わかった」
「彼には、扉を閉じることのできる能力があります。真っ先に『扉』の開きかけている場所へ連れて行ってください」
ヴァルは「わかった」ともう一度言いかけて、「ええ!?」と声をあげた。
「何だって? サラムが扉を閉じるだって……!?」
あまりに大きい声をあげたので思わずアスラがヴァルの口を塞いだ。ここで見張りに気づかれてはまずい。
「詳しいことは多分サラム君本人が知っているはずです。とにかく、ヴァル君はサラム君を『扉』のところへお願いします」
ヴァルはアスラに口をふさがれた状態のまま頷いた。頷いてはいるが、先ほどのテンレンの発言を完全に理解しているわけではなかった。アスラの力といい、この間の世界樹での事件といい、何もかもわかりにくいことだらけだが、いまさらいちいちそれについて尋ねている時間も無い。今はやれることをやる、そう思うしかなかった。
「ヴァル、その大砲の弾、まだ残ってるか?」
突然シモンがヴァルの肩からずっと下げているバズーカ砲を指差して聞いた。かつての海上戦で活躍した武器である。ヴァルはシモンの質問に頷くと、黙って数個の弾とバズーカ砲をシモンに手渡した。
「いまからあの砦の真ん中にこいつをぶちこむ。その間に二人は中へ入り込め。あとの敵はオレとテンレン様で何とかする。今は『扉』を閉じるのが先だ」
シモンはそう言いながら弾の準備を始めた。
「おいおい、こんな所から当たると思ってんのかよ。いくら弾がでかいからって、意外と難しいんだぜ」
「まかせろ。この手の訓練は昔から死ぬほど受けている。それより、聖都の奴らの息の根を止めるのには銃よりナイフの方が手っ取り早い。これを持って行け」
言うが早いかシモンはナイフを取り出してヴァルに放り投げた。
「ナイフの方が手っ取り早いって……」
「確実に急所を抑えろ。聖水で強化されているとはいえ、元来の肉体の本質は変わらない。お前も身体能力には自信があるだろう」
ヴァルは頷いた。シモンが砲を構える。
「行け」
アスラとヴァルは走り出した。
大きな爆発音がした。一発目。二発目。そして、三発目。砦の壁が飛び散り、見張りの者の声であろう、大きな叫び声があがる。シモンが撃った砲は驚くべき正確さで頑丈な砦の壁を打ち砕いた。ヴァル達は爆風の煙の中を全速力で走りぬいて敵陣の中へ走りこむ。
「侵入者だ!」
声をあげて軍の人間が走り出していく。煙の中、アスラとヴァルには気づきもしない。多数の軍勢を見て一瞬ヴァルはテンレンとシモンの身を案じたが、すぐにその考えを振り払った。今はサラムを助けることが先決だ。
「サラムはどっちだ!?」
「右! 右の白い建物だ!」
そう言ってアスラが指をさす。
「クシティもいる。気をつけて!」
ヴァルが足を止める。
「……お前も、死ぬなよ」
振り返ったヴァルの顔を一瞬見つめ、それから間をおいてアスラは頷いた。
心のどこかで何かに祈ると、アスラとヴァルは駆け出した。
急にあたりが騒がしくなって、サラムは思わず窓の外を見ようとした。
人が走る音が聞こえ、あちこちから爆音が聞こえてくる。
「お前の仲間だろう」
クシティが言った。サラムは驚きを隠せなかった。ヴァルは大丈夫なんだろうか。その事が頭をよぎった。
「あなたも戦いに行くの」
マリオラを殺したように、他のみんなも殺すのかと、サラムは思った。
「いや、それはオレの仕事じゃない。さっきの傷のこともあるしな」
言われて、サラムはクシティがテンレンに切りつけられたことを思い出した。
「オレの仕事は『扉』が開くまでお前をここに閉じ込めておくこと。それができないならお前を殺すことだ」
サラムの足が一歩後ろに下がる。しかし、クシティはそのまま椅子に再び腰掛けた。
「しかし今のお前ではオレは太刀打ちできん。お前がそこにある剣を使えばオレを一太刀の元に切り伏せることができる」
サラムは目を丸くした。シュカに取り上げられた剣はクシティから数歩離れた机の上に放置されている。手を伸ばせば取ることはできた。
「オレを殺すか。殺せばマリオラの仇が討てるぞ。どうせ『扉』が開けば消し飛ぶ生命だ。今死んでも後で死んでも大差ない」
言葉どおり、今ここで殺されてもどうでもいいような表情をしていた。
「何でそんなことが言えるの。それならどうして『扉』を開こうなんて、そんなことに参加したの」
サラムは突っ立ったまま問いかけた。マリオラの仇としての彼と、マリオラが愛した人間としての彼と。クシティに対して自分の感情をどうしたらいいのか、サラムは判断できなかった。
心のどこかで、剣を掴んで斬りつけようかとも思った。殺してしまっても良かった。現に、前に会った時は何も考えずに剣で殺そうとした。けれども。
「マリオラは神の再臨に反対してた。なのに、あなたはどうしてこの道を選んだの」
「愛と信念は別物だ」
クシティはそう告げた。信念で愛する人を殺せるのだろうか。サラムには理解できなかった。先ほどの寂しげなクシティの姿が脳裏にちらつく。
「オレは自分の信じるものを信じて、それに向かって今まで生きてきた。しかしそれは愛したものとは違うものだった」
「だから殺したの」
サラムの瞳からは大粒の涙が流れていた。いつの間にか剣を手に取っていた。
「……我々神の反逆児は、神の再臨と共に取り込まれて浄化される。先にこの世で生命を失おうが結局は一つになるのだ。オレはあいつを殺したことを、後悔していない」
「じゃあ、さっきはどうして寂しそうな顔をしていたの」
クシティはサラムの問いに、再び黙り込んだ。また、長い長い沈黙が二人の間に訪れた。その間にも大勢の軍が駆けて行く足音と、声と、爆発音が聞こえてくる。ヴァル達は大丈夫だろうか。そんなことを思いながら、サラムはクシティの姿を見つめた。
かすかに、黒い服を纏ったクシティの肩が、揺れた。
「……オレが、間違っていたのだろうか……」
彼はかすれた声で、ぽつりと呟いた。
サラムの身体から力が抜けた。
「オレの信じたものは……なんだったのだろう」
クシティは骨ばった両手で顔を覆った。泣いているようにも見えた。
「お前は、神とは何だと思う? 全てを犠牲にしても、辿り着くべき高みではないのか?」
サラムには、答えられなかった。
マリオラの愛した人。彼は、とても真面目で、自分の信じたことのために生きようとした。マリオラは、きっとそんな彼を愛したのだろう。
サラムは涙を手の甲でぬぐうと、剣を手にしたまま、黙ってその建物を出た。
扉を開け、何事も無かったかのようにふらっと出てきたサラムの姿に、おそらく見張りだった兵士達が二人、大きく驚いた顔をした。そして同時に襲いかかる。サラムはどうしよう、と思った。
手元の剣を見る。でも咄嗟にこれをどうしたらいいのか、サラムにはわからなかった。
その時。
サラムを捕らえようとする二人の後ろに、踊るように影が舞い上がった。
血しぶきがあがる。兵士二人はうめき声をあげて崩れた。後方から急所を突かれ、ほぼ即死だった。
「ヴァル!」
突然やってきた救世主の名を、サラムは呼ぶ。
ヴァルはナイフを持った両手を真っ赤に濡らして、肩で息をしていた。
「大丈夫……か?」
「……うん」
頷きながら、サラムは足元に倒れている二つの死体を見て、顔をしかめた。
「クシティは? やったのか?」
サラムが建物から出てきていることに半分驚きながら、ヴァルが聞いた。サラムは首を振る。
「クシティは……いいんだよ」
その言葉に、ヴァルは目を丸くする。
「だって、あいつは、マリオラの……」
「いいんだ」
いつになく強い口調で、サラムはヴァルの言葉をさえぎった。その事にさらにヴァルは驚く。
「お前がいいなら……」
「ヴァルが無事でいてよかった!」
突然、サラムは死体を飛び越えてヴァルにしがみついた。
クシティの話題を続けたくなかった。
ヴァルはサラムの気持ちを読み取ったのか、黙って笑ってサラムの頭を撫でた。その手に血がついてることに気がついて、慌てて上着の裾で拭く。
「とにかく、今は『扉』のところへ行かないとな」
ヴァルの言葉に、サラムは大きく頷いた。
「『扉』を閉じるんでしょ」
「ああ、テンレンに聞いたけど、……お前、できるのか」
「わからない……けど、多分」
世界樹のところでマリオラに聞いた話。あれが本当ならば。
「行こうよ」
マリオラの剣を持った手に、ぐっと力を込めて、サラムはヴァルと歩き出した。
「……アスラ……」
色のついた砂で大地に大きく描かれた方陣の中、ビカラは目を開けた。
目の前の中空には色の混合体が大きく渦を巻いている。『扉』だ。
「どうかなさいましたか、ビカラ様」
方陣の外でビカラの様子を見守っていた最高齢の聖人、ゾラが声をかける。ゾラは皺くちゃの顔に長い白い帽子をかぶり、長い白い衣を纏っていて、さながら死人のようにも見えた。
「アスラが、来ている」
ビカラは立ち上がってゾラの方を向いた。
「存じております。けれどもご心配なく。『扉』が開くまでの間、たとえアスラ様といえどもこのゾラが方陣の中へは一歩たりとも入れはしませぬ」
ゾラは至極落ち着いた様子で、ビカラに『祈り』を続けるように促した。けれども、ビカラは座ろうとせず、首を伸ばして方陣を囲む護衛の外を見ようとした。
「ビカラ様。『扉』はあと少しで開こうとしております。どうか集中を」
「……アスラに会いたい」
そう言ったビカラは、まだ子供のように見えた。
こうして『扉』を開こうとしていながら、それを阻止しようとするアスラに本気で彼は会いたいと言っている。ゾラにはその様子が忌々しく思えた。
「どうか、ビカラ様」
「『扉』を開く前に、アスラに会いたいんだ」
そう言って彼は方陣の外に出ようとした。慌ててゾラが止めに入る。
「ビカラ様、どうかご自分の立場をお考えになってください」
「わかっている。でも、『扉』は後ほんの少しで開くんだ。だから、少しくらい時間をかけてもいいじゃないか」
ビカラは本気でアスラが来るまで待つつもりだ。
方陣の周りを守っている護衛は時間を稼ぐことはできても、アスラを止めることはできない。
もし、アスラに会って説得されてしまったら。
もしくはその間にあのサラムとかいう子供が『扉』を閉じてしまったりしたら。
ゾラは焦った。
――今までの全てが無駄になる。
ゾラは、カーダの教会の神父の息子として生まれた。
田舎町の小さな教会。
ゾラの父は聖典の教えに忠実な男であった。そして真面目でいて、非常に厳格な父だった。そんな中、ゾラは、ゆくゆくは父の跡をついで神父として田舎の町人たちに聖典の教えを説くことを期待されていた。
ゾラの父は、毎日決まった時間になるとゾラを含む子供たちを集め、自分たち生きるものが生まれながらにして背負っているという『罪』について何度も説いた。『神』を引き裂いて生まれてきたものの『罪』を。
幼い子供にそのような罪を理解するのは難しかったが、子供の中でも聡明だったゾラはその『罪』について逆に聞き返すこともしばしばあった。しかしその度にゾラの父は、生まれてくるものの『罪』によって『神』が受けたという痛みを身をもって知らしめようと、ありとあらゆる手段で体罰を与えた。
――これよりも、『神』が身に受けた痛みの方が何十倍もまさるのだぞ。
そう言い聞かされ、ゾラは何度も『神』が受けた痛みを想像しては涙を流した。神父の家に生まれたということもあり、彼は人一倍『神』を愛していたし、それ以上に彼は心の優しい少年だった。
『神』のために何かこの一人の力でできることはないか。
ただそれだけを求めて、彼は田舎町を飛び出し、聖都へと向かった。
『聖者』によって導かれる聖都。
ここならば、自分の問いに対する答えも得ることができるだろう、とゾラは思った。
そして『聖都』で暮らしながら、いつしか、彼の答えは自らが『聖者』になることによって得ることができるのではないかと思い始めた。
『聖都』における『聖者』とは並大抵のことでなれるものではない。
『聖典』の知識を誰よりも持つもの、『聖なる力』の長けているもの、仁徳を大いに積んだもの――。そのように特殊なものしか、『聖者』になることはできない。
けれどもゾラは地道に歩みを進めた。
『聖典』を学び、『聖水』の修行もし、善行を重ね――彼がついに『聖者』へ昇りつめたのは彼の髪も全て白くなりはてた六十も半ばを過ぎた頃だった。
人生の全てを捧げ、長きにわたる信念を遂げ、豊富な知識をもって彼が『神』への罪の償いとしたのが――『神の再臨』であった。
シモンとテンレンは、破壊された砦付近で第三軍と対峙していた。
アスラが内部に入り込んだことは知られてはいないらしく、内部の護衛もあり兵力は分散しているとはいえ、第三軍は残る総力を挙げて攻めてくる。かたや二人。シモンは正直冷や汗をかいていた。アスラが内部にいることがわかれば、すぐに彼女の追撃を第一軍が始めるだろう。こちらが二人であることを悟られてはならなかった。
かつて聖都とザーラークシャが戦争を続け、『聖なる力』の研究が進められていたころ、同時に聖都の軍に対抗すべくザーラークシャでも兵力が養成されていた。
『聖なる力』に対抗するためには、尋常でない身体能力が要求される。『聖水』で強化された聖都の兵を確実に死に至らしめるための能力。それだけの人材を育て上げ、最強の軍隊を作るプロジェクトが、かつて秘密裏に行われていた。
シモンは、生まれたときからそのプロジェクトで教育を受けていた。ローザにいたマリオラの仲間たちの中にも、非常に短い期間ではあるが、教育を受けていたことがある者がいる。プロジェクト自体は戦争の休止と共に終止符を打たれた。けれどもシモンは、プロジェクトの休止後もその卓越した能力をテンレンに見出され、来るべき時に備えて彼に教育を受けたのだった。
そのシモンも冷や汗を流す状況で、テンレンは一人悠々としていた。
「シモン、少し遠くへ離れていなさい」
「遠く? この状況で?」
シモンが聞き返す間もなく、テンレンは突然剣を地面に向かって突き刺した。
その刹那、激しい地響きと共に地面が第三軍に向かって裂けていった。
ひどい揺れに思わず第三軍の兵も、シモンも地面に這いつくばる。
そして裂けた地面の奥から、轟音と共に大量の溶岩が噴出した。
風が吹き荒れ、破壊された砦に、兵に、炎が燃え移る。
髪を風に巻き上げられながらなおも剣を地面に突き刺しているテンレンの後ろ姿を見ながらシモンは思った。天変地異だ、と。
異様な事態に、第三軍は指揮を取ることができなくなり、散り散りになった。なおも地震は続く。完全に砦は崩壊し、全てが火に包まれていった。
聖都の兵士達が光る球で攻撃をしてくることよりも、よっぽど不自然な状況である。
地獄があるというのなら、こんな所だろう。火にあおられて逃げ惑う兵士達を見ると、シモンにはそう思えた。
しばらくして、「そろそろ行きますか」というテンレンの声がかすかに聞こえ、剣が地面から抜かれると同時に地震が止んだ。
あまりのことに度肝を抜かれて剣とテンレンを交互に見やる。
シモンはやっとのことで、
「……その剣にはそんな力があったんですか」
とだけ、言うことができた。
「大地は我々に、今は味方していてくれますからね」
テンレンは微妙なことを言うと、「行きましょう」と言って歩き出した。
突然の地震と砦を燃やす炎の勢いに、走っていたヴァルとサラムは足を止めた。
「何だ、あれは?」
ゴォ、と唸りをあげて激しく炎が燃えさかる。砦からは離れてはいるが、激しい熱さを感じた。そして大きく地面が揺れる。サラムはヴァルにしがみついた。
「テンレン達か?」
「……そうかもね」
そう言って地震をやりすごしているうちに、音を立てて砦が崩れていった。
地震が止むのを見計らって煙の中を再び二人は走り出す。『扉』の方向を目指して。
軍の宿舎がいくつも立ち並ぶ場所を何度か通り抜ける。
しばらく走って、急にサラムが足を止めた。ヴァルが振り返る。
「どうした? 疲れたか?」
「……ううん」
サラムは走り出そうとするかわりに、剣を抜いた。
「ヴァル、ふせて!」
サラムが言うのと同時に、白い光が二人に降り注いだ。伏せるヴァルの横で、サラムが剣を大地に突き立てる。するとそこから激しい風が渦を巻いて、二人に向かってきた光をかき消した。
体勢を立て直して、ヴァルが立ち上がる。
風のせいで煙が吹き飛んだ後に見えてきたのは、目の前に立ちはだかるシュカと、十数人の兵士達の姿だった。
シュカはいつもの白い服に身を包んでいたが、後ろで同じような格好をしている兵士達といい、何故だか異様に恐ろしくに感じた。
「……アスラ様は?」
シュカが尋ねる。燃えている砦が背景にあるせいか、普段の和やかな印象は欠片も感じられない。
「知らねえよ。それより、お前一体どういうつもりなんだ」
ヴァルは首を振った。自然と声に怒りがこもる。
「俺たちを騙していたのか」
「……サラム君、アスラ様は一緒じゃないんですか?」
サラムの方へ身体の向きを変えたシュカは、一瞬左手を外側に滑らせるような動作をした。
「あっ」
剣が弾き飛ばされる。カラン、と音を立てて、サラム達を『聖なる力』から守った剣はかなり離れた位置に落ちた。
「その剣が無ければ、我々を抜くことはできないでしょう。『扉』が開くまでの間、ここでおとなしく待っていてもらいます」
ヴァルがサラムをかばうように一歩前に出た。ここで立ち往生するわけにはいかない。けれど、素人のヴァルから見ても、シュカとその後ろの十数人からは、明らかに今までの兵士達とは違う何かが感じられた。たとえどんな形で出し抜いたにせよ、十数人を相手にサラムをかばいながら『扉』まで走るのは無謀だった。
何とか方法はないかとヴァルは考えをめぐらす。
そんなときだった。
「どうしていきなり裏切ったの」
サラムが聞いた。真っ直ぐに目を見つめて、直球の質問を投げかける。
こういうときのサラムに問いかけられた人間は誰であろうと、その問いに答えずにはいられない。何かそんな不思議な力を、サラムは持っていた。
例外なく、シュカもたじろぐ。
サラムは目をそらそうとしない。
シュカはため息をついて、口を開いた。
「……ビカラ様と、アスラ様を、助けたいんです」
「助ける?」
ヴァルが顔をしかめた。
「聞いたんです。アスラ様とビカラ様が、この世ではあと少しと生きられないことを」
シュカはゆっくり、話し始めた。
あの豪雨の日、リグと対峙したシュカは、その話を始めて聞いた。あの日、リグはシュカをアスラと共に連れ戻すために、その情報を伝えに来たのだった。
アスラとビカラは、聖都の『鎖』のプロジェクトにより生み出された、『ハレ』の世界に最も近い存在。人間というにはあまりにその誕生の方法がかけはなれていた。
超常的な『聖なる力』と最先端の科学力。その二つの力によって、彼らは生み出された。
現実の世界――『ケ』の世界、あの世と呼ばれる世界――『ハレ』の世界、どちらにも近く、どちらにも属さない存在。
そんな存在を作り出す必要があったのは他ならぬ、『扉』を開くという使命があったからだ。そうでなければ、そんな存在はどちらの世界からも必要とされない。ゆえに、言ってしまえばそのように中途半端な彼らは、『ケ』の世界で存在しつづけられる期間に、限界があった。
プロジェクトが発足した当時、二十年は保つものを作ろうとしていた。そしてその計画にのっとって作られたはずだった。
しかし、何事にも誤算はある。
実際に作り出されたアスラとビカラの寿命は、たったの十五年だった。そして、『扉』の計画も当初より五年早まったものとなって始められた。
「ですから、『扉』を開かなければ、もうすぐアスラ様も、ビカラ様も、跡形も無くこの世から消え去ってしまうだけでなく、この世に誕生した意味すら、無くなってしまうのです」
――我々の勝手な思惑で作られ、その存在目的すら遂げられずに消えていくなんて。
言葉の最後、シュカは呟いているように言った。
そこが戦場であることを忘れたかのように、重い静かな空気がその場を支配した。シュカの最後の言葉が終わるまで、燃えている炎の音も聞こえなかった。
――アスラは、その事を知っていたのだろうか。
ヴァルがふと思った。
サラムが次に何を言うのか気になって、ヴァルが後ろを振り返る。そしてぎょっとする。
……サラムは、泣いていた。
声もあげずに、はらはらと目から涙をこぼしていた。
「……」
何かを言ったようだったが、ヴァルには聞き取れなかった。
「アスラ様は、全てわかった上で、ビカラ様を止めに行っているのです。ビカラ様もまた、それを知っていて。それがどんなに哀しいことか、サラム君もヴァル君も、わかるでしょう」
シュカの声は訴えかけるようだった。
「――そういうわけで、このまま『扉』が開くまで待っていてください。私はアスラ様を止めに行きます。あと少ししか、時間がないのです」
そう言ってシュカが後ろの部下をそこに置いたまま、ヴァル達に背を向けた。
その向こうに、『扉』が見える。もう時がかなりせまっていることを、ヴァルでも感じ取ることができた。けれども、サラムは動く気配を見せない。
歩き出そうとして、シュカがふいに振り返った。背後に気配を感じてヴァルも振り返る。
そこにはテンレンとシモンが立っていた。
「……ここで立ち往生するわけには、いかないのですよ」
テンレンが静かに、言った。
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