第二章

 

 一階から出火した炎は入り口付近を火の海にしていた。

「ここから出るの?」

「もちろん。歩けるか?」

「……」

 肩に傷を負い、出血多量で死にそうになっているヒイロは、このまま炎に身を投げて死んだ方が楽なのではないかと思った。

 けがした身体を引きずってこんな熱いところを歩くなんて!

 ミスティはヒイロの背中に手を回し、抱えあげるようにして外に出た。突然、目の前に車が現れる。

 窓が開くとクリスの顔が覗いた。

「早く乗れ! 捕まりたいのか!?」

「クリス、ないすぅ!!」

 ヒイロはもう歩かずにすむと思うとうれしさの余り破顔して前につんのめりそうになった。またもそれをミスティが支える。

 そうして二人が車に乗り込むと、クリスは行きの倍以上のスピードで車を走らせた。

「ミスティ、後ろを見ていてくれ。黒い車がついてきてないか?」

「ついてきてる。あれ、あんた自分のバックミラーで見えないの?」

「いや、これ、くもってて全然……」

「え、それってかなりやばいんじゃ……」

 出血多量のヒイロがさらに青ざめる。

「黒い車はFBIのやつらだ。奴等しつこいから猛スピードで振り切るからな。奴等が撃ってきたら、ミスティ、こっちからも撃ちかえしていいから」

「ラジャー」

 そう言っているうちにクリスは急カーブを切った。

 思いきり慣性の法則に従ってヒイロが横に身体を打ちつける。

「けが人なんだからな! ちょっとは気を使えよ!」

「しゃべると舌を噛むぜ」

 何だか嬉しそうなクリスはまたまたカーブを切った。

 ミスティが窓の外を見つつ、クリスに言う。

「クリス、そっちって、街の方なんじゃない?」

「もち」

「もちって、お前、こんなカーチェイス、町中で繰り広げるつもりか!?」

「だって他にどういう手があるのさ。町中はビルが守ってくれるし」

 ミスティは唖然とした。

 こいつってば全然他人の迷惑考えてない……。

 突然車体が横に揺れた。

 後ろの車が銃で車体を撃ってきたからだ。

 ミスティはさっそうと銃を持って窓から身を乗り出し、後ろの黒い集団に発砲した。

「タイヤを狙え!」

「そんなことわかってるよ! このタコ!」

 ミスティが女らしくない台詞を言う。そうして、一台の車のタイヤが見事にパンクして動かなくなった。

「よっしゃ」

 ミスティがガッツポーズを取る。

 というのも束の間。

 すぐに後ろからまた攻撃が開始された。

 さっきよりも、ひどい。

 後ろのガラスに蜘蛛の巣のようにひびが入ったと思うと、音を立てて綺麗に割れてなくなった。

「ひえ〜」

 ヒイロが頭を抱える。

「これで撃ちやすくなった」

 後部座席から顔と銃を出してミスティが上唇をなめた。

 後ろの車の運転席に乗っている黒いサングラスの男に照準を合わせる。

「ばいばい」

 そう言うと、銃声と共に後ろで大きな音がして車が炎上した。

 どうやら運転していた男の頭でも撃ち抜いたらしい。

「うっひゃあ」

 ヒイロが声を上げる。

「クリス、結構片づけたけど」

 それでもクリスはスピードを緩めない。

「まだまだ追っかけてくるぜ。弾はまだある?」

「え? ……あ」

──そういえばクリスと予備の弾を半分つにしたんだっけ。

 すでに手持ちの弾はなくなっていた。

「逃げ切るしかないな。やっぱり町中でカーチェイスだ」

 クリスは嬉しそうにそう言うと、高速から町中へと降りていった。

 

 

 

 結局、ビル群の中でカーチェイス(他人の迷惑を顧みなかった結果事故が多発したが)を繰り広げた後、うまくまいてクリス達はFBIから逃れることができた。ほっとしたあとにクリスが後ろを振り返ってこう言った。

「で、どこ行く?」

 もう日が沈んで夜になっている時間だ。といっても、曇っていてよくわからないが。

「……俺の、大学に行きたい」

 ヒイロが半分死人状態で蚊の鳴くような声で言った。

「お前、大丈夫なのか? 真っ青だぜ」

 クリスが曇っていて見えないバックミラーでヒイロの顔を見ようとしながら言った。

「ヒイロ、医者いこうか。ダウンタウンに無免許だけど腕のいいやつがいるんだ」

「……や、やだ」

「何でだよ! お前死んじゃうよ。こんなに出血してるのに」

 ミスティがヒイロに触れようとすると、

「さわんな!」

 ヒイロが首を振って叫んだ。

「ヒイロ……?」

「俺はウイルスにかかってるんだよ。今、ロジャーが研究してるやつ。どういう風に感染するかも全然俺にはわかんないんだ。だから、空気感染ならもう完全に二人は感染してる。とにかく、よくわかんないから、俺にはさわんないでくれよ。もしうつっちゃったりしたら、どうしようもないんだからさ……」

「……どういうこと?」

 ミスティがクリスの方をうかがう。

「ヒイロは、やつらにとっつかまって、『あれ』の実験台にされたんだよ。だから世界で初めてのKウイルスの犠牲者なわけ。あのウイルスの薬や、そしてそのもの自体の構造とかよくわかってないから、今の段階では助けようがない」

「それって、絶対に死ぬってこと?」

「今の段階ではな」

 ミスティが目を見開いたまま、割れたガラスの破片がまだ散らばっている後部座席の背もたれによりかかった。

「──でも、ロジャーが、増殖とか、感染とかのDNAを壊す薬とかっていうのををつくってて、それをくれて、注射したから、多分……」

 ヒイロがミスティの方を見て無理に笑ってみせた。

 ミスティが暗い顔をヒイロの方に向ける。

「あの子、自分が何をやってるのかよくわかってないんだと思う」

 いつになく、弱々しい声でミスティはそう言った。

「うん。俺もそう思ってた」

「何をやって、それで何が起こるのか、全然わかってなくて、それで、でも言われたことはちゃんとやってて。それで人が死ぬのだけはわかってたから、そういう風に陰でこっそり薬の研究もしてたんだと思う。見つかったらあの子、──どうなっちゃうのかわからないのに」

 ヒイロにはミスティが泣いているように見えた。

「ヒイロを実験台にしたって事は、つまり、ほぼKウイルスは完成に近い状態にあるってわけだ。完成すると、その、ロジャーはどうなるわけ?」

「わからない。──場合によっては殺されるかも──」

「じゃあ、事は急がないといけないわけだな」

 クリスがアクセルを踏んだ。

「ヒイロ、大学ってどっちだ?」

「……」

 返事がなかった。

 ミスティが横を見ると顔色が真っ白になったヒイロが意識を失っていた。

「ヒイロ!?」

 ミスティが揺さぶると、ヒイロはうっすらと目を開けた。

「だいがく、は……え、と、ここ、……どこ?」

 よくわけのわかっていない声でそう言うと、ヒイロはまた意識を失った。

「ヒイロ!!」

 ミスティがまた揺さぶるが、今度は本当に起きなかった。

「ミスティ、いいのか、うつるぞ」

「こういう時にそんなこと言ってられないだろ!! ヒイロが死んじゃうかもしれないんだ! どうして大学がどこかくらいわかんないんだよ!」

「わかんないんだよ……って……知るかよ、そんなん!」

 

 

 

 あーだこーだ言った結果、結局ミスティが本屋で地図を見てきて、すぐに大学の場所はわかり、そのまま直行した。星が綺麗に見えるくらいの時間になった頃、ようやく大学の駐車場にたどり着き、クリスは車の外に出た。

「ああ、晴れたんだなぁ……」

 そう言ってクリスが空を見上げる。

「ぼさっとしてねえで手伝えよ!」

 ヒイロを一生懸命抱えあげようとしているミスティが怒鳴った。

 クリスはそれに手を貸すと、ヒイロを背負った。

 大学の研究室はまだ明かりがついている。徹夜で研究をする生徒がたくさんいるせいだろう。

 クリスはミスティを見て、

「お前は仲間に言ってこの車、今すぐ処分してもらえよ。俺はこいつ連れてなんとかするから」

「わかった」

 ミスティは短く返事をすると、電話を探しに暗闇の中に消えていった。

 クリスはそのままヒイロを背負い、大学の入口の管理人のいるところまで行った。

 当たり前だが、クリスはそこで止められてしまった。

 こんな夜中に、真っ青な人間を背負っている変な男を中に入れるなんて非常識きわまりない。(ホントか?)

 一体あんたは何者だね、という感じで管理人のおじさんに責められているとき、ヒイロが目を覚ました。

 顔色が悪いことは変わりがないが、ヒイロは管理人のおじさんに気がつくと、にっこり笑った。

「すいません、僕、ちょっと酔っちゃって。この人友達なんですけど。僕がまだレポート書き上げてないんで、連れてきてくれたんですよ」

「一体あんたは……」

「山根弘也です」

 突然、ああ、と管理人のおじさんが納得して、すぐに中に入れてくれた。その様子にクリスが変な顔をする。

「もしかして、お前って超優等生? それとも有名人?」

「……に、かい、の、6号、しつが、へやだから、そこ……」

 さっきとはうって変わってへろへろになったヒイロがぽそぽそとクリスに告げた。

 クリスは誰もいない廊下をすたすたヒイロを背負って歩いて、ヒイロの言った部屋にたどり着いた。部屋の鍵はかかっていない。そのまま中にはいると、クリスは椅子にヒイロをおろした。

「さぁて、傷をなんとかしないと。道具とかって……あるよなぁ、当たり前だよなぁ」

 とかなんとか言いつつ、クリスはガラス棚からどんどん薬品やら包帯やらを取り出して手際よく手当をすすめた。特殊部隊にいたときにつちかった知恵らしい。

 車に乗っている間にミスティが血止めをしておいてくれたおかげで、出血も死にいたる程ではなく、手当は無事に終了した。

「でもよかったなぁ、撃たれた相手が軍隊じゃなくて。軍の奴等だったら今頃お前の腕、ふっとんでて、無いぞ」

「なんでそんなことわかんの」

「だって俺、元軍人じゃん」

「ふ〜ん」

 クリスは血がついたガーゼなどを全部ごみ箱に捨てると、手を洗った。

「……いいの?」

 突然、ヒイロがクリスに聞いた。

「何が」

「クリスも、多分うつってるよ、もう」

「俺がうつってるならミスティだってそうさ」

「死ぬよ」

「知ってる」

 クリスは洗った手をそばのペーパーでふき取ると、ぽい、とごみ箱に捨てた。ヒイロがそれを見ながら言った。

「俺、今日はしばらくここにいるよ。ウイルスも少し、調べたいし」

「おま……出血多量で死にそうになってたやつがよく言うよ。さっさと寝ろよ。そこにベッドもあることだし」

「医務室で一晩すごせっての?」

「いむしつ? ──ここ、お前の研究室じゃないの?」

「違うに決まってるじゃん。俺の部屋だったらこんな薬品とかないよ」

「じゃあ、ここの薬品とか、全部……」

「だまって使っちゃったわけ」

 クリスの全身の力が抜ける。

「というわけで、見つからないうちに去ろう」

 ヒイロが立ち上がりかけてふらつく。さらにそれを支えようとしたクリスがつんのめる。

 そうして、二人はそのまま外に出ていった。

 

 

 

 ヒイロがカードキーで研究室の鍵を開けると、中は真っ暗だった。

「やっぱり誰もいないや」

 ぽそっとそう言うと、ヒイロは明かりをつけ、中に入っていった。

 クリスが中をぐるっと見回す。

「お前のグループ、全然夜は活動しないの?」

「うん。みんな昼しか活動しないタイプだから」

「珍しいな」

「そう?」

 ヒイロは部屋の隅にある塊にかかっている布を取りながら首を傾げた。

「何、それ」

「これ? 顕微鏡」

「けんびきょうって言ったって、それ……」

「借りてるんだよ。この一週間だけだけどね」

 ヒイロはでかい顕微鏡の方に椅子をずるずるとひっぱっていった。

「この位じゃなきゃ、見えないウイルスなんじゃないの?」

「さあね、俺は医学的なことは全然わからんからな」

 黙ってヒイロが注射器をクリスに差し出す。

「何だよ、これ」

「血液」

 それだけ言うと、ヒイロは自分も注射器を手に取った。

 

 

 

 

「クリス!」

 突然顔を上げてヒイロが叫んだ。

「何だよ」

「よかったね、うつってないみたいだ」

「なんでわかんだよ」

「ロジャーが、『増殖や感染に関するDNAを壊す』薬って言ってたけど、多分それは人間の体外でウイルスが生きられないようにする薬だったんだよ」

「ほう」

 ヒイロは自分の免疫の数値が少し低くなっているのは話さなかった。よけいな心配はかけたくなかったからだ。

 用がすんだのでさっさと顕微鏡を片づけつつヒイロが話を続ける。

「俺の予想では、このウイルス、かなりの高性能で、個人個人の体温や濃度に適応して、それが一番いい状態として増殖し、活動する。それから体外に出て、他人に感染するときには、生み出したばかりの、どのような状態にでも適応できるウイルスの赤ちゃんを体外に出して、またそれが、親ウイルス同様他人の体内に適応して、どんどん増えていくんだ。けど、この間ロジャーが作った薬は、そのウイルスが増殖できないようにしたから、いったん俺の身体に適応してしまったウイルスは、外に出ると活動できなくて、死んでしまう。だから感染しなくなるんだ」

 ヒイロは顕微鏡に布を元通りにかけながら言い終えて、クリスの方を振り返った。

 クリスはぽかんとヒイロの方を見ている。

「お前さ、どうしてこの少ない情報の中から、そんな予想がきちんとたてられるわけ? もしかして、でまかせ?」

「……かも」

 へらっとヒイロが笑う。

「でも、感染しないって事は事実だと思う。俺なんかより全然ロジャーは頭いいわけだし、あいつのつくったものだから、きっと平気だよ」

「ほう。しかし結局お前自身の中ではウイルスが存在してるというわけか。って事は、確実に死ぬの?」

「……そんなきっぱり言わなくてもいいじゃん……」

 ヒイロがしょぼんとする。

「ロジャーが、なんとかしてくれるって言ってたし」

「でも、お前、それがどのくらいの期間で発病して、死に至るのかなんて全くわかってないんだぜ。その間に、ロジャーとお前が会えるかどうかなんて……しかもお前と会ったときに、ロジャーがうまくウイルスの薬を完成させているかってのも問題だし……」

「クリスは、俺に死んで欲しいの?」

「や、何もそんなことは……ちょっと難しいよ、って事を」

 クリスが頭をかく。

「俺が死んだら、死んだで、それが俺の寿命って事だよ。でも今は、何とか助かる方法を考えるしかないわけじゃん」

 ヒイロがクリスを見ながら言った。

「わかった。じゃあとにかく、ミスティと一緒にロジャーを一刻も早く捜し出さないとな」

「うん」

 ヒイロがうなずく。

「……結局、まきこんじゃったな。って言うか、お前がまきこまれたっていうか」

「うん。これがきっと運命だったのさ」

「運命? 何だお前老人みたいな事言うな……」

「ミスティの所行くの? 俺んち、もう見つかってて、危ないんでしょ」

「ああ」

 クリスはどうやってダウンタウンに行こうかと考えつつ、研究室のドアを開けた。そろそろ、日の出てくる時間だった。

 

 

 

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