ドアを開けると、酒とタバコの匂いが鼻をついた。
「どっか寝るところないの」
こちらを振り返ったミスティに半分死にそうな顔でヒイロが言った。
「ヒイロ! お前、大丈夫なの?」
ミスティが駆け寄ってくる。
その行動に数人の彼女の仲間が首を傾げる。普通ならけが人だろうと何だろうと放って置いて何とも思わない女なのだ。
「うん。クリスが、色々やってくれたし。ああ、そう、それとね、あれの話なんだけど」
「何?」
「他人には感染しないみたいだ。ロジャーの薬がきっと効いたんだよ。だから大丈夫」
ヒイロは店の中に足を踏み込むと、ふらついて斜めに傾いた。
「大丈夫そうには見えないけど。とにかく、寝るとこならこの上が安ホテルだから、そこで寝ればいいよ。クリス、お前も」
ミスティはそう言いつつ、他の仲間に顎で合図する。どうやら上のホテルというのは、彼女の仲間の知り合いの経営してるホテルらしい。
「車は、どうした?」
「カークが隣町まで捨てに行ったよ」
「そうか……。それから、明日中にヒイロの家を何とかした方がいい」
「わかってるよ。ヒイロ、この辺の適当なアパートでいい?」
「うん。今の所はね」
ヒイロは眠そうに目をこすった。何しろ、もう朝方である。怪我をして体力を失った人間としては、睡眠を必要とするのは当たり前だ。
ヒイロが大きいあくびをしたのに気がつくと、クリスはミスティの方を見てこう言った。
「じゃあ、上行って寝てくる」
ヒイロのけがをしていない方の腕を肩に掛けると、クリスはヒイロを引きずるようにしてドアの外の階段に向かった。
「……おやすみ」
すでに半分寝ているようなヒイロは顔をミスティの方に向けて言った。
ドアが閉まる。
一瞬その場がしーんとなる。
ミスティは仲間の方を振り返って肩をすくめてみせた。
「な、あいつロジャーに似てるって言っただろ。ああいう、ぼけてそうなところ」
ミスティがそう言うと、他の人間は笑いながらうなずいた。
「どこに隠したんだ」
ロジャーは振り返って、突然部屋に入って来るなりそう言ったケンの方を見た。
「何の話?」
「俺が他の馬鹿と同じように知らないとでも思っているのか」
ケンはそう言ってロジャーの方に近づいてきた。
「薬か──あるいはウイルスのDNAを破壊する新たなウイルスか、どちらにせよお前がヒロヤ・ヤマネを黙って逃がしたということは、奴の体内のウイルスが他の人間に伝染らないと確信していた、ということだろう?」
「何のことをいってるのかわからないな。僕は、あいつを逃がしてしまったのはお前の責任だと思うけど。あそこで階段の方に蹴り飛ばしたしね。あのウイルスが誰にどのように伝染しているのか、僕はそれを今心配している所なんだよ」
ロジャーは座ったままケンを見上げてそう言った。
「……大分へらず口をたたくようになったな。では言わせてもらうが、あの日停電を起こし、その隙に奴のいた部屋に入り込み、内側からのカードキーをやったのはお前じゃないのか? お前が、奴を逃がしたんだ」
「どうしてそんな事がわかるのさ」
「お前は、ヒロヤ・ヤマネが防ウイルススーツを着込んでお前を連れ出しに来たとき、奴がヒロヤ・ヤマネであることを認識していた。つまり、お前は奴に外に出られても困らないように小細工をし、なおかつ逃亡するつもりでいた。そうだろ?」
「……」
ロジャーは横を向いた。
「奴に投与した薬か、ウイルスか何かを今すぐ出せ」
「……もうない」
「嘘をつくと神に罰せられるんじゃないのか。お前はクリスチャンなんだろ?」
「……」
ロジャーは白衣の内側のポケットから小さな鍵を取り出し、机の中の箱を開けた。そしてその中に入っていたシャーレをケンに差し出した。
「Kウイルスの増殖に関するDNAを壊すウイルスだよ。それを、あいつの体内に入れたんだ」
「……そうか。よくもそんなものをつくる暇があったもんだ」
ケンは感心するようにそう言うと、思いきりロジャーの顔を殴った。体勢を崩してロジャーが椅子から落ちそうになる。
「こいつが全く効かないようにKウイルスを修正するんだ。そうすれば他の奴には黙っておいてやる」
「……黙っておかなくてもいいよ」
「大切なお姉さんを殺されたくないんだろ? お前がもし逆らったら……、そういう話じゃなかったんだっけ」
「……」
ロジャーは黙って床を見つめた。
ケンは満足そうにロジャーの渡したシャーレを胸ポケットにしまうと、部屋を出ていった。
翌日ヒイロが固いベッドから身を起こすと、すでに西日が射していた。げっと思って時計を見るともう夕方の3時半。ひとつ大きくのびをすると、ヒイロはベッドから降りて部屋を見回した。
クリスは、いない。かわりにカークが椅子に座って新聞を読んでいた。
「あれ?」
ヒイロが声を出すと、カークがはあ、という風にヒイロの方を見た。
「やっとお目覚めかい」
「……クリスは?」
「しらねえよ。一人でどっかいっちまったよ。けがは?」
言われてからヒイロは包帯を巻いた右肩を見て、それを少し動かしてみた。多少、痛みは感じる。
「そんなに悪くないかも」
「そっか。あー、お前の家のもの、全部俺達で運んでおいたからあとは前のアパートの方、お前がなんとかすればいいだけになった」
「ありがとう」
ヒイロはもう一度時計を見て、ドアの方に向かった。
「どこ行くんだよ」
「図書館」
「なんで?」
「レポートが、あって……」
ヒイロが頭をかく。
「ちょっと待てよ、一人じゃあれだぜ、お前FBIに追っかけられてるんだからさ」
「俺って信用ないなあ……」
「信用とかそういう問題じゃねえだろ、家に一人でいたところを、連れてかれたくらいの馬鹿なんだからよ」
カークは新聞をたたんでごみ箱に放った。
「ミスティは?」
ヒイロが聞くと、
「下にいるぜ。まあ、別に図書館に行って来ますなんて言う必要もねえだろ」
「そんな事言ってないだろ。ミスティは俺の保護者じゃないんだし」
「ははは」
そうして二人はホテルを後にした。
たくさんの本が並べられている図書館。広々とした空間の中に机がたくさん並べられていて、何人かの学生たちが本を広げて勉強をしていた。
カークにはその静けさが耐えられない。
ヒイロが本を借りたら帰るよ、と言ったくせに座り込んで調べものをはじめてしまったから、彼は自分の身の置き場に困っていた。
「なあ、俺、外の出店で何か食ってくるわ」
「あ、そう。すぐ終わるのに」
カークはそそくさと図書館を出ていってしまった。
そうして、30分程、ヒイロはそこにいた後、数冊本を借りようと、カウンターの方に足を運んだ。
別の方から厚い本を抱えた見慣れた顔の男が歩いてくる。
「……ケン……!」
ヒイロが本を落とす。
その大きな音に驚いて数人が振り返った。
ケンがヒイロに気がつく。一瞬、ヒイロの身体が引き締まった。
──俺を、撃ったんだっけ……。
ケンはそんなヒイロと反対に、いつものように笑みを顔に浮かべてこちらに走ってきた。
「ヒイロ、どうしたんだよ。何か顔が青いよ?」
「え……え、え??? 何でここにいるの?」
「何でってブルックス教授のレポートだろ? 違うの?」
「だってお前……昨日、研究所に……」
はっとして、ヒイロは口をつぐんだ。
もしかしたらケンは、ヒイロをヒイロと認識せずに撃ったのかもしれない。
なら、ここで自分があの場所に居たことを言うのはまずい。
ケンが不思議そうな顔をしているので、ヒイロは首をふって、
「い、いや、何でもない! 俺、レポート間に合いそうにないから、いそがなきゃまずいんだ。それじゃ」
と言った。それから落ちた本をかき集めて、さっさとカウンターに足を運んだ。
本を借り終えると、ヒイロは図書館を出て息をついた。
といきなり目の前に人影が……。
「うわあああっ」
「やっと終わったのかよ」
カークだった。
「何だカークか。びっくりした。追手が来たのかと思った」
ヒイロがほっと胸をなで下ろすと、カークはアホ、と言ってヒイロを馬鹿にした。横を見るとそばの壁によりかかってクリスがダイエットペプシを飲んでいる。ヒイロが声をかける。
「帰ってきたんだ。どこいってたんだよ」
「あの世」
クリスの答えにカークが爆笑する。完全にヒイロは馬鹿にされているらしい。
怒ったヒイロはさっさと車のある方に向かって歩き出した。
その後をカークが追いかける。
「お、おい、待てよ、お前メシ食ってないんだろ? どっか行くだろ? どこがいい?」
遠くの方でパトカーのサイレンが聞こえた。
デニーズから帰ってきたヒイロとカークとクリスの三人はミスティがいるはずの地下のバーへと足を運んだ。地下へ降りる階段に入ったとき、クリスが足を止めた。
「……何かおかしい」
「へ?」
カークがクリスを見ると、クリスは何も言うなというように人差し指を口に当てた。
クリスは二人をおいて一人足音をたてないように階段を下りてドアのノブに手をかけた。そして、ノブをまわして中を覗いた瞬間、
「げえっ」
とクリスは声を上げた。
「どうした!?」
カークとヒイロがあわてて降りてくる。
いつもタバコとアルコールの臭いのするそこからは、別の臭いがしてきた。
「何……?」
そう言って覗き込んだヒイロとカークも悲鳴を上げた。
中には、ミスティの仲間だった者達が死体となってたくさん転がっていた。
どれも死体の損傷が激しい。
マシンガンか何かでめちゃくちゃに攻撃されたような感じだった。
「こりゃあ、この街の奴の仕業じゃねぇ……」
カークが冷や汗を拭う。
「ミスティ!」
クリスが死体の転がるバーの中に入っていった。
もしこの中にミスティがいるならば、生きている可能性はゼロに等しい。
「ミスティ! ミスティ!?」
クリスが一体一体確認していると、バーのカウンターの奥からうめき声が聞こえた。
3人がかけつけて見ると、そこにいたのはバーのマスターだった。
「大丈夫か!?」
クリスが揺すると、マスターは気がついた。どうやら軽傷らしい。
「あ、ああ……俺は大丈夫だ。俺じゃなく、他の連中は……カーク、気の毒だがあんたの仲間はみんな殺されたよ」
「……」
カークが頭を抱える。
「ミスティは、ミスティは何処だ!?」
クリスが聞くと、マスターは首を振ってこう言った。
「殺されちゃいねえが、連れて行かれた」
「連れて行かれたって、どんな奴だ? 軍隊か? FBIか?」
「しらねえよ。20人近くでマシンガン持ってきてよ、ドア開けて、いきなりだ。防ぎようもないってわけさ。気を失ったミスティを日系のあんちゃんが担ぎ上げると、今度は全員動けないのにとどめを刺すようにマシンガンを乱射しやがったんだ。そして、俺に言った。『クリス・フォードとヒロヤ・ヤマネにここへ来るように伝えてくれ』それで俺は奴からこの紙切れを受け取った」
マスターは胸元から紙切れを取り出すと、クリスに渡した。
クリスはそれを見て驚愕の表情をあらわしたが、ヒイロには何も言わず、それをポケットに入れた。
「とにかく、奴等の特徴はわからないか? 何か、マークをつけていたとか」
「わからねえ。とにかく、日系のあんちゃんが……奴等みんな揃えたように黒い服を着ていた。そう、それは間違いねえ。何だか気持ち悪かったけどな」
「ケンのことだ」
ヒイロが言った。
クリスとカークがヒイロの顔を見る。
「さっき図書館でケンに会ったんだ。あいつ、まさかこんな……」
ヒイロがカウンターに寄り掛かる。
「ケン? このやり方を見ると、軍隊でもFBIでもなさそうだ。おい、ヒイロ、ケンはなんかの団体に加盟してるとかないのか?」
「団体? 知らないよ、そんなの。聞いたこともない」
「そっか……」
クリスが考え込む。
マスターが上体を起こした。
「そろそろ、警察がたくさん来る。さっき呼んだからな。でも、こいつぁ警察でも犯人はわからんだろう」
「わかったとしても、もみ消されるさ」
クリスがそう言って笑った。
「とにかく、警察が来るなら俺たちにとってはまずいことになるな。行こうか」
と言ってクリスはドアの方に向かいだした。
だがカークはそこに立って動かない。
「カーク?」
ヒイロがカークを見ると、カークは下を向いていた。髪の毛で隠れて表情は見えないが、泣いているようだった。
「……こんな、みんな殺すなんて……」
カークの気持ちを察してヒイロがカークの肩をぽんと叩く。
しばらくカークは下を向いていたが、突然カークは顔を上げると、こう言った。
「畜生! どこのどいつだろうが軍隊だろうが、絶対にゆるさねえ! 絶対にぶっ殺してやる!」
カークの目は怒りに燃えていた。
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