第三章

「早くここから出た方がいいんじゃないの?」

 目の前の数人を倒したミスティが奥で物陰に隠れているカークに言った。

「なんで」

 出てきてうなずいたカークとは反対にヒイロは聞いた。

「馬鹿野郎。ミスティが逃げたって知った訳だからあっちは何かの手をうってるはずだろ。それにそろそろクリスとダグラスも約束の場所に行ってる頃だし」

「そっか。そうだね」

  軍服を着てスキンヘッドのミスティを含む三人は走って合流地点に向かった。

 合流地点は孤児院から少し離れた、ダグラスのトラックが止めてあるところだった。

「もう先行っちゃってたらどうしよう」

「そんなことあるかよ。おいていかれてたら俺達絶対捕まって殺されちゃうんだぞ」

「うわー……」

  おもわず絶句したヒイロだった。

 

 

 

 しかしその頃。

 クリスは重態に陥っていて階段の踊り場でうずくまったまま動けなくなっていた。

──さてこれからどうするか。

 クリスは唇をかんだ。

 先ほど負った傷で立つのがやっとだ。ましてや階段を降りるなんていうのは途方もない事だった。

 外に目をやったが敵が動く気配はなかった。

──なんだかよく分からないがやばそうだ。

 何とか逃げようと思ったがここは棟の4階。下まで降りるのは地獄の思いだろう。

 そうして身動きとれずにいると、下から声が聞こえた。

「クリス! 何やってるんだここはもうすぐ爆破されるんだぞ!」

 一瞬にしてクリスの顔が青くなった。

──動けない。しかし今のは……?  カークか?  なぜそんな情報を知ってるんだ?  まさか……敵の罠か?

 クリスの思考はどんどん悪い方へ向かっていく。重傷を負っているせいもあるのかもしれない。

「クリス!」

 下から駆け上がってくる足音が聞こえた。

 

 

 

「ダグラスさん……!?」

 集合場所に戻ってきたヒイロ達はそこにダグラス一人しかいないのに驚いた。

 しかもダグラスは片腕にかなりの重傷を負っている。

「クリスは!?」

ヒイロが聞くと、ダグラスはただ一言

「まだだ」

 と言った。

「だって、まだって……大丈夫なんですか? クリス一人なんでしょ?」

「平気平気。それよりそっちにいるのがミスティっていうのかい」

「……」

 ダグラスはヒイロそっちのけでミスティに話しかける。

 ヒイロはこの時ほどダグラスがくそじじいだと思ったことはなかった。

「スキンヘッドの女とは、あんたも珍しい」

 ダグラスのその一言にミスティは機嫌を悪くし、カークに一言、

「このくそじじいも仲間なのか。最低だな」

と言い放った。

 

 

 

 クリスは下からあがってきた、自分を助けに来た人物を見て呆気に取られた。

「……????」

  カークではなかった。

 きちんと着込んだスーツと、ちゃんと整えてある赤毛。

 あまりの変容に、クリスは一瞬言葉を失った。

「……あ、あれっくす?」

  なんで……と言いかけたクリスをアレックスは担ぎ上げると、大急ぎで階段を降り始めた。

「動けないんだったら早くそう言えっていうんだ馬鹿野郎」

そう言って階段を四段飛ばしで降りていくアレックスの胸ポケットから雑音交じりの音が聞こえてきた。

『爆破まであと10秒。9、8、……』

クリスが変な顔をしていると、アレックスは四段飛ばしを五段飛ばしに増やして階段を降りながら言った。

「盗聴機だよ」

脅威の速さで階段を降りきり、外に出て、アレックスはさらに走った。爆風の巻き添えを食えば二人とも吹き飛ばされてしまうからだ。

『3、2、1……』

 大きな音とともに地面がゆれた。すぐに猛烈な爆風が背後から襲う。

 クリスとアレックスは思い切り吹き飛ばされていた。

 壊れかけの孤児院がいっきに崩れる。中にいた軍はほとんど全滅だろう。こんな爆発で生きている方がおかしい。

「がっ……」

 クリスの上から壁が崩れてきた。瓦礫の山に足を押しつぶされる。

 一通りあたりがおさまった頃、瓦礫の中から這い出したアレックスは、身動きの取れないクリスをひっぱりだし、また担ぎ上げた。

「大丈夫か」

「……全然」

 きっと骨折くらいはしてるだろう足をみながらクリスはこの先を考えて暗くなった。完全に傷が治るまでは少なくとも一ヶ月はかかりそうだからだ。そんなにかかっていてはヒイロの病気が発病するかもしれない。クリスはそんなことを考えながら気を失った。

 また、アレックスのポケットから声が聞こえた。

『爆破完了。死体の確認を急げ』

「ちっ。しつけえな」

 アレックスが舌打ちをした。

 

 

 アレックスがクリスを抱えて現れると、ミスティは思いきり驚いた顔をして、何を思ったのか突然ダグラスのトラックの中に走り込んでいった。

「……みすてぃ?」

 カークが怪訝そうな顔をしてミスティを窓の外から覗き込む。

 アレックスはトラックの荷台にクリスを降ろすと、カークの方を振り返った。

「ミスティだって?」

「は? ……はあ……」

 あんた一体誰と言おうとしたカークを無視してアレックスはトラックのドアを開ける。

「ミスティ! ミスティじゃねえか! ひさしぶりだな!」

 アレックスは思いきり笑顔を見せる。

 ミスティは必死に帽子をかぶっていた。

「ミスティ、どうした……ああっ! 頭どうしたんだよ!」

「……見せたくなかったのに」

ミスティは下唇をかんだ。

「……知り合い?」

カークがミスティの方を覗き込む。

「ああ。アレックスだよ。話しただろ、ロジャーと逃げだした頃……」

「あー!! ……えっ……でもアレックスは死んだって……」

「うるせえ。詳しい話は後、後。ダグラス、車はやく出してくれる、すぐに追手がきそうだから」

 アレックスは荷台にのせた意識不明のクリスをトラックの座席にのせ、それからヒイロものせた。

 ミスティとカークには荷台に乗るように言い、自分もそうした。

 ダグラスが車を出す。

 すぐには追手は来ないようだった。孤児院の瓦礫の中から死体を一体一体確認するのに精一杯なのだろう。風を受けながらアレックスはこう言った。

「髪の毛ないのもかわいいんじゃないの」

 ミスティはふてくされたように横を向いた。(中ではクリスが瀕死の状態だというのに、まったくのん気な奴等ですね……)

 

 

 

 ダグラスの家に着いてから、クリスの手当てをするアレックスをヒイロはまじまじと観察した。

──すごい人すごい人って聞いてたから見た感じもすごそうなのを想像してたけど。

 ヒイロから見た感じでは、背丈はクリスと同じかそれより低いくらいでそんなにマッチョにも見えないし、うわさに聞いていた逆毛はきちんと櫛がとおっていて、格好もなんだかスーツなんか着てるから、その辺の銀行員なんですと言われても納得がいく──ましてや話で聞いていたすごいアレックス像とは似ても似つかない存在だった。

 しかし傷の応急処置は医者以上に的確だったのでヒイロは素直に感心し、黙って見ていた。

 しばらくしてアレックスは手当てが終わったらしくクリスから離れた。

 そして立ち上がったアレックスと、ヒイロは目が合ってしまったのでなぜか急に緊張してしまった。一方アレックスの方はヒイロに笑顔で話しかけてきた。

「君は? クリスのお友達?」

「い……いや、お友達では……」

「この件に絡んでるの?」

「はい、えっと……Kウイルスにかかってるんです」

「え」

アレックスはヒイロに近づこうとして、一瞬後ずさった。

「大丈夫ですよ。ミスティの弟のロジャーが作った薬で、他人にはうつらないようになっているみたいですから」

「……まじ?」

 アレックスはまだ不安そうな顔をしていたが、近づいてきてヒイロの隣に座った。

「何でかかったの?」

「あ、えっと……話すと長くなるんですけど、クリスを助けた翌日に家にいたら連れて行かれて、気がついたら……って感じです」

「あっそう。それは、大変だなあ……」

「あのう、あなたがSAND GLASSを消滅させたって聞いたんですけど。Kウイルスはどうするんですか? それとあなたは死んでるって聞いたんですけど。クリスから」

「あー、えー、えーと。それはまた後で話すよ。クリスが起きた時にね」

アレックスは立ち上がると、「みんないろいろ大変なんだ」とぼそぼそ言いながらミスティのいる部屋の方に歩いていった。

──なんか、変な人だなあ……。

ヒイロは自分の中のアレックスヒーロー像が崩れつつあることを悟った。

 

 

 

 

 

「今何時?」

「午後四時半」

 アレックスにミスティが時計を見ながら答えた。

「あー、あんまり時間ないな」

「え?」

「クリス起こそう。な、そうしよ」

 そう言ってアレックスはクリスの寝ている周りにみんなを集めると、クリスの鼻をつまんでほっぺたをつねった。

 クリスが苦しそうに目を覚ます。

「クリス、起きたか」

「あ……」

 クリスは何が起きたのかかよくわからない感じで周りを見回した。

「俺って死にそうだったの?」

 とぼけた問いかけにヒイロが吹き出す。

「馬鹿野郎これから大事な話するんだよ。誰もおまえのことなんか心配してないっつうの」

「……」

 クリスは自分の横にいる人物をまじまじと見つめて、それから、大声をあげた。

「そうだ! なんで生きてるんだよ!  死んだんじゃなかったのか!?」

「だーもーうるせー。それをこれから話すんじゃんかよ」

「クリス。聞いたよあんたアレックスと知り合いだったんだってね」

ミスティが口を出す。

「あー! 髪の毛!」

おもわず指差したクリスをアレックスがはたく。

「俺に話をさせろ! 俺は今日の夜にイタリアに飛んでいかなきゃならないから」

「何で?」

「バチカン市国に行くの」

「だから何で」

「だからっ……! これから全部話すんだってば!!」

クリスとミスティの激しいつっこみにアレックスはおもわず立ち上がっていた。

 

 

 

「確かに、俺は死んだことになってるよ。今も。国にとってはね。だけど俺はある組織の力によって『生き返る』事が出来たんだ。生き返るって言うのは正しくないかもしれない。はっきり言って、あの時孤児院でめちゃくちゃになって死んだのは、俺じゃなかったんだ」

「えー??」

クリスのあごがはずれそうになる。

「あの時俺が死んだことになっているのは今の俺にとっては好都合なんだけど。とにかく、俺は死ぬ前に『ジョーイ・アレクサンド』っていう俺と背格好のにている人物とすり替わって、ある組織に入団した。そこはおまえにも話したことあると思うけど、この事件全部の黒幕の組織なんだ。だから今俺がやってる事はジョーイ・アレクサンドにしてみればちょっと裏切りになるかもしれないんだけど……」

 続きを言おうとしたアレックスだったが、身を乗り出してきたミスティに押されて、言うのを止めた。

「ね、その組織ってなんなの? ケン・イケガミが言ってたやつなんだろ? ね、教えてよ。なんなの?」

「ケン・イケガミとも知り合いなのか? うわー……」

「俺の友達」

 ヒイロが自分を指差す。

「え、え、ちょっと……頭が混乱してきた。何? ケン・イケガミは今何処で何してるって?」

「あたしさっき会ったよ。孤児院で」

「マジか? 俺、ずっと探してたんだけど……」

「……」

 周囲が静まり返る。

「とにかく、その組織っていうのがなんなのか教えろよ」

 カークが言った。なんとなくカークはアレックスの事が気に入らないらしい。

「あ……うん。えっと何だっけ、何話すんだっけ」

「……組織について」

 ヒイロが困惑しながら言った。こんなやつがヒーローでいいんだろうか。

「こんなに早くからボケか……」

 そう呟いたクリスの頭をまたもはたいて、アレックスは話を始めた。

「組織っていうのは、ずばり何百年ともそれ以上とも言われてるくらい古くからあるフリーメーソンリーのことだ。もちろん、フリーメーソンリーって知ってるよね? ん?」

 周囲にあまり反応がないので、アレックスは続けた。

「あの、アメリカがさ、建国するときに大いに力をかした秘密結社。それから、ワシントンとかリンカーンとか、代々大統領が結社の中から選ばれてるんだ。表向きは世界で共通の宗教だとか、世界国家をつくるとか言ってるけど、本質的にはただのオカルト集団。アメリカ合衆国民なら知っててもいいと思うんだけど」

「メーソンか……なるほどね」

 ミスティとクリスは納得しているようだったが、ヒイロは困惑気味で、カークに至っては

「メーソンって何? 何?」

という状態だった。

「でもどうして秘密結社がウイルスなんてつくるの? どうやって関係してるの?」

 一応メーソンについて、少しは知識があるらしいヒイロが聞いた。

「問題はそこなんだ。メーソンとウイルスの関係は、メーソンと現大統領の関係によって説明できる。現大統領はボヘミアン・クラブというメーソンの一部の会員で、メーソンの後ろだてによって大統領に当選した。まぁ、このこと自体はそんなに珍しくないんだけど。レーガンやブッシュもそうだし。で、メーソンはその大統領に命じて、ウイルスを開発させているっていう事さ。このことは今までの俺の調べで証明された。だが、何でそんな事をしているのかっていうのがいまいちよくわからない。で、その理由をきちんとつきとめるためにこれからメーソンの一員というジョーイ。アレクサンドの立場を利用してバチカンにいくのさ」

「へえ」

 カークが感心したような声をもらした。

「じゃあ、今アレックスはメーソンの一員なんだ」

「そう。ジョーイ・アレクサンドはメーソンの一員。カリフォルニアのロッジのマスターであるわけなんです。結構偉いほうだから、俺が死んだことになったとき、死体の確認はうまく手を回してごまかしたんだ。この地位は結構使えるよ」

「ろっじ? ますたぁ?」

 カークが聞き返す。

「馬鹿はわかんなくていいの」

「そうそう。ようするに偉いって事なんだから」

 聞き返したカークは、アレックスとミスティに次々と馬鹿にされた。

(やっぱり、偉いってことなんです。読者もあんまりわかんなくていいんです。あんまりわかると恐いですから)

「あっ! そういや……」

 突然思いだしたようにクリスがダグラスを見た。

「ダグ! あんたもしかしてアレックスが生きてるの知ってたわけ?」

 ダグラスは答えずににんまりしている。

「てめえ! やっぱり知ってやがったんだな! 畜生! 俺が今までどんな気持ちでいたと思ってるんだくそじじい! お前なんか地獄に送ってやる!」

 怪我をしてるくせに思いきりつかみかかろうとするクリスをアレックスが片手で押さえた。

「やめろよお年寄りをいじめるのは」

「いじめる!? ……だってこいつ!」

「お前が俺が死んだと思って悲しんでくれたことはよーぉくわかった。だがな、お前に黙ってろとダグラスに言ったのは、俺なんだ」

「……は?」

 クリスがぽかんとする。

「だってさぁ、お前が俺が生きてると知ってたら今まで俺をほっといてくれなかっただろ? 色々面倒起こしてさぁ。俺はメーソンのこと色々調べたかったからお前を巻き込みたくなかったんだよ。いい?」

 明らかにクリスを子ども扱いしているアレックスを見て、ヒイロは不思議になった。クリスはヒイロの家にいたときはあんなにしっかりしているように見えたのに……。

「いーよ、もう。どーせ俺は……だってミスティも生きてるの知ってたんだろ? それって俺やっぱり虐げられてるんじゃん」

「ダグラス、こいつ病院に連れてってよ」

「はぁ!? 俺は正常だぜ!」

「そういうことじゃなくて、怪我のこと。ちゃんと見てもらった方がいい。たしか、ダグラスの愛人のシエラ女医がいたんじゃなかったっけ?」

「誰が愛人だ! あんなくそばばあ」

 ダグラスが横を向く。

 シエラとは昔アレックスとクリスがときどきお世話になった女医で、ダグラスの知り合いである。

「とにかく、誰でもいい。見てもらえよ、応急処置だけだから、俺がやったのは」

 アレックスがクリスの頭をくしゃくしゃにする。クリスはうざったそうにアレックスの手をはらった。

「そう、そういえばさ、どうしてバチカンなの? あそこはクリスチャンの国じゃないの?」

 ミスティが言う。

「あー、それは……。あのさ、メーソンにとってカトリックも、カトリックにとってメーソンも要するに邪魔な存在なわけよ。だから俺はそこになんか関係があるんじゃないかって思って。今回のはお互いの様子見みたいだけどね」

「……これって、宗教的な問題だったんだ……」

「いや、まだわかんねえよ。メーソンは、よくわかんないけどキリスト教を認めてないわけじゃないし。噂によるとユダヤ団体ともつながりがあるって言う。しかも、Kウイルスはどう考えても一度流出したら全世界をおそうわけだから人類滅亡じゃん? もしカトリックを消したいんだとしても、自分まで巻き込むようなアホな真似はメーソンはしないと思うんだけどなあ」

「じゃあ……」

「だから謎なわけ」

 アレックスはそこで話をきった。

「アレックスにも、わかんないんだ……」

 ミスティが呟いた。

 クリスもため息をつく。

 アレックスにわからないなら、自分たちにわかるはずがない。というのは彼ら二人にとって常識以上に当たり前のことだった。

「それで、どうしてケンのことを捜していたわけ?」

 ヒイロが聞いた。おそらく彼にとって一番気になるのはケンのことなのだろう。もちろん、自分の中にいるウイルスのこともそうだろうが。

「……くさいんだ。何がくさいってよくわかんねえんだけど、何となくな。別にやつが何をしてるわけでもないし、そういう証拠があるわけでもないんだけど、この件を調べているとき、いつも気にかかる名前が、ケン・イケガミなんだ。俺が思うに、もしかしたらこいつはメーソンの超上層部と関係があるんじゃないかって」

「ケンが、……メーソン?」

「そうだよ、あいつ、自分で言ってた」

 ミスティがヒイロに言う。ヒイロは複雑な顔でミスティを見た。

「じゃあ、何? ケンがウイルスをつくらせてるって事?」

「……違うよ。あいつにそんな力があるとは思えない。俺が思ったのは、なんかあのプロジェクトと非常に近い関係にありそう、ってこと。お友達なヒイロには悪いけど」

 そう言ってアレックスはヒイロの方を見た。

 

 

 

 

 

 アレックスが部屋に置いてある時計を見る。

「さて。そろそろ行かないとな」

 ミスティが驚いた顔をする。

「今日中にバチカンに行かなくちゃいけないって言っただろ、さっき。そうそう、ヒイロ、お前ウイルスは平気なのか? 発病は? ……してるよなあ」

 アレックスの言葉に、ミスティとカークとクリスの三人が同時にヒイロを見る。

「そうなのか?」

「具合悪いのか?」

「大丈夫なのか?」

 ヒイロが返答に困る。

 ヒイロは頭を少し斜めに傾げて頭をかきながらこう言った。

「うん……。体にはまだ異常がないよ。多分、今は免疫機能がこわされている段階なんだと思う。もし、もうウイルスがDNAに干渉してて、ガン細胞みたいの作っているとしたら、きっと何らかの症状が出るはずだから……」

「でも、ヒイロが確実に死に近づいてることは言うまでもない」

 ヒイロの言葉を途中で遮って、アレックスが言った。

「ちょっと、そんなにはっきり言わなくても……」

「本当のことだ」

 ミスティがアレックスをとがめたが、アレックスは平然としている。

「だから、俺がいいたいのはさ、早く何とかしないと、手遅れになるってこと。つまり、今ここにこいつがいてもこいつの病気は治りっこない。だけどロジャーのいる研究所に置いておけばもしかしたらロジャーがなんとかするかもしれない」

「ちょっと、それってヒイロを敵の真ん中に放り込むって事!?」

 ミスティが立ち上がった。

「まあ、落ちつけよ。ロジャーだって自分が作ったウイルスで人が死ぬのを黙って見ていられるような人間じゃないことは俺も良く知ってる。しかもあいつはここにいる誰よりも頭がいいんだ。だからここにいるよりは、何とかなるかもって……」

「そうだね」

 ミスティが何か言うより先に、ヒイロが答えていた。

「確かに、ここにいても病気が治るわけじゃない。ロジャーといるんだったら、たとえそれが敵の中でも、そっちの方が助かる可能性は高いと思う。だってこれはロジャーが作ったウイルスなんだから……。それに研究所にいるロジャーを、病気で足ひっぱってる俺と一緒に助けに行くよりも、ロジャーと俺が、一緒にいた方がいいと思う。ロジャーが薬を完成させたときには、俺と一緒に逃げることもできるし」

 ヒイロは大分落ちついているようだった。

「でも!」

 ミスティが首を振った。

「敵の中にいたら、もしかしたら、ヒイロは殺されるかもしれないんだよ!? ロジャーだって、ヒイロを助けようとして、それが見つかって殺されるかもしれないんだよ!? そんなことになったらどうするの? あたしは、そんな危険なこと、やだよ……」

 唇を噛んで下を向くミスティに、アレックスはため息をついた。

「いいよ、これはあくまで俺の意見なわけだから。従えって言ってるわけじゃない。ただ、ヒイロはここにいる限り、病気が治る可能性は皆無に等しいってことを言いたかっただけだよ。後はお前達の好きにすればいい」

「……」

 ヒイロは黙ってミスティの方を見ていた。

「じゃ、そういうことで」

「……そういうことでって?」

 立ち上がりかけたアレックスにクリスが言う。

「言っただろ、さっきも。これからバチカンなの」

 アレックスは椅子にかけておいたジャケットを着ながらそう言った。

「でも、久しぶりに会ったのにさ……」

「そうだよ」

 クリスに、ミスティも同意した。

「何言ってるんだよ、今まで一緒じゃなかったんだからお前らはお前らでなんとかできるだろ。なんかわかったら報告するから」

「でも……」

「これ、携帯の番号。生きてたらつながるから」

 笑顔を見せながら、アレックスは一枚の紙切れを渡した。

「……縁起でもないこと言うなよ。もう一回死んでるくせに」

 クリスは紙切れを受け取りながら言った。

「大丈夫。俺はそう簡単に死ぬほど弱くないですから。それより、お前ちゃんと病院行けよ。他のみんなも気をつけて」

 アレックスはまた笑顔でそう言うと、そのまま部屋を出ていった。

 思わずミスティが追いかける。

 アレックスは玄関で立ち止まった。

「何だよ」

 アレックスが振り返る。

「あのさ、あたし、別にこの件に何が関係してるとか、そういうのどうでもいいから。ただヒイロとロジャーが助かればそれでいいから。だからさ、アレックスも、無理してそんな奥まで首つっこんだりしないで……」

「臭いを断つなら元から、だ」

 アレックスはそう言って微笑みながらミスティのおでこを人差し指でつついた。

「ウイルスを何回消滅させても同じ事が起こる。俺は元をたたなきゃ意味無いと思う。別にお前らに俺と同じ事をしろなんて言ってないよ。お前はお前、ヒイロとロジャーだけ助ければいいじゃん?」

「でも……」

 ミスティは言葉につまった。

「お前はお前の思ったことをすればいい。俺も俺の思ったことをしているだけだから。いいな?」

 アレックスはそう言って玄関の扉を開けた。

 ミスティが一歩前に出る。

「……帰ってきてよ、ちゃんと」

 アレックスが振り返った。

「ここに? ……この家があったらね。なかったら、この広いアメリカのどこかには、帰ってくるよ」

 それからアレックスは最高の笑顔をミスティに向けて言った。

「ちゃんと髪の毛のばせよ」

 玄関のドアが閉まった。

 ミスティはしばらくそこに突っ立っていたが、一つため息をつくと、後ろを向いて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

   ー9ー

「ケン・イケガミに会いに行ったなんて何て馬鹿なんだ!」

 ミスティが大声を上げた。

「何だってあいつはそんな真似するんだよ! 殺されたらどうするんだ! 自分で捕まりに行ってるようなもんじゃない!」

 ケンタッキーのチキンを買いに行っているダグラスを待つ三人は口々にヒイロの甘さ加減について語り合っていた。

「大体さ、あいつ自分が……」

 とクリスが言いかけたとき、ダグラスが入ってきた。

 ダグラスは手にケンタッキーの袋を抱えていた。その持つ手が微妙に震えている。

「……ここにいるのが、ばれたらしいぞ」

 ダグラスがそう言うと、全員が立ち上がって窓の外を見回した。

「何で……」

「ヒイロの出したメールだよ! それにあいつケン・イケガミに電話もしたんだろ! だったら見つかって当然じゃねえかよ!」

 いきなりのことで戸惑うミスティにカークが腹立たしそうに答えた。

 クリスが冷静に外を見ながら言う。

「外の通行人のほとんどがおそらくプロだ。FBIかなんかだろう。近所の住人が出てこないっていうことは、やつら俺達を凶悪犯にしてるらしいな。表向きは凶悪犯の住処の強制捜査ってことだ。何とかして逃げないと……こりゃあ、やばそうだ」

 クリスはそう言って逃げ道を探そうとしたが、どこにでも人がいて逃げ道は完全にシャットアウトされているようだった。

「つかまれば殺される……か」

 カークがぽつりと呟いた。バーで死んでいた仲間を思い出しているのかもしれない。

 ダグラスは買ってきたケンタッキーの袋と一緒に、無言で数丁の銃と弾をクリスに渡した。

「これだけあれば何とかなるだろう」

「何とかなるって……?」

 クリスがダグラスの顔を見る。

「いい案があるのさ」

 ダグラスは、にやっと笑うと、ソファの後ろの箱から何かを取り出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンはスプーンでカップのふちを弱く叩きながらヒイロを見た。

「ヒイロが精神科専攻じゃないのは知ってるよ。だけど……。ヒイロ、これから先は本当に真面目に聞いてくれるかい?」

「うん……何のこと?」

「聞いても、僕のことを友達だと思ってくれる?」

「……多分」

 ヒイロは自分の身が引き締まるのを感じた。これで、ケンが敵なのか、そうじゃないのかがはっきりとわかる。そういう気がした。

 ヒイロはまっすぐケンの方を見た。ケンはスプーンを置くと、一息置いて、口を開こうとした。だが──

「ヒロヤ・ヤマネだな? 我々についてきてもらおうか」

 ヒイロがびくっとして声の方を向く。ヒイロ達の席の横に二人の男が立っていた。

 ヒイロが驚いてがらがらの喫茶店の中を見回すと、ほとんどの人間がさして驚いた風もなくヒイロの方を見ていた。全員、グルなのだろう。

──畜生、謀られた……

 ヒイロは心の中で舌打ちをした。ヒイロが何か言おうとしてケンを見ると、ケンは立ち上がってその二人の男に向かってこう言った。

「やめろよ、ヒイロは僕の友達だ。サンプルが欲しいなら他に幾らでもいるだろう。何故ヒイロなんだ?」

──サンプル……? やっぱりケンはウイルスに関係しているのか……?

 ヒイロがケンと男の顔を見比べる。

「我々はあなたには従いません。これは、あの方の命令ですから」

「もういいだろう! これ以上ヒイロに手を出すなら僕が許さない」

「ケン……」

 ヒイロがケンを見上げた。やっぱり無理矢理メーソンに使われているのか?

「あなたは恐ろしくもなんともない。しばらくおとなしくして下さい」

 男の強烈な膝蹴りがケンの鳩尾にはいると、ケンは声もなく倒れ込んだ。

「ケン!」

 ヒイロは立ち上がったが、ヒイロも同じように男の強烈な膝蹴りを受けると、そのまま意識を失った。

 

 

 

「そんなことできるわけないだろ!」

 ダグラスの「いい案」を聞いたクリスが怒鳴った。

「だが他に方法が無い以上仕方ないだろ」

 ダグラスは平然とした顔で箱の中から必要な「もの」を取り出していた。

「お前らはいいから、いますぐ裏口に向かえ。そこに俺のワゴン車が置いてあるから」

「だからできるわけないって言ってるだろ! 何考えてるんだよ手榴弾抱えて敵の中つっこんでいって、その後時限爆弾でここを爆破なんて!勇者にでもなったつもりかよ!」

「うるさい!」

 ダグラスがクリスの方を振り返って怒鳴った。

「お前らがどうしても生きのこらなきゃいけない以上、こうするしかないんだよ! 俺が今ここで命張らなかったらお前ら間違いなく殺されるんだぜ! そんなことになったら俺はアレックスやシエラに何て言えばいいんだ!」

 ダグラスはクリスの胸ぐらをつかんでクリスを殴り飛ばした。

「いいか、こんなくそじじいの命なんてどうだっていいんだ。いいから、早く行け! もう時間がねえ!」

 ミスティは複雑な顔でダグラスを見た。ダグラスはまたにやっと笑うと、

「あんたも弟助けるんだろう、だったらそのくそぼうずを連れてとっとと行きな。お前らが裏口を出てから二分でここを爆破するから。その二分間、お前らは何とかがんばって俺のワゴンにのればいいわけさ。簡単だろう?」

と言った。

「俺はその二分間、表側の敵を混乱させるために表に飛び出して手榴弾投げまくるからさ。さあ、行動開始だ」

 勝手に時計をセットしたダグラスは一人で表に向かっていった。

 追いかけようとするクリスをカークがひきとめる。

 ミスティは目元を拭うと、裏口に行こうとクリスとカークを促した。

 クリスは玄関の方に行くダグラスに向かって叫んだ。

「畜生一人でかっこつけやがって! くそじじい!」

 

 

 そして二分後。裏から出した車から、クリス達はダグラスの家が炎上するのを見ていた。間違いなくあの付近にいた奴等は全滅だ。──そして、ダグラスも。

 クリスはなるべくダグラスの家の方を見ないために下を向いた。ミスティは銃をいじったり、弾をつめなおしたりしていた。カークは、誰も行き先を言わないので適当に北へと車を走らせていた。

 ダグラスの買ってきたケンタッキーの袋の中身は、まだ温かかった。

 

 

 

   ー10ー

 とにかく現場から離れたクリス達は途中で車を降りて、ダグラスのことを報告するためにアレックスの携帯に電話をかけた。時差があるだろうがこの際そんなことは言っていられない。

 数回、呼び出し音がなって、アレックスが出た。

「はい」

「アレックス!? 俺! クリスだ」

「あ……ちょっと待って」

 アレックスはそう言うと何やら向こうからがちゃがちゃと音がした。

「何やってるんだ?」

「盗聴防止用のやつをつけてるんだよ。で、何?」

「何って……ダグラスが、死んだ」

 唐突に言ったクリスに、アレックスがしばらく黙り込んだ。

 そしてやがて、

「そうか……」

とだけ言った。

「俺達を生き残らせるために……あの家ごと、爆破させて」

「……お前らは無事なのか?」

「全員無事だ」

「そうか……」

 アレックスがまた黙り込む。

「ヒイロはどうした?」

「あ……。今日、勝手にケン・イケガミに会いに行って……。そういえば、あいつ、どうするんだろう……」

「何だって? 連絡とれないのか?」

「……とれない」

 アレックスは「まいったな」と呟いた。

「とにかく、こっちはそれなりに情報がつかめた。奴等とんでもねえこと考えてるぜ」

「とんでもないこと?」

 

 

 

 ヒイロは気がつくと白いベッドで寝ていた。この前目ざめたときとよく似ている。

 ヒイロは跳ね起きて周りを見回した。

「元気そうだね」

 声がした。ロジャーが横に座っていた。

「……ロジャー!」

 ロジャーは数枚の紙を取り出すとヒイロに見せた。

「これが今の君の健康状態。Kウイルスって増殖しないとこんなにも弱いんだ」

 ヒイロは目を通して、自分の病が思ったよりは進行していないことを知った。といっても、HIVウイルスと同じかそれ以上は進行しているのだろうが。

「この間、君に渡した薬。あれ、もう効かなくなったんだ」

「何で?」

「……僕がなおしたから……」

「何で?」

「それは……。色々あるんだよ。僕もそんなに自由にできないのわかるだろ?」

「ああ、そうか」

 ヒイロはロジャーから渡された紙を返した。

「それで、これからまた君は、その……僕がなおした方のウイルスを新たに注入されることになっている」

「え! そんな!」

 ヒイロが驚いた。これこそ完全に死ねと言っているようなものだ。

「なんで、俺だけ……」

「わかんないよ。まず最初に、君を消したいんだって」

「誰が言ってた?」

「ケン・イケガミだよ」

 ヒイロは言葉を失った。今さっき、奴は「これ以上ヒイロに手を出すなら僕が許さない」と言ったばかりなのに。そんな馬鹿な。

「……それって本当にケン・イケガミ?」

「そうだよ」

「……」

 ヒイロは黙り込んだ。よりにもよって一番の友達だと思っていた奴が、自分を一番に消したいだなんて。

「ケン……何考えてるんだ……友達、じゃないのか?」

「友達? ふざけるな。お前はただの邪魔なだけの存在だ」

 いつの間にか入ってきていたケンが言った。

 ロジャーとヒイロが同時に声のしたほうを向く。

「ケン……」

「悪いな。今度は前よりゆっくりしていってほしいから、今は特別室を準備中なんだ。生まれ変わったウイルスと出会うのはもう少し後になってしまうよ」

 ヒイロは、ケンがこんなに偉そうに、嫌みな言い方をするのが信じられなかった。ヒイロを見る目も、いつもと違う。

「もう、実験なんてしなくてもあのウイルスが完成品だって事はわかるだろう。こいつを実験台にする必要なんてないよ」

「必要がない? 俺にとっては十分にある。……それに、お前がウイルスに妙な小細工をしてないかどうかも調べることができるしな」

「……」

 ロジャーが唇をかみしめた。

「ウイルスに対抗する薬を作ろうだなんてやめといたほうがいい。全てが無駄なことにすぎない。実験が終われば、お前も死ぬんだから」

 ケンはロジャーが下を向くのを見ると満足そうな顔をして、ヒイロ達に背を向けてドアから出ていこうとした。それを、ヒイロが呼び止めた。

「ケン……一つだけ教えてくれ、俺を騙していたのか?」

 ケンは振り返ってヒイロを見た。だが、ケンは

「さあな」

と言ってドアの向こうに姿を消した。ヒイロはいつまでもそのドアを凝視していた。

 

 

 

「この件には、メーソンだけじゃなく、ローマ法皇も賛成した」

 アレックスはさらっととんでもないことを言った。

「はあ?」

 クリスは大声を出した。ミスティとカークが「何、何?」としきりに横から口を出す。

「これはメーソンだけの野望じゃない。知ってるか? ヒトラーのナチスをローマ法皇が容認していたこと」

「何で? 何でローマ法皇がそんなことするんだよ」

「理由は聖書だ。知ってるか? サタンが征服した荒廃の地に救世主が現れるって」

「……知るわけ無いだろ」

「ローマ法皇は、聖書を信じてるから、つまりサタンがこの世に現れなくちゃ救世主が現れてくれなくて、それだと困るわけよ」

「なんだそりゃあ」

 クリスが息を吐いた。

「そう思うだろ? これが宗教の恐いところだよ。救世主に来てもらうためには、サタンに滅ぼされてもかまわないってことさ。それに、メーソンもその部分は同意している。何たってもとはオカルト集団だからな」

「じゃあ……」

「全ての聖書の預言は今までほとんどその通りになってきた。いや、その通りにしてきたと言うべきか。だから今度も、聖書の予言を実行しようとしている」

「つまり、Kウイルスをサタンに仕立てているって事?」

「そうだ」

 クリスは自分の心臓の音が大きくなっているのがわかった。

「……とんでもないことを……」

「だから言っただろ? 敵はメーソンだけとかそういうわかりやすい状況じゃない。聖書に対する信仰自体ってことになってきた」

 クリスは頭を抱えた。

「そろそろ電話を切るぜ。長電話はよくない。もう少ししたらそっちに帰るつもりだから。また連絡くれ。それじゃ」

 アレックスはそう言って電話を切った。

 クリスはツーツーツーと鳴っている受話器を持ったまま、しばらく呆然と立ち尽くしていた。横からミスティが覗き込む。

「で、何だって?」

「……本当の敵がわかった」

「何?」

「……ヨハネの黙示録だ」

 

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