第一章 白き無常


風を感じる。
擦り切れて色落ちしているズボンをはいて、ヴァルは金髪を風に巻き上げながら、額を丸出しにして走った。独りバイクで一日走った帰りだった。ときどき自分の住んでいる五番街を抜け出して遠くの世界樹をまわって帰ってくるのが彼の習慣だ。
世界樹はこの世に残された数少ない自然の姿で、四千年以上も生きているといわれている大木。「自然」のシンボルで、付近は保護区に指定されていた。
五番街が見え始めた頃、ヴァルは異変を感じた。空に、ただならぬ大きな灰色の煙があがっている。火事のレベルではない。まるで戦争の後とでも言うように黒くくすんだ空気が、五番街周辺を覆っていた。ビルの大群が大地から滑り落ちたように、街は瓦礫の山と化していた。
「何だ……?」
 ヴァルはスピードをあげた。
 ヴァルの住んでいる五番街周辺は、居住禁止区に定められていた。
資本主義社会が作り出した世界の影の部分。前世紀くらいまで栄えていた街がスラム化し、ギャングやマフィアの温床になっていた。使われなくなったビル街が構成する猥雑な迷路のような路地で、毎日どれだけの犯罪行為が行われているかわからない。
一旦この街に入ってしまえばどの法律も適用されなかった。力が全てであり、自分の身すら守れないものを待っているのは死だった。連邦政府――かつての国家だった――が、その五番外に対して取る事のできた最善の処置が居住禁止区に定める事だった。
だがそこに暮らしていたものには親のいない子どもや貧しいものが多く、郊外の家を買う金も無かったため、よそに移ることなど元よりできない相談だった。
そしてヴァルもそのような環境で育った少年の一人だった。
「ヴァル!」
 街に入る手前で聞きなれた声に呼び止められ、ヴァルはバイクを止めた。道路の反対車線に止まった車から見知った二人が顔を出している。
「サラム! 一体どうしたんだ? 街の方が変だ」
 ヴァルはバイクを降りて車に近づいた。中に乗っているサラムと呼ばれた子供はヴァルの友人で、十台になったばかりだった。不思議な瞳の色をしていて、どこの血が流れているのか判別しにくいような顔をしている。
街のほうから大きな爆発音が聞こえた。
「僕もよくわからない。でも、もう街は駄目だ。早く、ヴァルも逃げたほうがいいよ」
 サラムの普段のとぼけた感じとは違う真剣な顔から推測するに、よほど深刻な事情らしい。しかし逃げろと言われてもヴァルは納得しかねた。そんなヴァルに、運転席に座っていた女が声をかけた。
「皆、私の家に来るように言いました。街に戻るのは危険よ。ヴァルも私たちと一緒に行きましょう」
 マリオラはサラムの母親代わりで、三十台半ばくらいの女性だった。ラテン系の血をひいている彼女は、意志の強い、それでいて優しい表情をしていて、長い髪を揺らせながら毎日のようにサラムと共に五番街周辺に来ていた。彼女は違法居住区に住む子どもの面倒をボランティアで見ていて、シスターマリオラと呼ばれ、皆から親しまれていた。
マリオラの家は車で三十分ほど行った丘の上に一つだけ建っている。付近は五番街の近郊であるため治安が悪い。またそれに加えて生活をするのに大変不便な環境であるため、マリオラの他に住んでいる人間はいなかった。
 マリオラの家にはヴァルの仲間といえる少年や少女などが大勢逃げてきていた。もう街は戻るところが無いほど何もかも壊されているらしかった。
「ヴァル」
 マリオラの家に入ると五番街での仲間だった少年が近寄ってきた。
「リンレイ。一体何が起きたんだよ」
「俺もよくわかんねえよ。マリオラのおかげで俺らは大体みんな無事だ。お前がいないんで心配してたんだぜ」
「ああ」
 ヴァルがまとめている五番街の少年達のグループ、「ウルド」はマフィアですら手を出しにくい最強の少年ギャングと言われていた。しかしその中身はヴァルを心底尊敬している普通の少年達だった。東洋系の血を引くリンレイはそんなヴァルの参謀とも言える存在で、親友でもある。
「五番街が無くなったんだろ? 一体どういう事だ?」
「わかんねえ。でも、もうあそこは廃墟だぜ。戦争の後みたいだ。俺はこれから知り合いの町にとりあえず行く事にした。……ウルドは事実上解散てことになるな」
 リンレイはそう言って寂しそうに肩をすくめた。ヴァルは頷いた。見回すと、ウルドの仲間でない子供たちもたくさんその場にいた。街以外の人間で五番街の子ども達が頼れるのはマリオラくらいしかいない。マリオラは子ども達に、郊外に知り合いがいる場合は今すぐ連絡をするように指示をした。
その様子を見て、ヴァルがまたさっきと同じ質問をする。
「なあ、サラム。一体何が起きたっていうんだよ」
 サラムはヴァルの顔を見て、それからマリオラの方を見た。マリオラは「ここじゃなんだから」と言って自分の部屋に二人を案内した。
 ドアを閉めると大勢の声も聞こえなくなり、部屋は静かになった。必要以上のものは何もおいていないマリオラの部屋はいたってシンプルで、マリオラはヴァルに椅子に座るように言った。ヴァルが腰掛けると隣にサラムが座る。
「ヴァル。あなたはあの子達のリーダーだし、頭も良いから本当のことを話すわね」
「……本当のこと? 俺は今日一体何があったのか知りたいだけだよ。何で街がもう駄目なんだよ?」
 ヴァルは隣に座ったサラムを見た。
「あの辺一体の地域が襲われたんだよ」
 サラムの言葉に、ヴァルはさらに当惑した。金持ちのいる地域を過激派の団体などが襲撃する場合はあるが、ヴァル達の住んでいた場所を襲うメリットは見当たらないからだ。マフィア同士の小競り合い程度の事件しかおきない。
「ヴァルがおかしいと思うのはもっともだわ。五番街周辺が襲われる理由はないものね」
「ああ」
「私も何ともいえないけれど、やったのは聖都ストレアムの聖者よ。四人の聖者のうち二人がやってきて、あっというまに街は破壊されたの」
 あまりの衝撃に、ヴァルはしばらくの間瞬きすらできなかった。

 三世紀ほど前、全世界の宗教が『カーダ』という一つの宗教に統合された。
ある一人の神学者が、神の存在を証明したのだ。
それにより、それまで不可能とされてきた全ての一神教が統合された。
『カーダ』は全ての宗教の要素を含んでおり、真実に最も近いものとされている。その事から、『カーダ』は絶大な力を持つようになった。
『カーダ』はストレアムという聖都に本拠地を置き、この世の全てを支配するまでになった。また、聖都に集められた中でも最高峰に立つ者は『聖者』と呼ばれ、聖なる力を持つと言われた。
『カーダ』は今世紀中の『神の再臨』を預言しており、その為に聖者の指示のもと、人類の智を結集したプロジェクトが行われた。それは人類と神との間を結ぶこと。
そのための『鎖』として、二人の人間が作られた。神に最も近い存在として。
『鎖』を完成させた後の聖都の動きは一般人には知られていなかった。しかし世界中の誰もが、聖典に描かれている『神の再臨』を、今か今かと待ち望んでいた。
けれども、どのように『神の再臨』が行われるのか、具体的に知る人間はごくわずかだった。

「マリオラ、いくらなんでもその話は信じられねえよ」
 ヴァルは四方に跳ね上がっている金髪の毛先をもてあそびながら言った。マリオラが嘘をつかないことは知っていたが、疑わずにはいられなかった。
「僕も最初は目を疑ったよ。でもさ、本当なんだって。二人が来て、バーンバーンって音がして、
そしたらあっという間に」
 身振り手振りを加えて真剣に説明するサラムだったが、ヴァルの疑わしそうな目つきに「嘘じゃないのに」とこぼした。
 ヴァルはそんなサラムの真っ黒な頭をぐりぐりかきまわして、マリオラを見た。
「その話が、仮に本当だとしてもさ、何でそんなことするんだよ。だってさ、奴らだってあそこに人が住んでることくらい知ってるんだろ? じゃあなんで死人を出すようなことをいきなりするんだよ」
「違法居住区から立ち退けって指示は今までに繰り返しされていたわ。ある種の警告だったのかもしれないわね」
 ち、とヴァルは舌打ちをした。
「マリオラが何で聖都の連中やらが嫌いなのかわかってきたぜ」
「とにかく今は行き場を失った子達を何とかしないと。ヴァルからも説得してくれるかしら」
マリオラはそう言ってヴァルの顔をうかがった。十代後半のヴァルは、五番街周辺に住む少年や子ども達の集まりの、リーダーのようなものだった。生まれ持ったカリスマのせいなのか、ヴァルの言う事なら聞かない子どもはほとんどいなかった。
ヴァルは「わかったよ」と言ってマリオラと共に部屋を出て行った。
残されたサラムは、ヴァルにくしゃくしゃにされた黒い髪の毛をしばらく撫で付けていたが、ふと思いついたように窓辺にかけよった。
「雨降りそうだ」
 空のどんよりとした雲にそう呟いて、サラムは歌を口ずさんだ。


 マリオラの家に一時避難していた子ども達の行き先を探して、全員送り出すのに二日かかった。十六歳までは預かってくれる施設があるが、それ以上は知り合いがいないと行く場所がない。マリオラは自分の知り合いに、そのような少年が自立できるようになるまで預かってもらうように手はずを整えたりもした。
 一通り落ち着いたところで、マリオラはヴァルに問いかけた。
「ヴァル、あなたはどうするつもりなの。あなたなら何処へ行っても一人で大丈夫だと思うけれど」
 ヴァルは食事の手を止めた。大勢の人間が去った後とあって、食事はとても質素なものだった。
「どうするって、マリオラ達はどうするんだよ」
「私たちは、明日ここを出ようと思っています」
「明日!」
 驚いて声を上げたヴァルを見て、サラムがくすくす笑った。
「サラム、お前も行くのか」
「うん」
 頷いたサラムは実においしそうにパンをかじっていた。
「でも、何で出て行くんだよ」
「五番街周辺が壊滅したのなら、私がここにいる意味はないし、それに聖都の人間が何を考えているのかも知りたいと思っているわ」
「そうか……」
 ヴァルはそう言って考え込んだ。食器とフォークやナイフが触れ合う音だけがした。
正直なところ五番街で生まれ育ったヴァルには行く先など無かった。
「……」
 まだ黙って考えていると、パンを一つ食べ終えて次に手を出すかどうか思慮深く考えているサラムと目が合った。
 サラムは不思議な子どもだった。人一倍勘が鋭く、不思議な色の瞳はまるで人の心の中がわかるようで彼は何かある度に一番欲しい言葉を語る。それ以上に居るだけで場を和ませる存在感があった。仲間のウルドの少年達がそうであったように、ヴァルもサラムのことを大切な弟のように思っていた。
「……マリオラ、俺も一緒に行っていいかな」
「もちろんよ。その方がサラムも喜ぶと思うわ」
 マリオラが横目でサラムを見ると、ちょうど意を決して次のパンを手にしているところだった。


 夜は嘘のように静かだった。街があった頃は郊外でも様々な音が聞こえていていたが、今は何も聞こえてこなかった。サラムのベッドの隣にマットレスを敷いて横になっていたヴァルはため息をついた。
「やけに静かだよなあ」
「何か緊張するよね」
 天井を見つめながらサラムが答えた。ヴァルは体をサラムの方に向けた。マットレスがきしんだ音を立てる。
「明日ね、マリオラが朝の六時には出るって言ってたよ」
「早いな……」
「マリオラは、日が昇る時にはいつも起きてるんだ」
「へえ」
 朝は寝る時間になっているヴァルにとっては想像もつかない生活だった。そもそも、マリオラがどんな人間なのか、ヴァルは知らない。彼が知っているのは、五番街で子供の世話をするシスターマリオラとしての姿しかなかった。
「なあ、マリオラって一体今幾つなんだ?」
「さあ……」
 サラムは全く知らないようだった。
「さあってな、お前さ、家族みたいなもんなのに、何で知らないんだよ」
「だってさ、マリオラは一体本当は何処の人なのかとか、僕を拾うまで何してたのかとか、全然聞いたことないしさ」
「普通聞くだろ。気にならないのかよ」
「だってさ、聞けないよ。マリオラは僕の事も聞いてこないし」
「お前がマリオラに拾われたのは赤ん坊の頃だろうが」
「そっかあ」
 サラムは納得したらしかった。
「それにしても、お前も変な奴だよな。世界樹の根元に捨てられてる赤ん坊なんて多分世界初だぜ。俺と会ったのも同じ場所だしさ。何かあそこに縁があるんじゃねえのか」
「うーん」
 布団の中でサラムがもぞもぞ動く音が聞こえた。
 サラムは生まれたばかりの姿で世界樹のそばに捨てられているのを、マリオラに見つけられ、育てられた。マリオラは彼の故郷を探そうとも、本当の親を探そうともしなかった。自分の母親でない事を知りつつ、サラムはマリオラと母子とも兄弟ともつかない関係を続けてきていた。
 サラムが寝息をたてはじめた頃、廊下で物音がした。ヴァルが跳ね起きると、サラムも目をこすりながら起きた。
「……何?」
 この時間に来るのはろくな来訪者ではない。五番街で危険と隣り合わせに生きていたヴァルは思わず銃を引き寄せた。おそらく隣の部屋にいるマリオラも気づいているのだろう。
「ヴァル」
「しっ」
 状況が呑みこめていないサラムを毛布の中に押し込むと、ヴァルは銃のセーフティバーを外してドアに近寄った。意外にも、その時来訪者は控えめなノックをした。
「……?」
 思わずヴァルが首をかしげたとき、ドアが開いた。
「銃はおろしてくれる?」
 女の声だった。一瞬マリオラかと思ったが、違う人物だった。
「こんな時間に何の用だ。用件によっては撃つ」
 女の声に起き上がりかけたサラムを押さえつけてヴァルは照準を女に合わせた。女はかまわずに部屋に踏み込んでくる。月の明かりが女の姿を照らした。着ている服と髪型から、少女である事がわかった。夜の薄い光に少女の翠色の目が猫のように光る。
「ごめん。チャイムを鳴らしたかったんだけどさ、見つからなかったんだよ。マリオラって人はここに住んでるんだよね」
「マリオラに何の用だ」
「私がマリオラよ」
 ヴァルが警戒したまま銃を持っていると、マリオラが何気なく入ってきた。侵入者の少女は、ヴァルの銃を気にもせずマリオラの方を振り返った。ヴァルは二人の女の神経の図太さというか心臓に毛でも生えていそうな度胸に戸惑いを隠せなかった。
「あんた五番街の子ども達を逃がしてくれた人だね。不法侵入したことは謝るよ」
「別に怒ってないわ」
 全く警戒していないようなマリオラの声に、ヴァルは思わず銃をおろした。ヴァルの力が抜けたのを確認して、サラムも起き上がる。
「奴らがこっちに向かってるんだよ。それを教えに来たの」
「奴ら?」
「うん。聖都の聖者の一人、ゾラ=ホーガンと、その仲間。多分狙われてるのはあんた、マリオラだと思って」
「……」
 マリオラは黙って女の顔を見つめた。
「マリオラ、こいつの話信じていいのかよ」
 ヴァルが疑いの目を向ける。
「失礼だね。人が親切で教えにきたのに」
「うるせえよ。こんな時間に不法侵入するやつの言う事なんか信じられるかよ」
「ヴァル、僕は本当だと思うよ」
 突如口をはさんだサラムに自信たっぷりに言われてしまい、ヴァルは次の言葉が見つからなかった。何とかマリオラに抗議しようとしたとき、マリオラはこう答えていた。
「教えてくれてありがとう。二人とも、すぐに逃げましょう」
 ヴァルは開いた口がふさがらなかった。


 マリオラはサラムとヴァルと見知らぬ女を乗せて車を出した。助手席に乗っているヴァルが後ろを振り返ると、サラムはあっという間に女と打ち解けている。ヴァルは少々解せない気がした。いや、ヴァルがサラムの事を解せないのはいつもの事なのだが。
「あんた名前は? いくつ? マリオラの息子?」
「僕はサラム。年は十一歳。マリオラは僕のお母さんじゃないけど、僕を引き取って育ててくれたんだ。あなたは?」
「あたし? あたしはねえ……」
 女が言いかけた時、後方で激しい爆発音がした。振り返るとマリオラの家が爆破されていた。破片が車のボディにいくつか派手な音を立てて当たった。
「マリオラ、もっとスピードを上げてよ。奴らに気づかれた」
「わかってるわ。でもあんな人たちが相手じゃ、スピードなんか上げても意味が無いじゃない」
「そうだけど」
 何故か落ち着きはらっている女二人の会話にヴァルが冷や汗をぬぐう。
「お前らさ、何でそんなに落ち着いてるんだよ。相手は街を吹き飛ばした聖者の一人だぜ?」
 ヴァルの言葉に反応する者はいない。サラムなどは鼻歌を歌っているくらい暢気だ。ヴァルは銃の装備を確認した。カーチェイスなら何度かしたことがある。銃の腕だって自信があった。
「ヴァル、やめなさい。焼け石に水よ」
「けどさ」
 マリオラに制されて反論を試みたとき、目の前に人の影が現れた。急ブレーキで大きく車体が傾く。車は頭を大きく振って止まった。
「……ゾラ」
 聖都の最上の存在である聖者を目の前にして、まず車から出たのはマリオラと女の二人だった。サラムは毛頭から出る気が無いらしく、車の中から様子をうかがっていた。出るタイミングを失ったヴァルも仕方なく車の中で待機する。
 ゾラは背の高い青白い顔をした男だった。聖者の中で最も高齢なゾラは、月明かりの下でその青白い顔が余計青白く見え、まるでゾンビか吸血鬼のような容貌に見えた。
「……私に何の用かしら」
 最初に口を開いたのはマリオラだった。
一般人に神格化されている聖者。それを目の前にしてこれほどまでに落ち着きはらっていられるマリオラは、彼女をよく知っているサラムでさえ不思議に思えた。
「用があるのはお前だけではない」
 ゾラの声は低く冷たく響き渡った。直接頭に響いてくるような声だった。
「アスラ様。私とお戻りください」
 ゾラはマリオラの後ろに立っている女に向かってそう言った。思わず他の三人の視線が女に集まる。
「アスラ様が今日聖都に、いや神に反旗を翻したのはすでに知れ渡っています。しかし今お戻りになられるなら、間違った噂という程度でおさまりましょう」
 二つの名前、アスラとビカラを『カーダ』の信者で知らない者はいなかった。その二つの名こそ、神とこの世界をつなぐ二つの鎖につけられた名。聖都ストレアムの頂点に立つ、二人の神に最も近き人間だった。
「あたしは一度決めた事は変えない。ビカラが何と言おうと知らないよ」
「それでは、全てを敵に回すことになりますぞ。それに、あなた様自身のためにもなりますまい」
「まずあんたは自分の心配をするべきだね。あたしに殺されるかもしれないのに」
 アスラがそう言ったとき、突如嫌な気配が辺りにたちこめた。サラムは思わず自らの肩を抱いた。
「……」
 アスラを敵にすることの恐ろしさがわかっていたのか、ゾラは何も言わずにそのまま暗闇に姿を消した。嫌な気配は辺りから消え、夜の冷たい風が吹き始めた。おもむろにマリオラが振り返る。
「あなたは……」


 四人は車の中で一夜を過ごすことになった。行き先も目指す場所もあるわけではない。
これからどうするのか、アスラを交えて話さなければならなかった。
「あなたは『鎖』のプロジェクトで生まれた、あのアスラなの」
 マリオラがまず始めに一番率直な質問をした。聖都のトップの重要人物が「反旗を翻した」ということになれば状況はまた変わってくる。尋ねるマリオラの声も少々震えているようだった。
アスラは座席の背もたれに寄りかかりながら答えた。
「生まれた、なんてそんな言い方しなくていいよ。あたし達は作られたんだから。『神の再臨』のためにね」
「しかしよ、アスラとビカラなんて言ったら、聖都のトップのトップじゃねえのか。何でこんなところに」
「だから反旗を翻したってさっきの奴も言ってただろ」
 あっさりとアスラはヴァルの質問に答えた。ヴァルはそんな簡単な問題かと眉を寄せたが、この時はマリオラも同意見のようだった。
「でも、『鎖』のうち片方でも反旗を翻したなら、世界中に大きな波紋を及ぼすはずよ。あなたはどうしてこんな事をしているの。説明してくれるかしら」
 アスラは「いいよ」と言って足を組んだ。
「あたしは神の再臨に反対なんだ。神の再臨には、あの世とこの世の『扉』を開かなくちゃいけない。その為にあたしとビカラが作られた。でもね、そんなことしたら大きな犠牲がでるんだよ。この世にも、あの世にも」
「……あの世とこの世って?」
 サラムが聞き返す。
「『カーダ』の聖典の言葉では、あの世のことを『ハレ』と言い、この世のことを『ケ』と言うんだ。これは古い言葉だけど、要するに『ケ』の裏にあるものが『ハレ』。二つは鏡の向こうとこちらのようで、同じようで全く違う関係にあるんだ。その二つが鏡のようで仕切られているから、この世はこうして存在していられるんだよ。だから、この世とあの世の『扉』を開いたら……」
 アスラは言葉を切った。サラムがあまり真剣な顔をして聞いている姿に思わずアスラは笑うと、また続けた。
「でね、その犠牲のための第一歩が、『扉』のための場所をつくること。五番街のあたりはそれにうってつけだった。最終的に犠牲は多く出るんだから、始めに幾ら死んでも同じだって聖都では考えられた。再臨のための贄だと。恐れていては何も始まらないって。聖都の大多数がその考えを支持していて、ビカラもそうだった。だからあたしはその計画が行動に移ったときに、反旗を翻して計画の邪魔をした。あたしの時間稼ぎのお蔭で、当初より被害者が少なくてすんだんだよ」
「なるほど。聖者が二人も来ていてあんなに行動が遅かったのはそのせいなのね」
 マリオラは妙に納得したようだった。
「じゃ、今度はあたしが聞く番」
 アスラは両手をひざの上で組んだ。
「マリオラ、ううん、ライラ=ベル。十五年前、聖者の一人だったあんたは何で聖都から姿を消したんだい」
「……」
「マリオラ……」
 ヴァルがマリオラを見た。そんな話は聞いたことも無い。いや、マリオラの過去について知る者はヴァルの周りには一人もいなかった。
マリオラは、何かを言おうとしてためらっているようだった。
「本当なの、マリオラ」
 サラムが聞くと、マリオラは頷いた。マリオラは決して嘘はつかない。
「もう大分昔の話よ。私があの聖都を出た理由は大体あなたと同じ。『カーダ』の考え方そのものについていけなかったの。特に『神の再臨』について。それが私の本当の幸せだとは思えなかった」
「でも聖者だったのに……」
 サラムには不思議に思えて仕方がなかった。聖都でそんなに名誉のある地位にあった人が、何故こんな所で自分と暮らしているのか。しかも過去に何度も色々な街を転々として、質素な生活を続けて。
「私にはね、『神の再臨』の実現が、本当の幸せには思えなかったのよ。『鎖』のプロジェクトにも反対だったわ。色々な所で子ども達やサラムと過ごしてきたことの方が幸せだと思うのよ」
 最も彼女らしい答えだった。
「なるほどね」
 アスラは納得したらしく、頭を深く縦に動かした。車の外は驚くほど静まり返っている。元々綺麗とはいえない夜の空は、やはり今日も晴れ渡ってはいなかったが。
「ところで、アスラ、あなたはこれからどうするつもりだったの」
「あたし? あたしは、あんたを探しにきたんだよ。十五年も前に聖都から出て行った聖者なら、『扉』を開くのを阻止するために何をしたらいいのか考えてると思って」
「それじゃ一緒に行動する気なのか」
 ヴァルがため息をついた。
「何か文句あるわけ?」
「そうだよ。僕はいいと思うよ」
 すかさずサラムにも反論されて、再びヴァルはため息をついた。
「いや、だってよ、考えてもみろよ。マリオラは昔聖者だったんだろ、それに加えて聖都の要だった『鎖』の片割れが同行者に加わる。事がいきなり大きくなってる気がしねえか? ただじゃすまねえよ」
 ヴァルの言う事があまり理解できず、サラムは眉間にしわを寄せた。しかし現実的には的を得た意見だった。マリオラはともかく、アスラは完全に聖都だけでなく、カーダを信じる者全てを敵に回していた。
「大事になるのは、覚悟してたわ」
 マリオラは低い、落ち着いた声でそう言った。
「思っていたより、それが早くなっただけ。私は始めから何もかも全てを相手に戦うつもりでした。サラム、あなたも何度か私が戦う姿を見ているはずよ」
 サラムの脳裏に幼い頃見たマリオラの後ろ姿が浮かんで、消えた。黒い長い髪をなびかせて、長いスカートの裾を翻して戦う姿。
「五番街に来る前に街を転々としていたのは、聖都の人間に追われていたからなの。その度に私は逃げたわ。時が来るまで。でも、彼らが『再臨』のため行動を起こしたのは予想外に早かったわ。そして、アスラ、あなたが私のところへ来る事も予想してはいなかった」
 三人の顔へ順に視線を移していくマリオラは、いつもの聖母のような表情ではなかった。威厳があり、神々しくさえあった。過去に聖者であった彼女の姿が垣間見えた気がした。
「でもあなたが私のところへ来てくれたのは、私にとってはプラスになるかもしれないわ」
「待てよ、マリオラ。じゃあ始めっからマリオラはあんな大きな相手を敵に戦うつもりだったってわけか? 飯のとき俺にどうするかって聞いたときにも……」
「そうよ」
 孤高の戦士のような眼差し。かつて彼女はこんな目をしたことがあっただろうか。いつ如何なる時でも、優しい光をたたえた聖母のような――
「私は初めからこの戦いにあなたは必要だと思っていたわ。あの荒んだ街で、子ども達の尊敬を一身に集める力。何かあったときも、誰かの支えになってあげられる力が」
 ダン、と激しい音がして車体が揺れた。ヴァルが拳を車のダッシュボードに叩きつけていた。そこには鈍く罅が入っていた。
「最初から俺を戦いに巻き込む気だったのか!? だったら何で言わねえんだよ! それに、サラムはどうする気だったんだよ! こいつまで戦いに巻き込む気だったのか!」
 ヴァルは本気で怒っているらしかった。普段ヴァルが怒る場面に遭遇しないサラムは驚いて身をすくめた。
「……サラムも、必要なのよ」
「ふざけんな!! 説明しろよ。一体こいつに何ができるって言うんだよ、喧嘩の仕方も知らねえのによ……」
 ヴァルが振り返ったので、サラムは心配そうな顔でヴァルを見つめかえした。余計にヴァルは腹が立ったらしかった。しかしそんな彼にマリオラが返した答えは。
「まだ答えられないわ。私もまだよくわからないの。でも、サラムを危ない目に遭わせるつもりはないのよ」
「危ない目に遭わせるつもりは無いだと! あんな大きい敵と戦って危ない目に遭わせずにいられるかよ! あんたはサラムに人殺しさせる気なのか!? それでも家族なのかよ!」
 ヴァルの怒りは頂点に達したらしかった。
「俺はあんたの事を勘違いしてたらしいな。信じられねえよ!」
 そう言い残して、ヴァルは車を降りた。荒々しくドアが閉まる音と共に車内には静寂がおとずれた。ヴァルの後ろ姿は闇の中に小さくなっていく。そんな中で、アスラがぽつりと言った。
「……あんな奴いなくても何とかなるんじゃないの?」
「……そういうわけにもいかないの。ああ、もっと前に話しておくべきだったのかしら」
 マリオラは深くため息をついた。
「気にするなって。何とかなるよ。あんな奴のかわりくらいいるって」
 そう言ったアスラを一睨みして、サラムも車を降りた。
 車の窓から走っていくサラムを見て、マリオラは深いため息をついた。
「……もしも私がいなくなったら、あの子には、ヴァルしかいなくなってしまうのよ」
「……」
 何か自分にも思い当たる節があるのか、アスラも黙り込む。出て行ったヴァルについては、もう何も言おうとはしなかった。
サラムはヴァルの消えたほうに小走りでかけていく。妙に夜の大気が肌に冷たく感じた。
ヴァルは、道路から大分外れた荒地の、大きな岩の上に座っていた。
「ヴァル」
 サラムが声をかけると、ヴァルはまだ怒りのおさまりきらないような顔をしているものの、それほど恐い顔もせずにサラムに手を出した。サラムが来るのを始めからわかっていて待っていたようでもあった。
ヴァルの手につかまってサラムも岩の上にのぼる。
 元々砂漠だったらしいこの辺には、大きな石がゴロゴロと転がっていた。大地はずっと平らに、空との境目まで広がっていた。
「ヴァル、マリオラのこと、怒らないでよ」
「……やだね」
「マリオラは、皆の事を考えてるんだ。僕にだって、今まで優しくしてくれた」
「そんなの知るかよ」
 ヴァルは聞く耳持たないといった感じだ。
「だから、僕はマリオラのために、僕のできることはしてあげたいと思う。多分それは皆のためになるから」
「……」
 ヴァルは黙ったまま口を開かなかった。サラムも、何も言わない。しばらくの間、岩の間を通り抜ける風の音しか聞こえなかった。
「……俺は、マリオラがお前のことを危ない目に遭わせたりするのが許せない。場合によっては、戦いってのは人殺しもしなきゃいけない。そんな事をお前にさせようとしてるのも、許せない」
「危ない事があっても、マリオラが助けてくれるよ。それに僕は、マリオラのためなら、戦うことだってできる」
 ヴァルは考えているようだった。
「……俺が絶対にマリオラにはついていけないって言ったら、お前はどうするんだ」
「ヴァルとはさよならだね」
「……そこまで覚悟してるのか」
「うん」
 サラムは頷いた。
「でも、ヴァルが居た方が僕は嬉しいよ。だって、ヴァルは強いから、僕が危ない目に遭っても、マリオラと一緒に助けてくれるしね」
「……あー……」
 ため息とも何とも取れないような情けない声を出してヴァルは仰向けに体を倒した。
「あー! ちきしょー!」
 実にくやしそうにヴァルは言葉を吐き出したが、怒ってはいないようだった。サラムは満面の笑顔になった。
「じゃあ、マリオラのとこに帰ろうよ」
「やだね」
「!! 何で!」
「だってまだ怒ってるし。夜明けまで絶対帰らねえよ」
 そう言うヴァルは駄々をこねているようだった。サラムはしばらく不満そうだったが、諦めたのか一緒になって大きな岩の上で仰向けに寝転んだ。


 翌日になって四人はマリオラの希望で五番街から車で三、四時間かかるローザに向かった。ローザは閑静な町並みの高級住宅街である。マリオラが生まれた街であり、彼女はそこにどうしても必要なものがあるらしかった。
 アスラは徐々に風景が変わっていく様子を珍しそうに眺めながら言った。
「しかし、あんたも単純な奴だね。あんだけ昨日怒って出て行ったのに、こんな子どもに説得されて次の日に帰ってくるなんて」
 運転席にいるヴァルはバックミラー越しに後ろの席の女を睨む。
「うるせえよ。俺だって色々考えたんだよ」
「へえ」
 明るい中で初めて見るアスラの姿は五番街にいそうな感じの気丈な美少女だった。しかしその意志の強い瞳といい、かもしだす雰囲気といい、昨日マリオラが見せたものと同質の何かを含んでいた。
「マリオラ、一体ローザなんかに何を取りに行くつもりなんだよ」
「戦いに必要なものよ。それにあそこには私が聖都にいた頃の知り合いや、その他の仲間がたくさんいるわ」
「そいつらもマリオラの仲間なのか?」
「そういうことね」
 マリオラはヴァルに頷いた。助手席の彼女の後ろではサラムが気持ちよさそうに寝ている。ふいにアスラは何かに気づいたような表情をした。
「今日も、聖都の連中がちょっかい出してきそうだ……」
「わかるのか?」
「ビカラが動いた。間違いないよ。あたしらが何処に向かってるかもわかってるんじゃないか?」
「ありえるわね」
 二人のやり取りを聞いてやはりとんでもないものを敵に回したと再確認したヴァルだった。
 四人がローザに着いた頃は丁度昼過ぎで、空腹で目を覚ましたらしいサラムも目をこすりながらマリオラの故郷の地を踏んでいた。住宅街の中心部には高級マンション群が立ち並び、少し離れたところには広い敷地と共に一軒家が散在している。
「用があるのはこの建物よ」
 そう言ってマリオラが見上げたのは二十階建ての高層マンションだった。
「私の知り合い達もここへ来ているはず」
 四人はマンションのエントランスホールに入り、エレベーターに近づいた。突然、「あっ」という声と共にアスラが足を止める。
「……どうした?」
 ヴァルが振り返った。アスラの視線の先には一人の男の姿があった。
ただ立っているだけなのに不思議な存在感。間違いなく、聖都の重要人物である匂いがした。
「アスラ様」
 男はアスラの方に歩み寄った。長い白い衣と、白金色をした長い髪が揺れる。年は二十代後半か三十台にも見えた。
昨日出会ったゾラという男とは違う、何か暖かみのようなものがこの男からは感じられた。
「……シュカ」
 対するアスラがその名を呼ぶ声も、心なしか親しみがこもったものに聞こえる。
「私がここへ来た理由がわかりますね。アスラ様、聖都へ戻りましょう。ビカラ様も待っておられます」
「あたしは何を言われようと、帰らない」
「アスラ様」
 シュカは優しく諌めるようにその名を呼んだ。
「貴女には人類の期待に応える義務があるはずです。それはビカラ様も同じ。たとえ今貴女が反旗を翻したところで、大きな流れは止めるべくもありません。それにビカラ様とアスラ様が、相反する立場に立たれるという事態は全てに混乱を招きかねません」
「あたしとビカラに喧嘩してほしくないのはあんたの希望だろ?」
 アスラの言葉に、シュカはくす、と笑った。高級マンションのエントランスホールに、昨日ゾラに会ったときのような緊張感は無い。この男の優しそうな面構えのせいか。
「それに、あんたは本当に『扉』を開くつもりなのか。それでいいと思ってるの? あたしには、あんたが本当にそれを望んでいるとは思えない」
「皆の望みこそが私の望みです。アスラ様、どうかお戻りを。私は貴女を相手に戦いたくはありません」
 最後の方は頼み込むようにシュカは言った。アスラは首を横に振る。
「あたしはビカラと真っ向から戦うつもりだよ」
 固く決心されたその言葉に、シュカはため息をついた。どことなく、哀しげな表情に見えたのは気のせいだったのか。
「……そうですか。では一つだけ忠告しておきます。ビカラ様はアスラ様に本気で戦いをしかけるおつもりのようです。先ほど『ハレ』の世との契約をなさり、アスラ様の力を今日に限り『封印』なさいました」
「……!」
「そしてもうすぐ、ここに聖都第三軍を連れた聖者クシティ殿が攻めて参ります。確か、クシティ殿は同期の方でしたよね、ライラ殿?」
 突然話題を振られたマリオラは、はっとした顔をした。知り合いらしい。
「それでは、ご武運を」
 シュカは両手を合わせて目を閉じると、その場から忽然と姿を消した。おそらく聖者が使う事のできる聖なる力がもたらしたものなのだろう。あっ、と声をあげたヴァルと寝ぼけたサラム以外の二人は平然としたものだった。
「……今のは?」
 まだ眠気が覚めていないのか、とぼけたような声でサラムが聞く。
「四人の聖者の一人、シュカだよ。もうすぐ三十路で、あたしやビカラの教育係だった」
「それで親しそうだったんだな」
「ああ……」
 頷くアスラの表情は心なしか暗かった。マリオラも盛大にため息をついた。
「聖者クシティ……聖都第三軍……いきなり厄介なものを送り込んできてくれるわね。ここには迎え撃つ手段も無いわ」
「……まさかあたしもビカラに先回りされてるとは思わなかった……」
「『封印』のことね」
 マリオラが聞き返す。アスラは額に手をあてて、唇を噛んだ。
「聖都を抜け出したのは一昨日の夜中だ。他人の『聖なる力』を封じ込める契約には、丸一日以上かかるはずなのに。方陣を描いたり、準備だって……」
「想像を絶するわ。さすが、『鎖』の片割れとでも言うべきかしら。他人の力を封じ込めるなんて、やすやすとできるものではないはずだもの」
 そう言ってマリオラも一瞬考え込む素振りを見せた。自分より肝が据わっているはずの女二人の暗い表情にヴァルが焦る。
「一体どうするんだよ」
 ヴァルの顔を見ると、マリオラは突然能天気に、
「とりあえず目的を果たしにいきましょうか」
とだけ言ってエレベーターのボタンを押した。
「まあ、今日逃げ切れば明日からはあたしの力も使えるし、心配しなくてもいいんじゃない?」
 同じくいつも通りの表情に戻っているアスラが笑うのを見て、やはり女は強い生き物だとヴァルは再び思った。
 マリオラがチャイムを鳴らして入ったのは十二階の角の部屋だった。マリオラと同年代くらいの東洋系の女性が笑顔で四人を迎え入れる。
「久しぶりね。何年ぶりかしら」
「そうね、四、五年ぶりかしらね」
 短い会話を交わす二人は知り合いのようだった。
「マリオラの知り合いか?」
「ええ、私が聖都にいた頃一緒だったメイメイよ。メイメイ、この金髪の子が五番街にいたヴァル、こっちの背の低い子がサラム、そしてこの女の子がアスラよ」
 最後の名前を聞いたとき、一瞬メイメイは細い目を見開いた。彼女もアスラという名が示す意味を知っているのだろう。けれど彼女は何か聞こうとするのをやめ、先にサラムに手を差し出した。
「マリオラから何度か聞いているわ。あなたがサラム君ね。よろしく」
「はい、よろしく」
 サラムは手を握り返して得意の笑顔を向けた。他の二人にも軽く会釈をすると、メイメイはもう一度マリオラの方に向き直った。
「マリオラ、以前あなたと共に聖都から出て行った仲間たちは知らせを受けてここに集まってきているわ。それに、他の仲間たちも。これからどうしたらいいの」
「……残念ながら、ここを本拠地にするわけにはいかなくなったわ。聖者クシティが聖都第三軍を引き連れてここに向かっているの。みんなには早くここから逃げるように言って」
「何ですって……」
 メイメイは予想もしていなかったらしかった。言葉も出ないメイメイに、マリオラはただ頷くと、
「私の剣は無事かしら」
と聞いた。メイメイは奥の部屋を指差した。黙って奥の部屋へ向かうマリオラにサラムが声をかける。
「マリオラ、剣て何?」
「……武器よ。聖なる力の攻撃を受けない武器。私があれを持って戦っているのをあなたは見たことがあるはずよ」
 そう言うマリオラの言葉に、ぼんやりとそのようなものを持って戦うマリオラの姿が浮かんだ。入り口近くの電話でメイメイが他の仲間に連絡を取っている。
 奥の部屋のクローゼットを開けると、黒光りする大きな直方体の箱が出てきた。マリオラはそれを開けようとして、その手を止め、振り返った。
「この剣は、これからの戦いで無くてはならないもの、最後の切り札なの。だから何があろうと決して手放さないで」
「……聞いたことがあるよ、その剣。確か大地の民が作った剣だろ。聖都の軍の中でも知れ渡っていた奴だ」
「そう。だから手放さないで」
 アスラの言葉に更に念を押すようにマリオラは言った。遠くに大勢の人間の声を聞いた気がした。間違いなく聖都第三軍は近づいていた。
 マリオラは箱を開けると、布で丁寧に巻かれた細長い物体をサラムに渡した。何事かわからずにサラムがマリオラを見上げる。
「サラム、これをあなたに渡すわ」
 思わずサラムが息を呑む。
「ちょっと、マリオラ、あんたこれ無しでどうやって戦うつもりなんだよ! これから聖都第三軍がやってくるんだよ、あたしは力が使えない、それじゃ一体……」
「今すぐ、メイメイ達と逃げなさい」
 マリオラがそう言った瞬間、大きな爆発音がした。すぐ隣の高層マンションが崩れ落ちる。メイメイは悲鳴をあげて部屋から出て行った。
「マリオラ、何を言って……」
「今のあなた達じゃ戦えないわ。ここには何の設備もない。逃げるしかないのよ。今私たちは、あなた達とその剣を失ったら何もできなくなるわ」
 何も知らない大勢の人が声をあげて散り散りに逃げていった。派手な音は立て続けに鳴り響き、地震のような轟音と共に建物が沈んでいく。その様はまるでアスラやマリオラ達を探しているかのようでもあった。
「マリオラは、どうするの」
 ぽつりと、サラムが聞いた。何を聞いてるんだよとばかりにヴァルは笑おうとしたが、次のマリオラの言葉でひきつったまま動かなくなった。
「私は、ここで戦うわ」
「な、何言ってるんだよ! 相手はクシティだよ、それにあんたはもう聖者じゃないんだ、力がそうそう使えるわけじゃない!」
「大丈夫よ、クシティとは昔からの馴染みだわ。きっと何とかなるわよ。それに私の力はまだ衰えてはいない……」
 マリオラがそう言ったとき、ひゅん、という風の音とも何ともつかないような音とともに周囲が突然明るくなった。マリオラ達のいる階より上が綺麗に吹き飛び、今いる部屋が空の下にさらされたせいだった。
「こんなところに隠れていたのか」
 現れたのは昨日会ったゾラでも、階下で会ったシュカでもない聖者、クシティだった。全身を黒で固めたクシティは吹き飛んだ壁の端に立ち、黒い髪を風になびかせていた。
「クシティ……」
 マリオラはクシティの方に向き直り、他の三人を庇うようにして立った。その声には、一瞬だけ、ある種の懐かしさが含まれているような感じがした。
「……俺と戦うつもりか。どちらにしろ、お前に勝ち目は無い」
「サラム、逃げなさい」
「サラム……? お前と同行しているガキか。黒いのと金髪とどっちだ?」
「アスラ! ヴァル! サラムを連れて逃げて!」
 鋭いマリオラの声にサラムの手と腕をそれぞれにとってヴァルとアスラが逃げようとしたとき、とてつもない風圧が起こり、三人を吹き飛ばした。
「させるものか」
 ふわり、とクシティはアスラの前に降り立った。
「ビカラ様から命じられた。悪いが力の使えぬ今のうちに死んでもらおう!」
「裏切り者には死ってこと? ビカラも案外厳しいね」
 軽口を叩いてはいたが、アスラの表情は真剣そのものだった。
「ビカラ様の考えは我々聖都の考えだ」
 クシティが右手をアスラに向けたとき、後ろからマリオラが後頭部に蹴りを入れていた。思わず倒れるクシティの向こうから、マリオラが叫ぶように言った。
「早く逃げて! 今あなた達を失うわけにはいかないの!」
「えっ……」
 サラムが一瞬戸惑う。今まで何度もマリオラに助けられたことはあった。
けれど、何か今度ばかりは嫌な予感がした。
「行くよ!」
 渋るヴァルやサラムよりもいち早く状況を察したアスラがサラムの腕を掴んで走り出した。第三軍を束ねる聖者クシティに一般人が叶うはずも無い。今この状況で、この四人の中で彼に対抗しうるのはマリオラしかいなかった。
 行きたくない。
 サラムが心の中で叫ぶ。でも何故か声が出ない。
「させるか!」
 クシティが大きく左手を宙に滑らせると、空中にできた刃がアスラを襲う。それを自らの身で止めて、マリオラは叫んだ。
「ヴァルも逃げなさい! 私は後から行くから!」
 ヴァルは答える言葉が見つからず、何度か振り返りながら走り出した。マリオラは肩から胸にかけて大きな傷を負っていた。
「後から行くから、か。随分な自信だな。下には聖都第三軍が待ち構えている。お前が生き抜くこと、それが何よりも一番難しいだろう」
 クシティは続けざまにかまいたちを放った。
「昔はこうして、あなたに力の使い方を教わったこともあったかしら」
「そうかもしれんな」
 短く、言葉を交わす。
かつての同僚で癖を知り尽くしているマリオラはそれをギリギリで避けつつ、反撃の機会を狙っていた。相打ち、もしくは多少の足止めにでもなれれば良いと――。


 息を切らせながら三人は階段を下りた。エレベーターは当然のことながら故障していた。アスラは片手でサラムを引っ張り、サラムは腕にあの剣を抱き、ヴァルは走りながら銃の装備を確認した。階下に軍が待っているのはわかっていた。でも逃げないわけには行かない。ならば戦うしか。
「ヴァル、聖都の軍の輩には銃は人並み以下しか効かないんだ! 『聖水』で強化されてるから……」
「聖水?」
「……それはまた後で話すから! 奴らは、あたしらがあの入り口から出たとこを一斉に襲ってくるはずだよ! どうする!?」
 息を切らせながらアスラが聞く。絶体絶命だった。武器はかろうじてヴァルが持っている銃が二丁、そしてマリオラの剣。聖都の軍なんかに包囲されて無事に出られるわけはない。ヴァルは何も思いつかなかった。けれど、生きて出なければ。
「二階から飛び降りよう!」
 突拍子もない提案をしてきたのはサラムだった。
「出入り口が塞がれてるんだったら、上から飛び降りればいいよ! 後はさっき止めた車のところまで走ればいいし」
「お前なあ! 車が無事かどうかもわかんねえのによ!」
「大丈夫だよ」
 息を切らせながらもにっこり笑うサラムにヴァルはなんと返していいかわからなかった。
「とにかく、やってみるしかない。あたしも今は他に何も思いつかないよ」
 そう言ってアスラも賛成し、三人は適当な部屋に走りこみ、勢いよく二階のベランダから飛び降りた。
一斉に集まってくる兵士達を銃で撃ちながら三人はまた走った。
気功術なのか何なのか、不可思議な光る物体が三人に降り注ぎ、次々と爆発した。これがいわゆる『聖なる力』なのだろう。
「サラム! 生きてるか!」
「うん! 車はあっち!」
 ヴァルはサラムの心配をしたが意外と彼は冷静だった。アスラは足と腕を負傷したらしく、苦痛の表情で走っている。ようやく無事そうな車に辿り着こうとしたその時、三人の前に十数人の兵士が立ちふさがった。
「くそっ」
 銃の中身は空になっていた。弾を詰め替える暇も無い。兵士のうちの一人が言った。
「アスラ様。お許しを」
 兵士達は両手のうちにさっきの光る物体を作り出した。一気に勝負を決めるつもりらしい。
「ちっ、お許しをとか言って全然反省してねえじゃねえかよ」
 ヴァルが吐き出すようにそう言ったとき、さっきの光る物体とは別種の白い閃光が閃き、地響きのような音と共に目の前から兵士達が消えていた。
「アスラ様!」
 聞き覚えのある声がしてアスラが振り返ると、今朝出会った聖者――シュカがいた。
「アスラ様、大丈夫ですか!」
 シュカが走り寄ってくる。
「こんな怪我なさって! 早く、逃げないと!」
 状況がのみこめず呆気に取られているヴァルとサラムを尻目に、シュカは布などをとりだしてアスラの腕の怪我に巻きつけた。アスラが大きくため息をつく。
「……シュカ、お前、さっきの態度と矛盾が……」
「目の前であんな下級兵士にアスラ様が殺されるなんて黙ってみてられなかったんです!さ、早く! 早く逃げましょう!」
 突然現れた敵のはずの男は、三人をさっさと車に押し込んだ。堂々と自分も乗り込んでくる男に何か言い知れぬ不安を感じつつも、ヴァルは今の状況よりはマシだとアクセルを吹かした。


 走り出したヴァル達の車に聖者の一人のシュカが乗っていることを悟ると、追っ手の数は次第に減っていった。三十分も走るとシュカがほとんどを始末したせいもあって追っ手のくる気配は無くなった。
ようやく安全そうな、道路から大分外れた崖の下にヴァルが車を止める。すると誰よりも先にアスラがシュカの胸倉に掴みかかった。
「シュカ! お前一体どういうつもりなんだ!」
 言いたい事を先に言われ、ヴァルが戸惑う。シュカは割と造作の良い、端整な顔を優しくほころばせた。
「そんな、怒らないで下さい。気が変わったんですよ。さっきは、ビカラ様の命を受けていたのでああいう事しか言えなかったのですが、アスラ様の決意が固いとなると、私もどうして良いか迷ってしまって……」
「助けてくれてありがとう」
 サラムが助手席から礼を言うと、シュカは「いえいえ」と手を振る。アスラは更にきつくシュカを睨んだ。
「サラム、あんたも礼なんか言うんじゃない。こいつは何か裏があってあたしらに手を貸したかもしれないんだ」
「……そうなのか」
 妙に納得したヴァルが頷く。気がつけば彼は銃口をシュカに向けていた。
「そんな事仰らないで下さいよ。私は、そんな裏なんて……」
「そうだよ。この人は僕らを助けてくれたんだ」
「あんたはこいつの事を知らないからそう言えるんだ。やさ男の見た目とは裏腹に聖都第一軍を配下におく、聖都最強と恐れられている『死神』なんだぞ」
 さっきの情けない声と、本当の姿があまりにも合わなくて、サラムは理解できないという顔をした。シュカも胸倉をつかむアスラの手をほどいて言う。
「そんな、最強と恐れられているなんて、本当に『聖都最恐』なのはアスラ様でしょう」
「うるさい」
 シュカの顔面にアスラの拳が飛ぶ。こちらは納得ができるとサラムは笑った。
「とにかく、お前があたしを助ける理由がわからない。説明しろ」
「わかりました。あの、その銃はもう下げていただけますか」
 にっこり微笑みかけられ、ヴァルはしぶしぶ銃をさげた。すみませんと言ってシュカが頭を下げると白金の長い髪が絹糸のように揺れた。
「あたしは、お前はビカラの味方だと思っていたが」
「……はい、そうなんですが、同じようにお育てしたアスラ様も、私にとっては大切な方なので。そのような方をみすみす見殺しにすることは……。それに、お二方が喧嘩をなさるのなら、対等な条件でなさっていただきたいと」
「……」
 聖者、つまり尊いものであるはずのシュカの妙な発言に、ヴァルは思わずサラムに声をかける。
「……こいつ、何か変じゃねえか?」
 「そう?」と首をかしげるサラムのかわりにアスラが答える。
「何か変なのは前からだ。で、シュカ。あたしを助けたってことは、ビカラに敵対するってことになるんだよ」
「はい。覚悟しております。私も、アスラ様の仰るように、『扉』を開く事を本当に望んでいるわけではありませんし。『扉』を開いてしまえば何が起きるか私も知らないわけではありませんからね」
「……」
 アスラはやっと納得したようにシュカから目をそらした。代わりに今度はヴァルが聞く。
「じゃ、お前も俺達についてくるって事か?」
「そういうことになりますね。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 シュカに対して三人の中で一番好意的なサラムが頭を下げる。そうして二人のみの間にのほほんとした空気が漂った刹那、サラムがぽつりと言った。
「でも……マリオラ、大丈夫かなあ……」
 はっとしてヴァルがサラムを見る。サラムも顔を上げてヴァルを見ていた。不安そうな二人をよそに、後ろの二人は
「さっきの『変なのは前から』ってどういう意味ですか!」「だからお前は変なの」と盛り上がっている。
「大丈夫だ。多分今日中にはここに電話掛かってくるって」
 ヴァルがそう言って電話を指差すと、
「うん、そうだよね」
と言って頷いた。
 ラジオをつけると、聞いたことの無い異国の歌が流れてきた。

 

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