四章

翌日、美利河が残した置き手紙を見た矢葺達は混乱状態に陥っていた。
「な、何でいきなり浅葱に帰っちゃうんだよっ。一週間でも美利河がいなくなったらどうなると思ってるんだ!」
矢葺が頭を抱えて騒ぐと、寒菊も腕を組みながら大きくため息をついた。
「あたしだって軍師さんに美利河ちゃんの事はまかせてって言ったのに……美利河ちゃんが一人で動いてもしもの事があったら……」
「ああぁ、どうしようどうしよう。一体あいつは何を考えてるんだよ! 俺のせいになっちゃうじゃないか」
「あたしのせいにもなっちゃうわ」
矢葺と寒菊が部屋をぐるぐる周りながら混乱しているのを征も困りながら見ていたが。
「ほっとけ」
という瀧の一言で二人はぴたりと動きを止めた。
「ほっとけってどういう意味だよ!」
「そうよ、あんたこそ美利河ちゃん探しに行ったらどうなの!?」
初めて意気投合した二人に5センチほどのけぞった瀧だったが、咳払いひとつして居直ったあたり人生経験の深さが違う。
「この情報を敵にもらさなければいいだけの話だろう。美利河は一緒にいることにして蘇芳に帰ればいい。そっちの小さいのを美利河っていうことにして道中連れてってもいいだろう」
「征君は無理よぉ、だって男の子だもの」
「そうだよ何考えてるんだよ。それに小さいのって……」
矢葺が言いかけると、
「ああ、お前と変わらないくらいだったな。すまん」
と瀧はかわしてみせた。
日頃から瀧に対する不満がつのりにつのっている矢葺だったが、この時も言い返すことはできずに、にらみ返すだけにとどめた。
「でも、瀧、あんたほんとに美利河ちゃんを追いかけていってよ。心配でしょうがないわ。こっちの事はあたしが何とかするから」
「わかった……一つ、聞いてもいいか」
「何よ」
「まさか、兄貴が美利河だとか言ってついていくんじゃないだろうな」
「あら、駄目かしら。あたしほど適役はいないと思うんだけど」
「どうやったらお前が女ってことになるんだよ」
「え!? 女の人じゃなかったんですか!?」
横からの征の反応に呆然とする瀧。寒菊はといえば、「ほぉら見なさい」とばかりに得意げな顔をしてみせた。
瀧はため息をつくと、何も言わずに屋敷を出ていった。
 
 
美利河が船を降りて浅葱についた頃、空には雪が舞っていた。
冷たくなった手に白い息を吐きかけると、美利河は走り通しで疲れている凪を励ますように優しく叩いて、また走り出した。
──出来るだけ早く村について、そしてみんなを避難させれば……。
そう思っても胸騒ぎがして止まず、美利河はできる限りの早さで馬をとばし続けた。途中凪が足を痛めるのではないかという不安も頭をよぎったが、不思議と凪の体力も続き、驚くほど早く美利河は村へ続く森についていた。
それでも、風眞というあの青年に会ってから早くも一週間が過ぎようとしていた。
息を切らせた美利河は、凪に水を飲ませようと湖のそばに行った。水面に映った自分の顔は驚くほど疲れ切っている。
──この数日間、飛ばしすぎた……。そんなに急がなくても大丈夫。大丈夫よ……。
心の中で繰り返し、自分を落ち着かせようとしたが胸の高まりはおさまることはなかった。
水を飲んでいる途中で凪が耳をひくつかせ、顔を上げた。
美利河もそれに気がついて耳をすます。
何かが燃えている音がした。
振り返ると、村のある方角から煙が上がっている。
「嘘!!」
美利河は凪に飛び乗り、全速力で駆けだした。
村に近づくにつれ、木々の間から赤いものが見えだした。
──燃えている……まさか!
今までもやもやとしていた不安が一気に現実のものとなるのを感じた。
村に着いた美利河は唖然とした。
目に入ったのは幼い記憶にある光景だった。燃えている村と、倒れている人々、そして京華の兵。
美利河は全身が火のように熱くなるのを感じた。凪は美利河の殺気を感じて後ろに下がる。
──……鵡斗さん……嘘でしょ……。
喉がカラカラに乾いていた。手は汗でびっしょりだった。
足が勝手に進むままに美利河は燃えている村を歩いた。
そして、村の中央で見たものは。
「ばば様!!」
美利河を村から出し、そして剣をさずけたあの老婆は無惨な姿で地面に転がっていた。
美利河に気がつき何人もの兵が美利河をとらえようと剣を抜いた。
怒りに、全身が支配されているのを美利河は感じた。
──……許さない……。
手はあの呪われた剣を抜こうとしたが、美利河は今度は瀧からもらった剣を抜いた。迷わず兵に向かって振り下ろす。 だが甲冑を付けた兵の前に、無情にも瀧からもらった剣は折れた。
一瞬の躊躇の間に後ろから強烈な打撃が美利河を襲った。そのまま地面に崩れ落ちる。
「叶様、美利河と思われる少女を捕らえました」
兵の一人が近づいてくる白い馬に乗った人物に言った。
その男は馬から降りると、兜を脱ぎ、横にいた男に聞いた。
「……風眞、そいつが美利河に間違いないか?」
「はい、叶様」
叶は美利河を一瞥すると、もう一度兜をかぶり、馬にまたがった。
「これでもうここには用はない。すぐ京華に戻るぞ」
そうして、美利河を連れた京華の一行は燃えている聖なる村を後にした。
 
 
「何だと!?」
芹は矢葺の報告を受け、玉座から立ち上がった。
「本当だよ。一週間で戻るとか言ったけど、どうだか……手紙には、故郷が危ないかもしれないとか書いてあったけど」
「京華が……浅葱の付近に船を向かわせているという情報は聞きましたが。まさかそれのことでは……」
椹は眼鏡を押し上げながら言った。
「それで美利河が故郷に帰ったわけ? ……だとしたら、結構危ないよなあ」
「お前がついていて何をしてたんだ!」
「そんな風に言われてもさあ……その時は寝てたんだもん」
芹に責められて矢葺が困ったように頭をかく。
「一応、あたしの弟が今、後を追ってるんですけど……間に合うかどうか」
「そうですね。京華が美利河殿の故郷を滅ぼそうとしていたとして、美利河殿と遭遇してしまったら、大変なことになりますからね」
椹は腕を組んだ。
「困ったことになったな……」
芹は頭を抱えつつ玉座に腰を下ろした。
「とりあえず、新しい策を何か考えましょう。矢葺様とそのお連れの方々はもうお疲れでしょうから、今日のところはお休みください」
椹は落ち着いたように言ったが、顔は困惑を隠せなかった。
 
 
同じ頃、瀧は美利河の故郷の村についていた。
村の大体の位置を聞きつつ、馬を飛ばしそこに辿り着くまでに四匹もの馬をつぶしていた。 それでも、目の前に広がるのは焼け崩れた村の残骸だった。
「……遅かったか……」
瀧はつぶやき、美利河が折った剣の一部を拾い上げた。そのまま瀧が立ちつくしていると、どこからか凪がやってきて瀧の背中に鼻を押しつけた。
「……凪か……。お前の主はどこにいる?」
瀧が聞くと、凪は美利河が連れ去られた方に顔を向けた。
「また走らないといけないか……。お前、ちょっとがんばってもらうぜ」
瀧はそう言って今度は凪にまたがった。
 
 
美利河は天井の高い、暗い黴臭い牢に閉じこめられていた。手と足を鎖につながれ、剣はどこかに持ち去られている。鎖を動かしながら美利河は今自分がどこにいるのかを把握しようとした。
──竜胆で京華の人に会って……それで村を助けようとして走って帰って……村が燃えてて……。
そこまで考えて頭にカッと血が上った。
そして急に泣きたくなった。
次々に村で親しかった人々の顔が浮かぶ。
──みんな……殺された……。
全身から力が抜けて目から涙があふれそうになった。
──私が、もう少し早かったら……もしあの時、私が村を出るなんてことになっていなかったなら……鵡斗さんがいたなら……。
とめどない『もし』が頭の中をぐるぐるとまわった。
そしてその大きな哀しみは最後に、叶に対する怒りへと変わった。
――叶、あいつさえいなければ、こんなことには……そう、はじめて見たときから感じていた嫌悪感は未来の村のものだったんだ。ということは、ばば様も知っていたはず。知っていて、私を村の外へ出した……。
いったん気が落ち着くと、美利河は冷静に自分の周りを見回した。
──私は今、京華にいるんだ。……ということは、兄さんがいるかもしれない。
そう思いついたとき、足音が近づいてきて錠前がはずれる音がして、目の前の扉が開いた。 先に入ってきた男の顔を見て美利河は思わず口に出した。
「……叶……」
「そうだよ。よくわかったね」
叶は冷たい目で美利河を見下ろしながら言った。その表情は八年前に見たものと何も変わっていなかった。
「風眞、挨拶をしてあげなよ。久しぶりだろう」
叶の影から出てきたのはなんと風眞だった。何故、この男がこの場所に出てくるのか。彼は竜胆に居るはずではなかったのか。
「すみません。あなたを浅葱で捕らえるために嘘をつきました」
「嘘……?」
美利河はまだ状況がつかめなかった。
「風眞とお前が会うのも作戦のうちだったということだ。まだわからない? お前はこいつにうまく騙されたんだよ」
「……!」
「あの村を滅ぼすのはそのついでだっただけ。お前を捕まえるのが目的だったんだよ」
美利河は叶のそう言う姿に言いようのない怒りを覚えた。
「……ついで……? ついでであの村を滅ぼしたっていうの!? ついでであの村の人達をみんな殺したっていうの!? 許さない! お前を殺してやる!」
鎖が引っ張られて大きな音がした。美利河の手は叶に届かず、宙を切った。
「……ふうん。あの村を滅ぼしたのは精神的に苦痛を与えるのにはよかったのかもな。今気がついたよ。これで心身を病んでくれれば解法してやってもいいが」
叶はそう言って顎に手を当てた。
「そうそう、今回は風眞、お前がよくやってくれた。おかげでこんなに簡単に一番邪魔なやつを捕まえられた。お前もたまには役に立つものだな」
「……勿体ないお言葉、ありがとうございます」
風眞は頭を下げた。
「そうだ。お前、兄に会いたいだろう。後で会わせてやろう。……兄に会えば少しは考えが変わるかもしれない」
それだけ言うと叶は牢を出た。風眞もそれに続こうとしたが立ち止まり、美利河の方を振り返った。
「騙してしまって本当にすみません。……でも私には、あの方が全てですから」
風眞はそう言い残して牢を後にした。扉が閉まると同時に、牢は元の闇に閉ざされた。
 
 
椹は会議室に女王芹と将軍薊と矢葺達を集めた。
二つの紙を手にしながら、彼は言った。
「悪い知らせがあります。それも、二つ」
矢葺と寒菊は息をのんだ。
「一つは、美利河殿がおそらく京華に連れ去られたであろうこと。これは寒菊殿の弟の瀧殿からの文です。彼はこれから単独で京華に行くつもりのようですが」
椹はそう言って寒菊を見た。
「……瀧なら大丈夫でしょう。きっと美利河ちゃんを助けることができると思います」
寒菊はそうは言ったが顔は不安を隠せない。寒菊同様色々な地に知り合いがいるとはいえ、美利河が囚われている場所まで確定することは不可能だろう。それに、短期間の間に長距離を移動するというのも、この極寒の時期には相当厳しいことといえる。
「もう一つの悪い知らせは、征殿のいらした斉夏が、一昨日京華に降伏を申し出たということです。新しい族長は彌刀という者らしいですが、斉夏はこれから京華に加勢し、竜胆との国境戦に臨むようです」
「……」
征は黙って下を向いた。
「武人の一族、斉夏か……。国境も放ってはおけなくなったな。竜胆と力を合わせ、我が軍も総力をあげて戦わねばなるまい」
「その通りです。しかし問題は……美利河殿を捕らえた京華がどういう動きに出るかということです」
「というと?」
「京華がただ美利河殿に集まる力を封じるために捕らえたとは考えにくいのです。つまり、今後の戦いにおいて、美利河殿を人質という形で利用すると考えられます」
椹が全員の顔を見回す。矢葺は小さく「嘘だろ」と漏らした。
「そこで私の考えとしては、向こうがその条件を出すまで戦いを今まで通り、いえ斉夏が加勢したとなっては今まで以上にですが、続けるつもりです。そして向こうが美利河殿の命とこちら側の降伏を交換条件に提示した場合、出来る限り返答をのばします。その間に瀧殿が美利河殿を助け出すか、篠青を寝返らせるか、もしくは篠青の北に位置する鬱金を寝返らせることができれば我々に勝機はあると言えるでしょう」
「でもさ、もし篠青や鬱金を寝返らせることができたとしてもさ、美利河が助けられなかったら……」
「諦める他ないでしょう」
あっさりとそう言った椹に矢葺は怒りをあらわにして机を叩いた。
「お前! 美利河を利用するだけしといて見殺しにする気か!?」
「……美利河殿一人と、我が国の降伏を天秤にかければどちらに傾くかは一目瞭然でしょう。それが女王のお考えのはずですが」
「矢葺。美利河は、我々が京華に反旗をひるがえすための象徴として掲げたのだ。篠青か鬱金が寝返れば勝機は見える。そうなれば美利河は必要がない」
芹がそう言うと矢葺は大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
「もういい。お前らみんな糞くらえだ! 勝手にしろ!」
矢葺は叫んで会議室を後にした。
大きな音がして扉が閉まった後、寒菊はため息をついた。
「あたしも、あなた達のやり方は非道いと思うわ。……でも、瀧は必ず美利河を助け出す。矢葺と一緒に瀧の後を追いかけてもいいかしら? それとも大切な皇子だから危険にさらすような真似は駄目かしらね。……どちらにしても彼は必ず瀧と一緒に京華へ向かうと思いますけど」
寒菊の言葉に芹と椹は顔を見合わせた。
そして芹は呆れたように苦笑した。
「いつものことだ。今までもこれからも、あいつを束縛する気はない。よろしく頼むぞ」
寒菊は頷いて席を立ち、会議室を後にした。
 矢葺のせいで会議はいったん中断した形になったが、椹は眼鏡をかけ直して今度は薊に指示を出した。
「薊、竜胆の国境……特に鬱金の方に精鋭部隊を出せるか。少人数で構わない。篠青には大量に兵をつぎこんでくれ。出来る限り多くな。移動は竜胆の漁師が力を貸してくれる。蘇芳には護衛のための兵を少し残すだけでいい。相手の出鼻をくじくだけで、寝返らせるための格好の材料になる。竜胆の元反乱軍の兵士たちも含め、最善と思われる隊を組んでくれ」
「わかりました」
薊が頷く。すると横で今まで黙っていた征が口を出した。
「あ、あの……斉夏は、篠青との国境戦に参加するんですか?」
「そうです」
「だったら、僕も連れていってください。彌刀とは親友なんです。話すことができれば……もしかしたら彌刀の考えを変えられると思うんです」
「……」
椹は黙って征を見た。十四、十五の頼りなさそうな少年だったが、斉夏の人間とあれば何かの役には立ちそうではある。何より武人の一族の一人だ。武術はもちろん、古来より伝わる斉夏の特殊な戦法にも精通している可能性がある。
「わかりました。美利河殿のいない今、我々は藁にでもすがる思いです。是非協力をお願いします」
「はいっ」
征は頬を赤らめて返事をした。
 
 
「矢葺、瀧を追いかけるつもりなんでしょ、あたしも行くわ」
馬小屋から自分の馬を連れ出そうとしている矢葺の背中から寒菊は声をかけた。
「おかまも来るのか?」
「もう、茶化さないでよ。瀧との連絡を取るならあたしがいたほうが手っ取り早いわ。元反乱軍の頭の姉で、全国にたくさんいる芸人とつながりがあるんだから。瀧は今もう竜胆の国境を越えるあたりよ。あたし達も急ぎましょう」
矢葺は寒菊の「元反乱軍の頭の姉」という言葉につっこみを入れたかったが、急いでいたために我慢しなければならなかった。
そして馬に乗った寒菊に「おかまのくせに馬なんか乗れるんだ」などと他のつっこみを入れつつ、矢葺は蘇芳の都を発った。
 
 
京華の冬は寒い。
山と山に囲まれた間にある京華の都は、夏は暑く、冬は雪も積もる。歴史の長い京華は、そんな季節の移り変わりを何度となく見てきた。そして今年の冬も例年と同じように寒く、あたりは真っ白になっていた。
美利河のいる檻からはそんな外の光景は見ることも出来ず、代わりに外の寒さだけが高いところにある窓から降りてきた。
あれから何時間、いや何日経っただろうか。
覚えているのは最後に見た風眞のすまなそうな顔。
美利河は腕の鎖を見つめた。何とかして外そうと試みたが、結果はむなしく、その努力の結果が手首と足首に傷を残すばかりだった。
──ここに、兄さんがいるのに。
そう思って焦ってみても何も変わりはしない。兄と会わせてくれると言った叶の言葉のみにすがりつきたい思いだった。
扉の向こうから鍵を開ける音がした。日に一度あるかないかの食事かと美利河は思った。しかし扉を開けた看守は何も持ってはいない。
「阿砂耶様がお呼びだ。出ろ」
耳を疑った。
看守は今確かに兄の名を呼んだ。
「そんな薄汚い格好のままだと失礼極まりないぜ」
看守は美利河の鎖を外すと、服を投げつけた。
「ついてこい」
言われるままに美利河は従った。
逃げだそうにも久しぶりに立ったせいでふらふらだった。
美利河は別の部屋で身なりを整えると、また新しく手枷と足枷をはめられた。
外へ出ると雪の中王宮の内部と思われる敷地の中を歩かされ、高い塔の中へと導かれた。そして何段もの階段を上り、ある部屋の前に辿り着いた。
「ここが阿砂耶様の部屋だ」
看守はそう言うと、扉を叩いた。中から声が聞こえたようだった。
美利河が中にはいると、広い部屋の中に何人かの護衛がいた。
阿砂耶は、窓の方を向いて立っていた。
「……兄さん」
美利河が呼ぶと、阿砂耶は振り返りもせずに護衛にこういった。
「外してくれるか」
阿砂耶の声は、美利河の記憶にはない低い落ち着いたものだった。
阿砂耶の命令は絶対なのか、護衛達は美利河がいるのにも関わらず部屋を出ていく。
「……美利河……本当に美利河なのか……?」
阿砂耶は窓の方を向いたまま尋ねた。
「そうよ」
「……もう二度と会うことは無いと思っていた」
阿砂耶は美利河の方を振り返った。黒い、まっすぐな長い髪が揺れた。八年前とは変わってはいたが、それは間違いなく阿砂耶だった。
「……兄さん……」
思わず美利河の頬を涙がつたった。
二人とも言葉が出ないまま、長い時が過ぎた。
「ここに座ったらどうだ」
ようやく阿砂耶が手で長椅子を示し、自分も向かい側に座った。
美利河が、卓の上の剣に気がついたのを見て取って阿砂耶は言った。
「……それは美利河が持っていたものだよ」
「どうして……」
「叶が私に渡した。お前が持っているのはふさわしくないと。あれはばば様からもらったのか? 随分鞘に布が巻き付けてあったが、お前はあれを使えたのか?」
美利河は首を振った。
「村を出るときに、ばば様からもらったの。本当は兄さんに渡すつもりだったって言ってた。ばば様に抜いてはならないと言われたけれど、一度思わず抜いてしまったの。そうしたら大変なことになった」
「そうか……」
阿砂耶は剣を手に取った。
「そうだ。ずっと兄さんに聞きたかったの。何故叶の思うようにさせているの? 私は兄さんが脅されているのだと思っていたのだけど」
「脅されてはいない。脅される前に従う道を私は選んだ」
「選んだ? 何故」
「……叶は心の透き間を埋めようとしているだけだ。それに統一がなされればもう戦いや国同士の小競り合いも無くなる」
阿砂耶の言葉に美利河は呆気にとられた。
阿砂耶なら、絶対に叶に抗うだろうと、美利河は信じていたからだ。
「でも兄さん覚えていないの? あいつに、父さんも母さんも、そして村のみんなも殺されたのよ! あいつは人を殺しても何とも思わないのよ。そんな奴に統一させて、それで兄さんは満足なの!?」
「……美利河。私は叶を恨んではいない」
「!」
美利河は驚いて阿砂耶の顔を見た。
阿砂耶の目は静かな故郷の湖を思わせた。
「叶は確かにすべてを滅ぼすほどの勢いを持っている。その星のもとに生まれた者だからな。だが、その勢いをもって統一を果たし、その後京華が滅び行くのなら、新しい何かがその後を受け継ぐことができるだろう」
「……わからない……兄さんなら、絶対に私と同じように考えてると思った。どうして大切な人達を殺されて、故郷を滅ぼされて、恨まずにいられるのよ!」
「恨んだところで何か変わると思うか、美利河」
阿砂耶は優しい声で美利河に言った。
「叶を憎み、叶を殺したところで──死んだ人達が戻ってくるとでもいうのか。……憎しみは何も生まない。鵡斗もそう言っていただろう」
「そんな事言っても!」
美利河が反論しようとすると、阿砂耶は剣の柄に手をかけた。
「兄さん、それを抜いたら駄目よ」
阿砂耶はにっこり笑ってすらりと剣を抜いた。そして柄を両手で握り直し、もう一度美利河に微笑む。
「……何故私がこうしていられるかわかるか」
「兄さんは……長になるべき人だったから……」
「違う」
阿砂耶はきっぱりとそう言った。そして美利河の方に歩み寄り、美利河の手枷と足枷を剣で壊した。
「鞘に書かれている『選ばれし者』というのは本当は誰でもいいんだよ。私の中には憎しみという感情がない。すなわち斬るべき相手もいない。この剣は憎しみを持つ人には最大の力を与える。相手を見境なく死に至らしめるほどにな。それが呪いだ。憎しみを抱かぬ者には、呪いを与えないかわりにこの剣は普通の剣に変わる。そして相手を赦したとき、剣はその相手を救うのだ」
阿砂耶は剣を鞘におさめ、美利河の手の上に乗せた。
「今のお前が使うべきものではない……だが、そのうちきっと必要になる」
美利河は阿砂耶の顔を見つめた。
「でも今渡されても……看守に見つかったら取り上げられるわ」
美利河がそう言うと阿砂耶は立ち上がって窓を開け放った。
とたんに部屋の中に冷たい空気が入ってきた。
「……美利河。ここから逃げるんだ。北東に行けば鬱金に抜ける。鬱金との国境は今は行き来自由のはずだ」
「……」
「お前は波乱の星のもとに生まれたという。そのお前が、叶という大きな流れに立ち向かうというのなら、それも運命なのだろう」
 窓の外には雪がちらついている。
「叶は戦いにおいてお前を人質に取るつもりだ。交渉がどっちに転んだとしても叶はお前を殺すだろう。その前に早く逃げるんだ」
美利河は立ち上がった。
「でも、私が逃げたら兄さんが責任を取らされるんじゃ……」
「神と崇められている者を罰することは出来ない。そこが奴の弱みさ」
阿砂耶は笑ってみせた。
「早くここから逃げるんだ。壁にはっているつたをうまく使えばお前なら降りられるだろう。村ではよく木に登ったしな」
美利河は黙って阿砂耶を見つめた。
「……兄さん……」
「また生きて会えるといいな。さあ行け」
美利河は言われるままに窓から外に出る。蔦をつたって地面に降り立ち上を見上げると、阿砂耶は微笑み、それから窓を閉めた。
外は真っ暗だった。
美利河はもう一度腰に剣を差すと、阿砂耶の言った北東を目指して雪の中を走り出した。
 
 
美利河がいなくなってから数週間たった頃、蘇芳と竜胆の軍は鬱金、そして篠青との国境に向けて前進を始めた。
椹の指示通り、篠青へは二万の軍を、そして鬱金には五千の精鋭の軍を出発させた。鬱金の方へ向かう軍は将軍薊自ら指揮を執ることになった。
篠青への大量の軍の移動は、茜たちのいる竜胆の漁師たちを船員として使うことになっている。そしてその船に乗り込む兵士の中に、征の姿もあった。
茜は甲板を歩いて見回しながら、矢葺と美利河の姿を探していた。
「あっ」
茜の目に兵士でない矢葺と同じ背格好の少年が目に入った。
「矢葺!」
振り返ったのは年齢こそ同じくらいだが、矢葺とは全く雰囲気の少年だった。
「あっごめんなさい人違いだった。ねぇ、皇子の矢葺か美利河のことしらない? また会えると思って楽しみにしてたんだけど」
 見ず知らずの人間にこれだけあっけらかんと聞きたいことが聞けるのは茜の才能のひとつであろう。相手が矢葺も美利河も知らない人間だった場合、会話自体がなりたたないことになる。けれども、その時の相手はあの征であった。
「美利河さんは今ちょっと……京華の方にいて、矢葺さんはそれを助けに……あっ」
征はそこまで言ってから思わず口を塞ぐ。
「あーっこれ内緒だったんだ。ごめんなさい忘れてください」
「ちょっと! そこまで言われて忘れてはないでしょ! あたしは美利河と矢葺の友達なのよ。詳しく教えてよ」
「え……でも……」
「じゃあ、他の人にいいふらしちゃおっかなぁ」
「駄目です!」
征は必死に叫んだ。
「それじゃ、教えてくれるのね」
「……美利河さん、寒菊さんと瀧さんと矢葺さんと一緒に篠青の斉夏に来たんです。その後、竜胆に戻ったんですけど……。気がついたら、故郷が危ないから浅葱に帰るっていう手紙があったんです」
「ええ! それで?」
「それで、僕にはよくわからないんですけど、そのとき浅葱に京華が来ていたみたいで、美利河さんは捕まっちゃって京華に連れて行かれたみたいなんです。それを、今瀧さんが追いかけているんです。この間矢葺さんも寒菊さんもその後を追いかけて出ていっちゃったんです」
「へえ、大変なことになってるのね」
茜は興味津々といった感じで頷く。海の冷たい潮風が茜の外にはねた髪を巻き上げた。
「で、この大軍は篠青との戦いに行くんだよね。あんたもついていくの?」
「はい。僕……斉夏の人間なんです。だから、京華についた仲間を説得しようって……」
「斉夏? あの武人の一族? あんたが?」
 初対面の人間に失礼極まりない視線を投げかけた挙句、茜はさらに質問した。
「……で、何で斉夏の人間がここにいるのよ」
「えっと……それには、色々あって」
「ふうん」
茜はじろじろ征の顔を見たが、何かたくらんでそうには見えなかった。
「武人の一族の者のくせに、なんか情けない顔してんのね」
茜の言葉に征は返答に困った。
船の大集団は篠青との国境を目指して進み続けた。
 
 
瀧は鬱金と京華の国境に辿り着いていた。
鬱金から京華に抜けるための峠はいくつかあったが、そのほとんどが雪で通れなくなっている。そのせいで瀧は何度も遠回りをすることになり、急いだ割に浅葱についたときから四週間以上がすぎようとしていた。
途中で凪を捨てようかと何度も試みたが、凪は主人の事が気になるらしく、別の馬に乗り換えて走り続ける瀧の後を必死に追ってきた。
鬱金と京華の国境は警備が薄いと聞いていた瀧だったが、一つだけ通ることの出来る峠には厳重な警備がおかれている。
「京華に入る前に下手な騒ぎは起こしたくねえな」
舌打ちして、瀧は白い息を吐きながら馬を降りた。それに気がついた警備の兵士が瀧に歩み寄る。
「何者だ」
「鬱金から知り合いに会いに来た。国境は自由に行き来できると聞いたが」
「ああ。すまんな。例の阿砂耶様の妹だとかの少女が──捕らえたはずだったんだがな、逃げ出してしまったんだ。他の峠は全部封鎖しているんで、ここは厳重に警備しろって上からの緊急の命令なんだよ」
兵士の話を聞いて瀧は顎に手を当てた。
──美利河が逃げ出した? 本当なら話は早い……。
「その話、本当なのか?」
「ああ。叶様直々の詔書が届いたんだ。間違いない。何でそんな事を聞くんだ?」
「いや、間違いかと思ってな」
瀧はそう言って峠の向こうを見やる。
向こうから誰かがやってくるのが見えた。その影を見て瀧ははっとする。
「そうそう、背格好はあのくらいだってよ。もしかしたらあれかもしんねえな。捕らえたら昇進ものだぜ」
向こうからやってくるのは、紛れもない美利河だった。
長い髪を揺らして、こんな寒い外を歩くような格好をしていない美利河はすぐに怪しまれて当然だった。
「悪いな。昇進もこの先もお前には無くなったよ」
瀧はぽつりと呟くと、剣を一閃、兵士を雪の上に倒す。同僚が殺されたのを見た他の兵士が大声を上げて走り寄った。
「あまりこういうことはしたくなかったが仕方ない。お前ら運が悪かったと思え」
瀧の剣は縦横無尽に走り、その度に血飛沫が上がった。その剣のさばきといえば兵士数人がかりでもおさえきることはできず、ついには十人以上の兵士たち全員が地面に倒れ臥す有様である。ようやく騒ぎがおさまり、瀧が剣を鞘に戻したときには辺り一面雪が真っ赤に染まっていた。
瀧が顔を上げると、美利河が少し離れたところで立っていた。
「……瀧……」
「迎えに来てやった」
凪が走って美利河に鼻面を押しつけた。美利河は嬉しそうに凪を撫でながら、
「浅葱から走ってきたの……? ありがとう……」
と言った。
「もう行くぞ。鬱金と竜胆の国境線で本格的に戦いが始まるらしい。兄貴と矢葺が鬱金のどこかまで来てるはずだ」
「わかった」
「……少しは自分の立場をわきまえろ」
馬に乗ると、瀧は呟くように言った。美利河は凪にまたがりながら黙って頷いた。
「そんな格好で寒くないのか」
 振り返りもせずに瀧が聞く。
「寒さは平気。浅葱で育ったから」
「そうか」
二人は短く会話を交わすと、再び走り出した。
 
 
「瀧は美利河ちゃんを助けたみたいよ。正確に言うと、彼女が自力で逃げ出したようだけど」
二日後、寒菊は受け取った手紙を宿で読んだ。
「……格好いいとこだけ持っていきやがって」
「もう、やきもちやかないの。あんたの気持ちもわかるけどね」
「おかまに何がわかるんだよ!」
矢葺はぷいとすねて横を向いた。
「ここに来るみたいね。今日か、明日くらいかしら」
「けっ。お二人で仲良く馬にでも乗ってくるのかね」
「どうかしらね。瀧が一緒の馬に女の子乗せたところ見たこと無いから。見たいと言えば見たいけど」
「俺は見たくない!」
矢葺は頬を膨らませた。
「あんたも正直でかわいいわね。そうそう、ここね、下で出してくれるお茶がおいしいんですって。行ってみない?」
「おかまと一緒にお茶飲んでもなあ……変な誤解されても困るし」
「うるさいわね、少しくらいつき合いなさいよ!」
矢葺は寒菊に首根っこを捕まれて引きずられていった。

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