| 第三章 蒼き夢

聖都第二軍はザーラークシャ諸島の中心、ティティカのある島を完全に包囲した。攻撃こそ仕掛けてこないが、ティティカから動くことはできない。青空の下での包囲網は解ける事は無く、ビカラ達による『神の再臨』を止めるのはもはや不可能なことに思えた。
何日も座りつづけている会議室の椅子をきしませて、島の長――ゼンは大きくため息をついた。
「大陸側でメイメイ達が立ち往生しているらしい」
「メイメイ達?」
「マリオラと共に聖都を出た我々の同志だよ。本来ならマリオラと共にローザに本拠地を構える予定だったが、ローザが襲撃されたのでこちらに来るはずだった。けが人も多いらしく、包囲網を外から突破することは不可能なようだ。大きな戦いになるなら、彼らも重要な戦力だったのだが……」
ゼンは太いがっしりとした手で頭を抱えた。
「ローザは酷い事になってたから、あそこで無事に逃げられた人の方が少ないだろうな」
ヴァルが言うと、サラムは何か考え込んでいるようだった。横で何か紙に計算をしていたシュカが手を止めた。
「……それで、その方達はどのくらいいらっしゃるんですか。全員が元聖都の人間なのですか」
ぎしり、とゼンの椅子がきしむ音がする。彼の代わりに隣のシモンが口を開いた。
「五十人ほどだと聞いている。元聖都の人間と、戦争中の頃に我々の軍隊に所属していたものが半々だ。だが、けが人が多く動きが取れないらしい」
「……そうですか。力関係だけでなら、第二軍は私とアスラ様だけで突破できますが」
「何だと!?」
ぼそりと当然のことのように呟いたシュカの言葉に先ほどまで黙って聞いていたザーラークシャ諸島自衛団の隊長が立ち上がる。
「貴様何を言っている、奴らは世界最強の軍事力を持つんだぞ!」
「いえ、ですからあくまで力関係だけでなら、の話です。簡単に計算しますと、聖者一人の二倍の力が、その聖者が指揮する軍の総力となっているのです」
淡々と語るシュカに、低くうめいたような声を漏らしてその隊長は座った。
聖都との戦争時から聖者の恐るべき強さについては情報を得ていたが、その聖者本人の口から出た言葉だけに、隊長はその恐ろしさを再確認したのだった。それは彼だけではない。会議に参加していた他の人間も驚きのあまり声を失っていた。
シュカは続けた。
「しかし現状として、我々は包囲された島にいるわけですし、普通の島民を巻き添えにするわけにはいきません。そしてまた、第二軍には聖者リグもついてきているわけです」
会議室にいる全ての人間がシュカの発言を真剣に聞いている。聖都の元最上層部にいた人間の言うことだ。これ以上に信用できる情報は無い。
「いいですか。リグがいる時点で彼らの総力は五割増です。そして彼らは他の聖都の軍とは違い、最新の科学力を応用した強力な兵器を持っている。この島にそれに勝るような兵器が今すぐ準備できるとは思えません。我々には全く勝ち目は無いと言って良いでしょう」
最後にどんな希望があるのかと聞き耳を立てていたほとんどの人間は呆れたようにシュカを見た。シモンも一言、
「ばかばかしい」
とだけ吐き捨てた。
期待を込めて話を聞いていたのに、絶望的な結論しかなかったことに腹を立てた一人の人間が部屋を出た。すると次々とその後を追うように部屋を出て行く。
結局会議室にはサラム達、シモン、そして長であるゼンしか残らなかった。
「皆さん諦めが早いですねえ」
「お前があんまりな事を言うからだ」
アスラはそう言ってシュカを睨みつけた。シュカは仕方ないですよと笑う。
「じゃあ、俺たちは結局どうなるんだよ?」
ヴァルはシュカに質問を投げつけた。しかし彼よりも先にアスラが答えた。
「あたし達がここでこうしている間に、『扉』を開く準備がはじまってる。このまま包囲されてると、いつの間にか神様が再臨してるってわけ」
「そうなるとどうなるの?」
「あの世とこの世が一緒になって、オレ達はほとんど全滅することになる」
シモンの恐ろしい答えを聞いてサラムは思わず身震いする。たくさんの真っ黒な陰が大地を喰いつくしていく様子が何故か頭に浮かんだ。横でヴァルは首を振った。
「よくわかんねえな。俺は神様を信じてる人間でもないし、聖典とかそういうのに詳しいわけじゃない。何のために奴らはそんな必死になって滅亡しようなんてことするんだよ」
ヴァルは足を組んだ。いつの間にか外から差し込む光は薄暗い。窓の外で沈みかけている太陽は血のように赤かった。
「あたしが説明するよ」
聖都の頂点に立っていた人間の発言にゼンやシモンも身を乗り出した。
「人は昔から一目でも神を見たいと、神に触れたいと思ってきた。それが現実に人類の力でできるようになったから、じゃあやろうってのが大半の考え。それは聖都の外の人間に多い。彼らは、神が再臨したらどうなるのか、ほとんど知らない」
「ふうん、じゃ、聖都の人間は何を考えてんだよ?」
「母胎回帰。融合」
何かの呪文のようにアスラは呟いた。
聖都では、世界の何もかもが『終末』に近づいているという考えがいつの頃からか広まっていた。
科学の発展の終焉、人類の力では取り戻す事が出来なくなった本来の地球の姿、そしてどんなに神に祈っても戻る事が出来ない原始の姿。人はあまりにも神から遠ざかりすぎた。そして、何もかも知りすぎた。
人である限り、人は普遍的なものでありえない。人は、神の思惑から外れすぎた。
神は今こそ全てを始まりに戻そうとしている。だからこそ神へとつながる『鎖』を手に入れることができた。これは神の啓示。扉を開いて、何もかも神に還す。
それが人に残された最後の使命だと、聖都の人々には考えられていた。
アスラの説明を聞いていたヴァルは納得がいかなかった。
「それじゃまるで、俺たちがみんな悪いみたいじゃねえか」
「……そうなんだけどさ……」
アスラは口篭もった。何かを言おうか迷っているようだった。微妙な沈黙が訪れる。
再びシュカが紙に何かを書く音が聞こえて、一同の思考は現在直面している問題に舞い戻った。
「……オレ達はここでただ待っているわけにはいかねえんだ。何としても包囲網を突破しなきゃならん」
「その通り。あたしもそう思うよ」
シモンの低い声に答え、アスラは無意識にシュカを見た。何かを期待するようなその眼差しにシュカが苦笑する。
「私に期待しないで下さいよ。……方法は無いわけではありませんが」
「だったらそれを早く言え」
なかなか答えを出さないシュカにシモンは苛ついている様だった。
「……聖都の軍は公には攻撃をしかけません。という事はこちらから仕掛けない限り向こうは何もしてこないという事です。つまり、包囲網の外側から攻撃をしかければ、我々はその混乱に乗じてザーラークシャ諸島から出る事が出来ます。実際に扉を開くのはビカラ様一人。……ビカラ様を止めるだけなら、我々だけでも十分ですからね」
「待て。外にはメイメイ達しかおらんぞ。一体どこに戦力があるというのだ」
ゼンが核心をついた。
「そこが問題なんですよねえ」
シュカはそう言ってため息をつく。「役立たず」とアスラが毒づいた。シモンもいいかげん呆れたのか、視線を窓の外に投げていた。
そんな雰囲気の中、サラムはその場にいる全員の思案にくれた顔をぐるっと見回した。包囲されてから大分時間が経っている。不思議な色をした瞳を思慮深げに曇らせ、それからヴァルの腕をつついた。
「ヴァル……ウルドのみんなはどうしてるんだろう」
突然ヴァルが、何か気がついたように目を見開いた。
「……そうか」
ヴァルは立ち上がり、会議室を出て行った。
遠く月が霞んでいる。切れば滴りそうな大きな赤い月。円よりは欠けたその姿が余計見るものを不安にさせる。
会議の後、アスラは部屋のベランダに出た。そして深いため息をつき、遠くにいるはずのビカラに思いをはせた。
自分より一日遅れてこの世に生を受けたビカラ。聖なる力と科学との融合という強大な力によって生み出された神へつながるためのもう一つの鎖。『神の再臨』のためだけに生み出された自分の分身のようなビカラを、アスラは弟のように愛しんだ。
幼い頃には『扉』を開くその力が暴走することがたびたび起きた。その都度、周りの人間を失い、そして回りの人間もアスラの傍にいることを拒否した。
アスラは常に一人でいることを好んだ。
物心ついた頃から全てに反抗心を抱いていたアスラとは違い、ビカラはそのような境遇におかれるにはあまりにも純粋で傷つきやすかった。誰よりも優しく、疑いを知らない。
そんな彼が、この世を滅亡に陥れる扉を開くのは、あまりにも残酷な使命だとアスラは思った。
「あんたがあたしだったら良かったのに……」
アスラの呟きは誰にも聞こえる事は無かった。
一方ビカラは、アスラの思いなども知る由もなく五番街での準備を始めていた。扉を開くのに最も都合の良い場所。この世で最も『ハレ』の世界に近い場所。それが聖都ではなく、聖都が最も忌み嫌った無法地帯の五番街にあるのは皮肉だったが、不必要なものを吹き飛ばすには都合の良いことだった。
人が住む前は生命がほとんど存在しない砂漠だった五番街は、ビルの残骸などをどかすとさえぎるものの無い平地となった。どこか月の表面を思わせるその大地はひどく宇宙的である。
準備の進み具合と、そして警備のために第三軍を五番街周辺に配置するというゾラの話を上の空で聞きながら、ビカラも赤い月を見つめていた。
「……君がやらないのなら、僕がやるしかないんだ」
ヴァルは部屋で電話をかけていた。
「俺だ、ヴァルだよ」
「ヴァル!!」
ウルドの仲間だったリンレイが驚く声が聞こえた。リンレイはかつて五番街でヴァルが幅を利かせていた頃の片腕とも言える少年だった。
「無事だったのかよ! マリオラの家が爆破されたって聞いてみんな心配してたんだぜ。五番街に行っても街は跡形もなく砂漠になっちゃってるしよ。探しにいってる奴らもいるんだぜ」
リンレイが興奮してまくしたてる。その様子にヴァルは苦笑した。五番街にいた頃を思い出してしまう。
「で、俺に電話くれたって事は何か用なんだろ? どうするんだ、街ぶっ壊した奴ら相手に戦争でもするか?」
「……そんなところだな」
「おいおい、本気かよ」
真面目にヴァルが言うと、リンレイは驚いたようだった。冗談のつもりだったらしい。
「だってよ、相手は聖都なんだろ。はんぱじゃねえよ。軍とかすげえ強いんだろ?」
「五番街でマフィアとドンパチやったのと変わんねえよ。戦車が調達できれば何とかなるさ」
「戦車くらいなら何とかなると思うけどさ……」
リンレイはそう言って黙り込んだ。マフィアとの戦いと違うことは百も承知らしい。
「正直言うとさ、事情があって今ザーラークシャって島に来てるんだ。そこで聖都の軍に包囲されてて、出られない」
「一体なんでそんなとこにいるんだよ」
「マリオラが死んだんだ」
突然の告白にリンレイは再び沈黙した。
ヴァルと同様、マリオラには数え切れないほど世話になったリンレイ。あまりに突然のことに、言葉が出ないのだろう。ヴァルはそのまま続けた。
「聖都の奴らは『神の再臨』とかいって何もかも滅茶苦茶にするらしい。マリオラはそれを止めようとしてた。だから聖都の奴に殺されたんだ。ザーラークシャにはマリオラの仲間がいる」
「それで、俺たちにどうしろっていうんだ」
リンレイの声はいつもヴァルの命令を待っているときのものに戻っていた。受話器を耳に押し当てたまま視線を動かすとサラムが心配そうな顔をして見ている。
「……とにかく、俺たちはここから出ないといけない。でも下手に島から攻撃をしかければ多くの人間が犠牲になる。包囲網の外から仕掛けて混乱させるだけで十分だ」
「……」
リンレイは黙っていた。ウルドが始まって以来の大きな仕事だった。五番街を破壊して、マリオラを殺した聖都の奴らを許す事は出来ない。しかし相手はプロの軍だ。ヴァルの頼みであってもリンレイは躊躇しているようだった。
「かして」
不意にサラムがヴァルから受話器を取り上げる。五番街でヴァルと行動する事の多かったサラムはウルドの少年達ともマリオラ同様仲が良かった。
「リンレイ」
「……サラム? お前も無事だったのか」
「うん」
ヴァルにいつもくっついているサラムは、リンレイ達他のウルドの少年達にとっても弟のような存在だった。その不思議な存在感でサラムに癒された少年も少なくは無かった。
「僕もうまくわからないけど、聖都の人たちが神様をこの世に呼び戻そうとしてるんだ。そうすると、とても恐ろしい事が起こるらしいんだ。みんな死ぬってこの島の人が言ってた。だから、早く止めないといけないんだよ」
一言一言ゆっくりとサラムは話した。
「僕は、マリオラのやりたかった事をやらないといけない。だから、この島でじっとしてるわけにはいかないんだ。こんな事に巻き込んでごめんなさい。でも、本当にみんなの力が必要なんだ」
「……」
「お願い」
マリオラの意思を継ぐためにとても大きなものに立ち向かおうとするサラムに、リンレイは驚いていた。いつの間にこんなにサラムはしっかりしていたのだろうか。
「わかったよ。とにかくヴァルにかわってくれ」
「……ありがとう」
サラムは礼を言って受話器をヴァルに渡した。リンレイはヴァルに、他の仲間に話をしておくとだけ伝えて電話を切った。受話器を置いて振り返ると、サラムが見ていた。
「ヴァル、ありがとう」
サラムはベッドの上でマリオラのくれた剣をいじりながら寝そべっていた。ヴァルは先ほどの電話の内容を伝えに、シモンや長達との話し合いに出かけている。
マリオラの剣をじっと見ると、細かく何かの文様が刻まれていた。柄から細長く伸びるようなそれが、サラムには何かの木の根のように思えた。
目をつぶり、小さい頃の事を思い浮かべる。マリオラに拾われ、物心ついた頃にはマリオラの戦う背中ばかりを見ていた気がした。長い髪をなびかせて、追っ手を倒していく。時には白い光が爆発して。大地が揺れて。地面に突き立てた剣の先から炎が巻き起こり。気づけば、いつの間にか忘れていた。
幼いサラムには何もできなくて、ただその陰に隠れておびえるだけだった。マリオラが何に追われているのかも、何故追われているのかも知る由も無かった。
「僕に何ができるんだろう……」
しばらくそうして剣とにらめっこを続けていると、ノックもせずにシモンが部屋に入ってきた。
「お前に話がある」
「……はい」
サラムは剣を抱きかかえて起き上がった。シモンはテーブルについていた椅子を引き寄せて座った。シモンが服のポケットから煙草を取り出す。その様子を見て長い話になるだろうと予想したサラムは思わずきちんと座りなおした。
「……今日になって気づいた事がある。テンレン様ははじめからこの島を戦いに巻き込まないために一人で島を出て行ったということだ。マリオラも同じ事を考えていたらしいな。彼女も島の外のローザという場所にメイメイ達と本拠地を構えようとしていた」
紫煙がゆらりと昇っていく。
「元々ここが包囲されれば勝ち目がないことはわかっていた。だが、聖都の連中に先回りをされてローザを潰され、マリオラを失った。まんまとオレ達はやつらの術中に陥ったわけだ」
「……僕がこの島に来たせい?」
ひょっとして自分が悪かったのではないかと思い、サラムは少し沈んだ声で聞いた。
「結果的にはそうなるが、突破口を開く鍵を握っていたのもお前らだ。それにお前はここにいたほうが今はまだ安全だ」
「……テンレンさんの話はしないの」
「そうだったな」
煙草の灰を近くにあった皿に落として、シモンは再びそれを口にくわえた。じり、と赤くなって煙草の先端が燃える。サラムに気を使っているのか、シモンが吐き出す煙は細く、サラムの方へは流れてこなかった。
「……あの方は、一人でビカラという男を止める気だ。シュカとかいう奴も言ってただろ、ビカラさえ止めれば『扉』は開かれる事はないと」
「うん」
「あの方ならばできるかもしれないが……一人では」
一瞬シモンの瞳がにごったのをサラムは見逃さなかった。そしてふと思った。ああ、この人は自分がマリオラを慕うように、テンレンのことを思っているのだなと。
「僕らも一緒に行けばいいよ。ヴァルも強いし、アスラもすごく強いってシュカが言ってたし、シュカもすっごい強いんだよ。この間のローザのときにだってさ、すごかったんだ」
突然身を乗り出してそう言ったサラムに驚いたようにシモンは切れ長の目を見開いた。指にはさんだままの煙草の先からそろりと灰が崩れ落ちて、あわててさっきの皿の上に落とす。
「オレは何を言いに来たんだ……」
シモンは小声でぼやいていた。こんな話をしに来たんじゃないんだが、と一人ごちる。
「ヴァルの仲間のみんなはすごい強いから、多分今周りにいる軍も何とかしてくれる。その間に僕らはテンレンを探しに島を出ればいいんだ。それで一緒に、ビカラって人を止めればいいんだよ。僕は戦えないかもしれないけど……」
半ば本気で言うサラムに、シモンは苦笑する。そしてこう言った。
「……テンレン様はきっとお前に、その剣の使い方も教えてくれるさ。そいつはお前じゃないと使えない。そいつがちゃんと使えたら、お前だってマリオラのように立派に戦えるようになる」
「ほんと?」
嬉しそうにサラムはマリオラから貰った剣を見た。
「よかった。これで僕もマリオラの代わりができるね。銃はヴァルが持たせてくれないから……」
それから他愛のない話を交わし、部屋を出たシモンは不思議な気持ちになっていた。初めは今後の動きについて話そうと思って来たのに、結局は己の思いを見透かされて協力まで得ることになった。
――不思議なガキだ。
何故五番街のギャングのリーダーだったヴァルや、聖都にいたアスラがサラムを大切そうにしているのか、シモンは何となくわかった気がしていた。
大量の埃を巻き上げて道路の上を大勢の車とバイクと戦車、という奇妙な組み合わせが進んでいた。五番街の頃からの知り合いの兵器マニアから戦車やその他の武器を借り受け、リンレイを含む仲間の気分は高揚していた。おそらくその半分も聖都第二軍について何も知らないのだろう。リンレイは何か罪悪感のようなものを感じた。
同じ頃、シュカはザーラークシャ諸島自衛団長のザックを相手に作戦を説明していた。包囲されている本島の外には、大きな島が四つほどある。その四つの島に駐屯している自衛団と、メイメイ達、それからウルドのメンバーで四方から攻撃をしかける予定だった。本島を包囲する艦隊は全部で八つ。聖都第二軍の海軍のうち全てが集結しているわけではない。シモンを含むシュカ達五人が混乱に乗じて島から抜け出す事は可能に思えたが、その後本島の自衛団の力で島を守りきれるかは五分五分だった。
「では、外の島に指令を出してきますね」
思いのほか感じのいい中年のザックはそう言い残し、会議室を出て行った。
シュカは一息ついて立ち上がり、窓から外を見た。遠くの艦隊の動きがおかしい。
「……まさか。一体何故……」
包囲するだけだったはずの艦隊が、編成を組みなおしている。以前第二軍などの訓練を見ていたシュカはその小さな動きに気づいた。明らかに攻撃を開始する姿勢。シュカは振り返り、その場にいた島長のゼン、シモン、ヴァルに告げる。
「作戦変更です。第二軍が攻撃体勢に入ったようです。ゼンさん、島民を何とか島から避難させてください。我々も何とか抜け出しましょう」
「抜け出すったって……」
「ここで待っているよりはマシです! ゼンさんも早く指示を出してください」
「わかった」
「一体何故こんなことが……」
島中にサイレンが鳴り響いた。続いてありったけの自衛団や民間の船が準備される。第二軍の攻撃が始まった。
射程が異常に広い艦隊の砲撃が島に降り注ぎ、ティティカはあっというまに火の海になる。ヴァル達はサラムとアスラを連れて海岸へと走った。
「オレの船はこっちだ」
シモンが案内するままに走る。シモンはいつもの眼鏡をしていない。こんな状況なのに、そのことについてサラムが尋ねると、シモンは「あれは伊達なんだよ」と短く答えた。
砲撃の音と、爆発の音しかほとんど聞こえなかった。曇った空は赤く染まり、綺麗だった緑の楽園は地獄のように思えた。
水辺の木々の間に置いてあったシモンの船は無事だった。個人的な趣味のためにしては少し大きすぎるモーターボートである。幾つか攻撃用の銃も装備してあるようで、この男が一体何ものなのか、余計にわからなくなるような代物だった。
シモンがエンジンをかけると大きな音を立てて動き出した。
第二軍の艦隊を目にして思わずヴァルが叫ぶ。
「こんな船じゃやられるって!」
「うるせえ。こいつは300キロ以上出るんだ。つかまってろ」
言うが早いか猛スピードで走り出し、思わずヴァルは吹き飛ばされそうになった。後ろでは船の縁にサラムが死にそうになりながらしがみついている。当然島への攻撃は続いている。目を開けると前方に黒い艦隊の姿が見えた。
突然、地響きのような音を立てて船のすぐ横に艦隊の弾が落ちてきた。アスラがシュカを見やる。
「あたしらがここにいるのがわかったみたいだね。シュカ、やる?」
「もちろんですよ。右の奴をやりましょう。そうすれば道もできますしね」
にっこり笑うと、シュカはこの猛スピードの中で立ち上がり、両手を右側の艦隊の母艦に向かって差し出した。その刹那、ミサイルが発射されたような風圧で船が揺れると、母艦は真っ白な光に包まれ、次の瞬間には爆発していた。
「すげえ!」
ヴァルが叫ぶと、今度は左の艦隊の母艦が爆発していた。振り返るとアスラが沈みゆく左の艦隊に向かって聖なる力を放った後だった。
「アスラ様、私は右の艦隊と言いましたが」
「そうだっけ」
アスラはとぼけたように言い、シュカは呆れてため息をついた。
母艦をやられたにも関わらず残った右左両艦隊の攻撃は止まない。むしろさっきの母艦の爆発でこの小さな船にアスラ達が乗っていることがわかったからか、攻撃は余計ひどくなってきた。それにアスラとシュカが応戦し、ヴァルもどこから持ってきたのかわからないバズーカ砲で撃ちまくった。シモンの運転は荒いが恐るべき反射神経で、決して砲撃に当る事は無かった。そうして爆発や水しぶきの合間をぬって時速200キロ以上の走行を続けた。
やっとのことで包囲網を抜け、目の前に陸地が現れる。
「陸に上がっちまえばこっちのもんだぜ」
バズーカ砲を肩から下ろし勝利の笑みを浮かべようとした刹那、後ろで大爆発が起きて船から振り落とされそうになった。振り返るとそこには追いかけてきた生き残りの艦隊の姿が。
「まずいですね」
さすがに三十路に近いシュカは疲れたのか座り込んでいる。アスラも少し息が上がっていた。ヴァルはバズーカ砲を構えたが、それより早く一番近い艦が沈んだ。振り返ると、陸地側で一時代前の戦車が煙を吐いていた。戦車の上で誰かが大きく手を振っている。
「リンレイか!」
嬉しそうに叫ぶヴァルを振り返ると、シモンはさっきよりもさらにスピードを上げた。
「いくらなんでも壊す事ないだろ」
スピードの上げすぎで浜辺につっこみ、バラバラになった船体をヴァルは見下ろした。
「うるせえ。助かったんだからいいだろ」
ヴァルとシモンが睨み合う横で、アスラはしゃがみこんでサラムに声をかけていた。
「大丈夫? 怪我とかない?」
「うん。ちょっと切っただけだよ」
先ほど後ろから追いかけてきた艦隊はいつのまにか消えていて、島を包囲していた大勢の艦隊もいなくなっていた。
「ヴァル!」
戦車のいた方からリンレイ達が走ってくる。久しぶりに見る仲間の姿だった。
「良かったな、無事で」
「ああ。さっきは助かったぜ」
ヴァルが礼を言うと、仲間の一人が首をかしげた。
「奴ら俺たちがしかけたらあっというまに逃げていったんだぜ。何でだ?」
「そうだな……シュカ、どう思う?」
ヴァルはシュカを振り返った。ヴァルの金色の髪から水が滴っていた。
「そうですね。ここも安全とは言えないかもしれません。早くここから去るべきでしょう」
「じゃ、俺たちと一緒に行こうぜ。最近見つけたいい場所があるんだ」
リンレイはそう言って笑った。
ヴァル達は五番街が無くなって以来、ウルドの少年達がよく来るという昔の街の廃墟に向かった。廃墟の中心部の古い屋根のある劇場が彼らの溜まり場である。
ヴァルがマリオラの家が爆破されてからの話をすると、少年達はみんな真剣になって話を聞いた。
昼間だというのに空は厚い雲に覆われていて、夜のように暗くなっていた。アスラがその異変に気を止めて口に出すと、シモンも同感のようだった。しかしウルドの少年達はそんな事よりもヴァルやサラムの話に真剣らしく、アスラも今日一日は休む事に決めた。
そんな中でシュカだけが一人、外の様子を見てくると言い廃墟の外に出て行った。
何世紀か前に栄えた街は中心の劇場を残して砂の中に沈んでいる。季節はずれの冷たい風が砂の上を滑っていった。アスラ同様、何かの異変に気づいたシュカは今にも雨が降りそうな空を見上げた。すると一瞬空が光り、異変を知らせるような轟音が鳴り響いた。雷が何処かに落ちたのだろう。
歩きながら視線を動かすと、視界に一人の影をとらえた。いや、一人ではない。後ろに複数の人間を従えた――
「……リグか」
シュカがその名を呼ぶと、ぽとり、と大粒の雨が落ちてきた。
その頃ヴァルはまだ話の続きを喋っていた。リンレイを含むウルドの仲間は少しずつ自分達の街が破壊された理由を理解し、そしてマリオラを失った事に対する憤りを感じ始めていた。
雨の音が屋内に響き、サラムはその場をぐるっと見回した。アスラは壁にもたれて座り、目を閉じて眠っている。おそらく今日の騒動で疲れているのだろう。ひょっとすると聖都の軍が攻撃を仕掛けてきたわけを考えているのかもしれない。雨粒が屋根を叩く音はどんどん大きくなり、サラムは自分のひざを抱きかかえた。
「……誰か、泣いてるみたい」
サラムの呟きに、ヴァルやウルドの仲間達の視線が集まる。目を閉じていたアスラもサラムを見やった。
「ああ、すごい雨だな……」
うめくようにヴァルが呟いた。アスラが天井を仰ぎ見る。どこかで雨漏りがしているような音がしていた。
それぞれが、それぞれの思いをめぐらせて沈黙が訪れたとき、ドドンという地震のような轟音が響き、地面が大きく揺れた。
「!」
アスラが反射的に立ち上がり、外へと走り出した。思わずサラムもそれを追う。その後をヴァルが追った。
「シュカ!」
バシャバシャと音をたてながらアスラは豪雨の中一人立ち尽くしている男のもとに駆け寄った。立ったままぴくりとも動かないシュカの前には大勢の人間が倒れている。それが死体だと気づき、サラムは思わず顔を覆った。
アスラは暗い空の下で白くぼんやりと浮かんでいるシュカに近づき、思わず息をのんだ。
「……リグが……」
聖都の聖者の一人、マリオラの座を引き継いだまだ若いリグが、シュカの正面に倒れていた。さっきの揺れはシュカが一撃のもとにリグに引導を渡した力によるものだった。
たとえ今敵同士とはいえ、少し前までは同僚だった人間、しかも女性であるリグをいきなり殺してしまうということは、シュカには考えられない。
アスラは理由を聞こうとしてシュカを見上げた。
シュカはずぶ濡れで、長い白金の髪は額にはりつき、思慮深い瞳はうつろだった。
「……とんでもない事を、この人がおっしゃったので……」
焦点をアスラにあわせると、シュカは曖昧に口元に笑みを浮かべた。
「……とんでもない事?」
「……信じられない……」
倒れているリグに視線を落とし、シュカは頭を抱えた。
「私は、どうしたら……」
建物の中に戻っても、魂の抜けたようなシュカは今までのように指示を出す事や笑顔で話すことさえもなく、一人で宙を見つめていた。あれだけの力を使った後は精神力も体力も消耗してるから休ませたほうがいいと、アスラも詳しく聞くことはせずに放っていた。
シュカのあんなに放心した姿を見せられたら、アスラでさえも話し掛けるのは難しいのだろうとサラムは思った。
実際、アスラは内心、本当に動揺していた。リグがシュカに何を告げたのか、そればかりが気がかりで。
豪雨はやまず、誰もが漠然と今後について考えていた。シモンはザーラークシャの人間と連絡を取り合っている。メイメイ達は何とか避難した島の人間と合流したようだった。ヴァルは仲間達と楽しそうに話していて、一人することのなくなったサラムは激しい雨音に耳を傾けてぼんやりしているうちに、いつの間にか眠りについていた。
目を覚ましたサラムが眠ってしまっていた事に気づく。時間はすでに深夜をまわっていた。辺りは静かで、雨もやんでいる。
サラムは誰かがかけてくれた上着を着て起き上がろうとした。
「起こした?」
隣を見るとアスラが座っている。暗い中でぼんやりと浮かぶアスラを見て、サラムはさっきまで見ていた夢の内容を思い出した。
「ううん、何か、夢を見たような気がする……」
ひざを抱えて座っている誰かの背中を見ている、そんな夢。声をかけても振り返ろうともしないその人は、泣いているようだった。
「……誰かが泣いてたんだ。その人、アスラの、名前を呼んでた。僕は見てるだけで、何にもできない。段々辺りが暗くなってきて、恐くなって目を覚ましたんだよ」
アスラはサラムの話に答えること無く、ただ驚いたようにサラムの顔を覗き込んできた。
「みんな寝てるのかな。雨、やんだよね」
「……シュカがいないんだ」
「え」
サラムは暗い屋内を見回してシュカの姿を探そうとしたが暗くてほとんどわからなかった。
「ビカラが『扉』を開き始めたんだ。だから、雨がやんだ。少しずつ、あの世が流れ込んでくる。なのに何でこんな時に……」
今まで何かあったときはシュカが色々やってくれたのに。
一体あのリグという人に何を言われたんだろう。
サラムが思うと、アスラも同じ事を考えているようだった。
「あの時リグに何を言われたか知らないけどさ、あたし達は早くビカラを止めないといけないんだ。明日の朝にでもここを出ないと……」
「そうだね。でも、明日までにはきっと帰ってくるよ」
「だといいけど」
アスラの呟きに、サラムは大丈夫と言った。正直、いつも断言する時のように確信が無かったが、アスラの心細さを考えると言わずにはいられなかった。
アスラとサラム以外の人間は今日の騒動で疲れて寝ているのか、ひどく静かだった。何となく闇が恐くて、サラムは自分の膝を抱きかかえた。横でごそごそと音がし、誰かが起きた気配がした。ヴァルのようだった。
「……ヴァル、起こした?」
「いや……何だか、嫌な予感がする」
「……?」
ヴァルの言葉に、怪訝そうな顔をしてサラムは辺りを見回した。真っ暗で、ほとんど様子がわからない。けれどヴァルの緊張感は横からピリピリするほど伝わってきた。
何かがおかしい。
何がおかしいのかまでは言えないが、何かの異変を三人は感じ取っていた。いつもと何かが違う。全身の神経を張り巡らせて暗闇を睨みつける。
「ヴァル、何か灯りつけて」
耐えられなくなったサラムはヴァルに頼んだ。ヴァルがポケットからライターを取り出し、カチ、という音と共に火をつける。その時だった。
「みんな起きろ! すぐここから逃げるんだ!」
シモンが叫んだ。
暗闇だと思っていた「何か」が蠢きだし、一斉に襲い掛かってくる。亡者のようにも、化け物のようにも見えるそれが一体何なのかアスラ以外知る者はいなかったが、本能が危険を知らせていた。「これ」から逃げなければならない、と。
異変に気づいた者が悲鳴をあげる。そして逃げていく足音。暗闇の中で状況は全くわからず、とにかくヴァル達は逃げることしかできなかった。
「あいつらに捕まったら最後だ! 早く外へ!」
アスラは出来る限り声を張り上げたが、一体何人が無事なのかわからない。苦痛にまみれた悲鳴が聞こえるたび、サラムはきつく目を閉じた。
追ってくるものの追跡を逃れて廃墟の外に出ると、空は奇妙なほどに晴れ渡っていた。
月の明かりの下でヴァルが逃げてこられた人数を見ると半分ほどに減っている。特にウルドの少年達の姿が見当たらず、ヴァルがもう一度廃墟に戻ろうとするとアスラが止めた。
「……もう無理だ。やめときなよ」
「まだ中に仲間がいるんだ!」
「死にたくないだろ! もう、中の奴らはとっくに死んでるよ……」
アスラに腕を掴まれてヴァルは振り返った。その目は大きく見開かれていた。
「……何で……」
「あいつらは餓えたあの世の住人なんだ。『扉』が開き始めたから、これからもこういう事はたくさん起きる」
アスラは唇を噛んだ。アスラ自身、あの時にもっと早く気づけたはずだった。『扉』を開く準備がこれほどまでに早く進んでいたとは。あるいは、シュカがいれば――。シュカのことで、アスラは動揺しすぎていたのだった。
「くそったれ!!」
廃墟に向かって走り出そうとしたヴァルの背中から、サラムがしがみついた。反動で二人とも地面に投げ出される。
「何で止めるんだよ!」
ヴァルは今まで彼に向かって決して見せなかったような凄い形相で、サラムに掴みかかった。サラムが怖さの余り泣きそうな顔をする。そして絞りだすような声で言った。
「……だ、だって、だって、あそこへ行ったら、ヴァルも死んじゃうよ……」
ヴァルの体から力が抜けた。
「ヴァルも死んだら、僕……」
よく見ると、サラムは震えていた。ヴァルはサラムから目をそらし、廃墟を見た。あの中で、何人もの仲間が悲鳴をあげて闇に飲み込まれていった――。
ヴァルが地面に拳を叩きつける。
「あいつらが何をしたっていうんだ!」
逃げてこられたヴァルの仲間達も放心したように廃墟を見つめていた。
「ヴァル……」
サラムはヴァルの顔を見上げた。逃げ遅れた仲間の中にはヴァルの片腕だったリンレイも含まれていた。こんな所で命を落とすには惜し過ぎる仲間達ばかりだった。
「あの世の奴らには相手が誰かなんてどうでもいいんだ。ただ恐怖と混乱でそこを満たす事ができれば」
「でもあれは序の口なんだろう」
シモンの言葉に、アスラは頷いた。
「まだ『扉』は開き始めたばかりだから……これからもっと恐ろしいことが起こる。特にこんな廃墟はああいう奴らの住処になるから近づかない方がいい」
アスラはヴァルの仲間達に忠告するように言った。その言葉を聞いてヴァルが立ち上がる。
あの時リンレイを、電話で呼び寄せたのはヴァルだった。こんなことにならなくても、もしかすると本当は聖都の軍との戦いで命を落とす者がいたかもしれない。多少なりともそんな事は知っていたはずだった。知っていたのに、呼び寄せた。死ぬかもしれないことを承知で。ただ、ウルドの復活を喜びたいだけの、事情をよく理解できない仲間を。
あるいは、ヴァルも同じように浮かれていただけなのかもしれない。このまま、仲間と共に戦えるという夢に。いつかこいつらと世界を変えることができたらと、五番街にいた頃はいつも思っていた。その夢が実現するのではないかと、少しも期待しないわけではなかった。その事だけでも十分リーダー失格だと、ヴァルには思えた。
「ウルドはもう、解散だ」
ヴァルはそう言って、ウルドの少年達に背を向けた。他に何をどう言ったらいいのか、ヴァルには見当がつかなかった。今自分が何を言ったところで、リンレイは、仲間は帰ってこないのだ。
すがるようなヴァルの声に、生き残った仲間は頷かざるをえなかった。そうして、それぞれがうなだれながら、それぞれの車やバイクと共に少しずつ消えていった。
「……こんな事になるなんて……」
もう一度ヴァルはしゃがみこんだ。この時ばかりは、アスラも先へ急かそうとしなかったし、シモンも嫌味を言わなかった。ただサラムが、泣いているようなヴァルの背中を抱きしめていた。
ウルドの仲間が置いていった車のラジオをつけると、各地でも似たような事件が起きている事がわかった。『扉』が開き始めた波紋はアスラの言うように様々なところに広がっているらしい。アスラが言うところによると、あの世が流れ込んできやすい場所、というところがあって、そういうところから徐々に被害が広がっていくということだった。
「たまたま、居た場所が悪かったってことかよ……」
アスラの話を聞いてさらにヴァルは深くため息をついた。
「あたしの、注意が足りなかった……もう少し早く、『扉』が開き始めていることに気づいて対処しておけば」
「……これからどうするんだ」
運転席に座っているシモンはアスラに問いかけた。先ほどの事件からすでに数時間が経過して、空は明けはじめている。この間にも『扉』はどんどん開かれているはずだった。
「とにかく、五番街に向かうしかないね」
アスラの一言で一向は東に向かった。そんなに遠くは無いはずだった。
しかし、途中でサラムが「おなかがすいた」と言い出し、一度車を止めた途端、車がエンストを起こし動けなくなった。すぐ近くの町の店に電話をかけて至急来てもらうように頼んだが昨日からの混乱のせいか、なかなか来ない。
しびれを切らしたアスラとシモンが歩いて町まで行くことになり、サラムとヴァルは車で留守番することになった。
「『扉』を開くって、具体的にはどうやるんだ? ビカラ一人でも『扉』は開く事ができるのか?」
シモンが歩きながらアスラに聞いた。
「……『ハレ』の世界に一番近い場所で数日間、力を使うんだ。力を使ってる本人はその間他に何も出来なくなる。『扉』を開くのはビカラ一人でもできるし、あたしが協力したらもっとすぐ終わる」
アスラが足元の石ころを蹴飛ばす。
「ビカラのすぐ傍にはジジイの聖者、ゾラがいるはず。身動きがとれないあいつを守るためにね。さらに五番街全体を、聖都の軍が守っているはずだと思う」
「簡単には忍び込めそうに無いか」
ち、とシモンが舌打ちをした。
アスラ達が車を出て行って二時間。気が短いヴァルが「遅い」とイライラし始めた。店が見つからないのか、それとも二人に何かがあったのかはわからないが、この事が車に残された二人の不安をかきたてたのは事実だった。
あたりは乾燥していて、風が起こるたびに砂が巻き上がった。車体にも小石がぶつかることがしばしばあり、外から見たら車体の表面の色々なところがデコボコになっているんじゃないかとサラムは考えていた。風が強く吹けば空が茶色く染まる。何度かその様子を眺めていると、茶色くかすんだ向こうに突然人影が浮かんだ。
「あ」
サラムが声をあげると、「帰ってきたか?」とヴァルが外をうかがった。しかし人影は一つだけで、サラムはあの二人でない事を直感で感じ取った。
「違う」
ゆるゆると首を横に振る。何故か心臓が高鳴った。ゆっくりと人影が近づく。その動きが止まった瞬間、サラムは叫んでいた。
「ヴァル、外に出て!」
驚くべき反射神経で外に飛び出したサラムとヴァルは、次の瞬間にさっきまで砂粒の攻撃を受けていた車がバラバラに吹き飛ぶ様を見ていた。
爆発がおさまるのと同時に風も静まる。茶色い風の向こうに立っていたのは、ローザを壊滅させ、マリオラを殺したはずの聖者の一人、クシティだった。
運良く爆発する車から逃れたサラム達を見てくやしがることもなく、クシティは前回と同じ漆黒の服を身にまとった姿で、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
サラムは口の中がカラカラになっていることに気づいた。
クシティとの距離が三歩程度になって、そして彼が立ち止まっても、サラムは身動き一つ出来なかった。
「サラムとは、お前だろう」
クシティがサラムを指差して言った。サラムは頷く事も出来なかった。横でヴァルが袖に隠していた銃をいつのまにか構えていた。風は止んでいる。
「答えなくてもいい。お前を連れて行く」
クシティがそう言ったとき、ヴァルの銃が煙を噴いた。
「質問に答えるのはお前だ。マリオラを殺したのか?」
ヴァルの弾はクシティの横をすり抜けていったが、今は銃口はちゃんとクシティの眉間を見ていた。
「……答える必要は無い。答えずともわかるだろう」
サラムは一瞬時が止まったような気がした。
全身の血液が逆流する。
何もかもが真っ白になった。
「うああああああ!!」
今までずっと片時も離さなかったマリオラの形見の剣を振りかぶってサラムはクシティに切り込んでいた。
「サラムやめろ!」
後ろでヴァルが叫んだときには、クシティの力によって返り討ちにあっていた。
空間を切り刻む事のできるクシティの聖なる力。
気がつくとサラムは後方に5メートルくらい吹き飛ばされて大量の血を吐いていた。
――熱い。体が熱い。
燃えるように熱くなっている胸のあたりに手をやると、べっとりと赤い血がついた。それを見てサラムは急に恐ろしくなった。
――死んじゃう。
何度も口から血が溢れてくる。
「サラム!」
ヴァルがサラムを見ていた。次の瞬間、彼はいつもそうするように左手に先ほどの銃を、右にマシンガンを手にしてクシティに戦いを挑んでいた。
「てめえ絶対殺す!」
持ち前の動物的勘でクシティの攻撃を避けつつ戦う姿を見て、サラムは自分の無力さを感じていた。相変わらずいろんな所から血は溢れ出て、もしかしたら自分の体はバラバラになっているんじゃないかと思った。
戦いはどう見てもクシティが優勢だった。ヴァルの銃はどうやってもクシティに致命傷を与える事ができないのに対し、クシティの攻撃は一度当たってしまえばほぼ即死に近い。それでもクシティの攻撃を避けつつ戦いを続けられるあたり、ヴァルと自分の力の違いをサラムは感じた。
――このままじゃヴァルが死んじゃうのに。
起き上がる力さえ、サラムには無かった。
――アスラ、シモン、……誰でもいいから、助けて!
よろめいたヴァルがクシティの攻撃を受けて倒れ、動かなくなるとクシティはサラムの方へと足を向けた。
その時だった。今まで全く気配を感じなかったはずなのに、屈みこんで誰かがサラムを見ていた。
「じっとしていなさい」
そう言ってその人がサラムの体を撫でると、痛みがすうっと消えていった。思わず起き上がると、彼はクシティと対峙していた。
「サラムを渡すわけにはいかないのですよ」
長い長い黒髪と、裾の長い服を揺らす後ろ姿がマリオラそっくりで。幼い頃の夢を見ているのかと思ってサラムは目をこすった。
先ほどまで余裕たっぷりだったクシティの目に、明らかに焦りの色が浮かぶ。先に仕掛けたのはクシティだった。マリオラを殺したときと同じ、手を滑らせて空間を断裂させる。しかし先ほどまでいた場所に『彼』の姿は無く。背後から切りつけられたクシティはよろめいて振り返った。
「あなたの力は私には及びません」
もう一度深く切りつけられて、クシティは断末魔の悲鳴をあげた。その向こうでにっこり笑った『彼』を見た後、急速な眠気のようなものに襲われてサラムは意識を失った。
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