三章

芹は数人の兵士と馬を迎えによこした。
矢葺は数日前より大分回復しており、何とか馬に乗って帰れるまでになっていた。
「瀧さん、寒菊さん、いろいろありがとう。寒菊さんのおかげで矢葺もよくなったみたいだし。ほら矢葺もお礼言いなさい」
「誰がそいつのおかげだ!」
 茜の言葉に矢葺は意気込んで言い返したものの、次の瞬間にそれを後悔することになった。
「全くこの子はお礼もまともに言えないのかしらねぇ」
「そうよ、矢葺ったら失礼しっぱなしじゃない」
「……何て事だ……皇子がやりこめられている……」
迎えにきた兵士達が蒼くなっている前で矢葺は何らかの同盟を組んだ寒菊と茜に総攻撃を受けていた。
「本当に二人ともありがとう。特に瀧がいなかったら私、今回の事はうまくいったかどうかわからない」
「いいのよ、気にしないで。蘇芳と竜胆って結構近いんだし、また会いに来てね。あたしも瀧もいつでもここにいるから」
寒菊は無表情のままの瀧に代わって笑って答えた。
「それじゃ」
美利河はそう言って馬に乗った。茜が手をあげる。
「うん、また会おうね。あたしはうちに帰るからここでさよならね」
「おう。じゃあな。おかまも」
茜に答えて矢葺が手を上げると寒菊は眉を寄せて、
「失礼ね」
と言って笑った。そして美利河達は蘇芳に帰っていった。
 
 
竜胆から帰ってきて数週間が過ぎた。先ごろの美利河と瀧の活躍で蘇芳は国境線への警戒を解くことができている。椹はそれを奇跡と呼び、蘇芳の国民、ならびに竜胆に美利河のことを『勝利を呼ぶ少女』として知らしめた。
神と名乗る阿砂耶の妹という肩書きを持ち、神の剣を持つ美利河の名は一気に広まり、人々は勝利を祈った。一人の少女の名を呟きながら。
一方京華には動きがなかった。竜胆が反旗をひるがえしたことにより新しい策が必要になったからだろうと椹は言った。
椹は次の策を芹と美利河に提案した。それは次のようなものである。
「今の京華に勝つためには、東の国々を統一し力を合わせることが必要不可欠である」
京華が近頃征服して従えた東国は二つ。大洋に面した国、篠青は国力が弱く戦争になる前に降伏していた。 ――斉夏という一族をのぞいて。未だに四方を敵に囲まれながらも彼ら一族だけは抵抗を続けていた。
彼らだけが抵抗を続けられた理由は、古来より武人の一族である彼らが突出して戦闘能力に優れていたこと、そして彼らの本拠地樫蔵が守りやすく攻めにくい、戦いに適した場所だったことだ。
椹は斉夏の一族をまず蘇芳側につかせることを提案した。篠青を竜胆同様寝返らせるためには斉夏の協力が不可欠だった。
芹はそれに対して椹自身に任せるとだけ言い、美利河は黙って頷いた。
そしてまた椹は、斉夏への交渉役に美利河を選んだ。
 
 
「まったくさあ、椹も人使いが荒いよな。美利河のこと神様みたいに言っておいてよ、結局指図するのはあいつじゃん」
矢葺は美利河から椹の策を聞いて文句をたれた。
「しょうがないじゃない。策を立てるのは軍師の仕事。椹は頭が切れるし女王の信頼も厚い。彼以上の策をこの国で考えられる人はいないもの」
「だけどさあ。もしだよ、美利河にもしもの事があったら、あいつは自分で自分の首を絞めてることになるんだぜ」
「だから竜胆の反乱軍と瀧が一緒に行くんでしょ」
美利河がさらっと言った言葉に矢葺は驚いた。
「え? 何? もう一回」
「瀧が、一緒に、行くの」
「えーーーーーっ」
一言一言切った美利河に、さらに矢葺は驚いた。
「何でそんなに驚くの。彼らなら前例もある上に信頼もある。私達とも面識があるでしょ。これ以上にうってつけの集団がいるわけないじゃない」
「だって、こないだ別れて、そろそろ忘れる頃だったのにさあ」
 矢葺は心底不満そうだった。
「それから寒菊は芸人だから、巡業として国境を越えれば怪しまれずにすむじゃない」
「おかまも来るの!」
矢葺は大きな目をさらに大きくしてそう言うと、深く息を吐いた。
「……俺、今回ついていくのやめようかなあ……」
宙を見つめながら言う矢葺に美利河は一言、
「やめれば」
と言ってのけた。
美利河に冷たくあしらわれた矢葺は口をとがらしてすねてみせたが、それが全く美利河に効果がないことを悟ると、今度は懇願するような眼差しで言った。
「あのさあ……椹に、おかまだけは何とかしてくれって言ってくれない?」
「自分で言えばいいでしょ。私は平気だもの。何でそんなについて来たいのよ。危険なことは嫌なんじゃないの? 今回も危険なのに」
「いいか、俺はもうその事は諦めたんだ。この時代に命を張らなきゃ男がすたるってもんだ。でもおかまは嫌だ」
「それじゃやめればいいでしょ。簡単じゃない」
美利河が何喰わぬ顔で答える。矢葺は再び深くため息をついて今度は諦めの境地に入った。
「……我慢……我慢……先が思いやられる……」
「そんなに嫌なら本当にやめればいいじゃない」
 美利河の冷たい言葉に矢葺は一言。
「やだ」
「我が儘」
「おっしゃる通り我が儘でい。何が悪いんでい」
我が儘と呼ばれた矢葺は開き直り、再びすねてみせた。
 
 
竜胆を再び訪れたときに二人を迎えたのは寒菊の劇団用の数台の馬車だった。瀧と寒菊以外に大勢の人間が乗っているのを見て矢葺は一瞬全員が寒菊と同類かと思ったが、実は反乱軍だった人達だと聞いて安心した。
「久しぶりな感じがするわね。こないだ別れたばっかりだけど」
寒菊は二人に笑いかけた。
「蘇芳の女王と軍師さんに伝えておいて下さい。二人は責任持って預かりますって」
「預かるってなんだよ預かるって。餓鬼みたいにさ」
矢葺が咄嗟につっかかった。
「餓鬼なんだから仕方がないじゃない。でも竜胆と蘇芳、両方の兵士をごく少人数とはいえ連れて、これが巡業だってだますのは一苦労ね。まああたしの演技力で何とかなるでしょうけど」
「ぐずぐずしてないでさっさと行くぞ」
腕組みしている寒菊に声をかけると瀧はさっさと馬車に乗り込んだ。続いて美利河と矢葺も乗り込む。 寒菊はそれに気がついて「何よ、人が考えてるのに」などとぶつぶつ言いながら乗り込んだ。
こうして劇団の巡業を装った一行は篠青に向かっていった。
「なあ、篠青ってどんなところ?」
矢葺が美利河に声をかけると、美利河はそのまま寒菊の顔を見た。
「そうねえ。ほとんど畑とか田んぼばっかりで、だだっ広くて、それでものんびりしてていい所よ。斉夏の一族のいる樫蔵にも巡業に行ったことがあるわ。山に囲まれてるけど海が見えるのよ。あたしは好きよ」
「……あんまりお前の意見を聞いてもなあ……」
「何よ。あんたね、誰のおかげで篠青への国境を無事に越えられると思ってるの。怪しまれないように芸人らしい振る舞いをしてくれないと駄目なのよ、わかってるの?」
「芸人の振る舞いっぽいこと……それって女言葉を喋れってことか?」
「もう、馬鹿ね」
「……見えてきたぜ」
矢葺と寒菊が絡んでいるうちに近づいてきた国境を瀧が指さした。竜胆と篠青の国境はなだらかな山地の丁度峠にあたる。逆に言うとこの峠を越えなければ陸路から国境を越えるのは無理だ。
「ここの峠を越えれば篠青に入る。兄貴、うまくやってくれよ。無駄な殺しはしたくない」
「言われなくてもわかってるわよ」
関所が近づくと寒菊は服を正した。
「いい? あたし達は芸人なんだからね、物騒なもんはちゃんと隠しておくのよ」
馬車は京華の兵によって止められた。
「何しに来た」
兵が尋ねると、寒菊が馬車を降りた。
「篠青の方に巡業に。あたし達竜胆の劇団なんです」
「こんなご時世に? 竜胆の者は入れるわけにはいかんな」
兵士は寒菊の女言葉に一瞬驚いたが、気後れせずに言い返した。
「劇団には国境はないのよ。知らないの? それに、こんなご時世だからこそ芸を見て心を休めるんじゃない。あたし達はそれが仕事なのよ」
「しかし……」
「何なのよ、劇団一つ入れたからって国がどうかなるわけないでしょ。何なら馬車の中でも調べてみればいいわ、あたし達が持ってるのは芸に必要な道具と、衣装と、ちょっとの食糧と、ほんのちょっとのお金だけなんだから。それとも何よ、せっかくここまで来たのにあたし達の労力を無駄にする気? 竜胆の方はまわりきったから篠青に行けなきゃあたし達おまんま食えないのよ。こんなか弱いあたしたちを餓死させる気? よくもそんなことが言えるわね、あんた達それでも男なの? ここに乗ってるあの可愛い子みたいな女の子がせっかく劇団でがんばってるっていうのにその努力を無にするわけね、信じられないわ」
「だが……」
その後も寒菊の舌はとどまることを知らず、ついには兵士に有無を言わせず関所を通り抜けてしまった。その姿は圧巻で、美利河や矢葺ですら心の中で賞賛の拍手をするほどだった。
「相変わらずだな」
関所を抜けた後、瀧がぼそりと寒菊に言った。
「女言葉だから余計迫力があるんだよな」
矢葺が妙に感心したように続けた。すると寒菊は得意げに、
「あたしが女言葉使うのはね、一つは男言葉を普通にしゃべるより押しが利くっていうのと、あとは舞台稽古のときとか男言葉で怒鳴るより柔らかい感じになるからなの。便利よね、女言葉って」
と言って美利河に同意を求めた。しかし美利河は困った顔をして瀧の方を見る。女言葉を使うことによって確実に失う何かと比較すると、どちらがいいのか判断しかねた。
「この調子で樫蔵に行きましょ、絶対大丈夫だから」
寒菊は自信満々に馬車の手綱を取った。
 
 
ようやく日が暮れる頃になって目的地に着いた一行は寒菊の女言葉とその演技力に感謝するまでになった。矢葺ですらもこの日ばかりは彼を拝まずに入られなかっただろう。道中ほとんど彼のおかげで無駄な騒ぎを起こさずにすんだからだ。さらに彼の芸人としての顔の広さのおかげで斉夏の一族ですら何も怪しまずに樫蔵に入れてくれた。
「今度は何を見せてくれるの?」
斉夏の一族の少女にそう聞かれて寒菊は苦笑した。
「今回は本当は巡業じゃないのよ。族長とお話ができるかしら」
「大丈夫だと思うけど……。族長に何の話?」
「あたしじゃないのよ。一緒に来てる蘇芳の人が話があるの」
「屋敷に行けば多分会ってくれるわ。今度来たときは新しいの何か見せてね」
「わかったわ」
そうして寒菊と少女は別れ、一行は族長のいる屋敷に向かった。
族長の屋敷は小さな町の北に位置している、黒光りのする木造の大きな屋敷だった。門に辿り着くまで長い階段を登らなければならず、その間には何人もの武人が見張りをしている。その研ぎ澄まされた気といい、磨き上げられた武具といい、なるほどこれなら例え少数でも京華が簡単に攻め破れないだろうと美利河は納得していた。
大きな黒い門から中に通され、族長のいる部屋に入ると、年老いた族長の横に二人の少年が座っていた。族長は美利河の噂を聞き及んでいたようだった。
「蘇芳から遠路はるばるようこそお越し下さいました。目的はやはり京華との戦争のことですかな」
族長はしゃがれた声で美利河に言った。
「はい。斉夏の方々は未だに京華と戦い続けていると聞いております。私たちも立場は同じです。共に力を合わせて京華に立ち向かえたらと蘇芳は考えております」
「……確か、竜胆も蘇芳と組んだと聞きましたが」
「はい」
「それは、美利河殿、あなたのお力でとお聞きしています」
「……」
族長は優しい目でしばらく美利河を見つめていたが、やがて言った。
「実を言うと、我々が京華と戦いはじめてもう随分と経つもので、物資は無くなり、そして皆疲れ果てています。わしのせがれもつい先月戦いで命を落としてしまいました。蘇芳の方々がわしらに手を貸してくださるというのなら、これほどありがたい話はありません」
「では……」
「その話、お受けさせていただきましょう」
族長は顔中に皺を作って微笑んだ。
「詳しいお話はまた後ほどに。蘇芳の女王には孫の彌刀に挨拶に行かせましょう」
族長の言葉に美利河が横に控えていた片方の少年に視線を向けると、何故か少年は目をそらした。
族長との話の後、彌刀が美利河に話しかけてきた。先ほど、美利河の視線から目を逸らした少年である。年頃は美利河と同じか少し年下のように思われた。それでも昔の阿砂耶がそうだったように、嗣子たる少年の落ち着きと責任感が窺える。思慮深そうな闇色の目をしていた。
「ここまで来るの、大変だったでしょう」
「そうね」
「祖父はあんな風に言ってますが、父以外にもすでに犠牲者はかなりの数に達しているんです。みんな武人の誇りをどうとか言ってるけれど、もう僕には……」
彌刀はまだ幼さの残る顔に影を落とした。父親の死だけではない、もっと大きなことに悩んでいるような影だった。寒菊が明るい笑顔を浮かべて彌刀の肩を叩く。
「大丈夫よ、安心して。何たってこっちは美利河ちゃんに大国の蘇芳、それから竜胆だってついてるんだから大丈夫よ」
「……僕はそんな風に楽天的にはなかなかなれません」
彌刀は寒菊と美利河を見て力のない笑顔を見せた。
その三人のやりとりを横から見ていた少年が彌刀の袖を引っ張った。先ほど族長の隣に座っていたもう一人の少年である。こちらも彌刀と変わらないくらいの年齢に思えたが、彌刀とは違い、よく言えば心の優しそうな、悪く言えば嗣子には向かない甘さが感じられた。淡い色の瞳のせいか、表情すらも幼く見える。
「彌刀、蘇芳に行くの?」
「そうだよ」
「いいなあ、僕も行っちゃだめかな」
「駄目だろ、何言ってるんだよ征……やっぱり駄目ですよね?」
 彌刀は振り返って征をなだめつつ、寒菊と美利河の方を見て聞いた。
「別に構わないと思うけど……」
「そうね、一人増えたところで変わらないし」
美利河の答えに寒菊も頷いた。すると征の顔がぱあっと明るくなった。
「やったあ! 僕、ここから出たことないんです。ありがとうお姉さん達」
「……お姉さん……たち……?」
思わず美利河と彌刀は寒菊の方を見て何か言おうとしたが、寒菊はそれを制してものすごい上機嫌で、
「いいのよぉ、気にしないで」
と言って征の頭を撫でた。
 
 
その晩、美利河達は屋敷の大部屋に全員で泊まることになった。
矢葺や寒菊達がぐっすりと眠る中で、美利河だけは何故か眠ることが出来なかった。
──何だか妙な胸騒ぎがする。
美利河は起きあがって部屋を出た。瀧は目で美利河の後ろ姿を追った。
「蘇芳に行けるなんて、何か興奮して眠れないや」
征は月光が明るく照らす中庭に出ていた。
そして一人初めて見る土地はどんなだろうと想像していると、族長のいる寝室から何か音が聞こえたのに気がついた。
「……? おじいちゃんも眠れないのかな」
征は立ち上がり、族長の部屋に近づいた。
中から、一瞬声が聞こえた。
不審に思い征がふすまを開けると、そこには倒れた族長と、彌刀が立っていた。
「彌刀……?」
彌刀は征に気がつくと、血が付いた剣を鞘におさめてそのまま外へ飛び出していった。 征はしばらく彌刀の消えた方を見ていたが、途中ではっとして族長の方に駆け寄った。
「お、おじいちゃん!」
族長は首と胸から血を流して死んでいた。
征の悲鳴を聞きつけてまず、美利河が現れた。
「どうしたの!?」
「おじいちゃんが……おじいちゃんが……」
征が騒ぐと、今度は別の斉夏の人々が駆けつけてきた。
そして部屋の中を見て彼らは愕然とした。
中には死んでいる族長と、泣いている征。そして剣を持った美利河が立っていた。
 
 
「……どういうことですかな」
翌日、斉夏の一族と美利河達の間には気まずい空気が流れていた。
昨日の協力的な態度とはうってかわり、屋敷の広間で向かい合わせに座って斉夏の人々は鋭い目を光らせていた。
「ちょっと待ってよ。族長が死んでいる所に美利河ちゃんがいたからって、どうして美利河ちゃんが族長を殺したことになるのよ」
寒菊は困惑した表情で美利河と斉夏の人々の顔を見比べた。
「……私は、そんなことはしていません」
美利河がしっかりした声で否定する。だがその声は斉夏の人々のざわめきによって完全に無視された。
「とにかく、美利河さんあなたがあの時あの場所で剣を持っていたことは事実です。僕たちがあなたのことを容疑者と考えるのは、あなたと出会って間もないことも考えれば仕方がないことだと思うのですが」
彌刀は斉夏の一族の真ん中に座って美利河を見た。
「そんな……」
美利河はあの時現場にいた征の方を見たが、征は睫毛をふせてうつむいているだけだった。
「とにかくあなた方を信頼することができなくなってしまいました。今すぐここからお引き取り願いたいのですが」
彌刀が言うと、矢葺が声を大にして言った。
「さっきから聞いてれば好き勝手なこといいやがって。美利河が老人を手にかけるわけがないだろ。美利河は征の声を聞いてあそこにかけつけたんだ。人のこと殺人者呼ばわりしやがって」
「やめろ、矢葺」
瀧が無表情のまま矢葺を制した。
「……それでは、あの話は……」
「無かったことにしましょう。僕たちは自分たちの力で戦います。信頼できない人達と共に戦うことなど出来ませんから」
美利河は唇を噛んだ。あの時、あんな場所にいなければ──。そう思ったが彌刀の様子を見る限りではそうでなくともこういう結果になっていたであろうことが予想できた。
「最後に……一つだけ聞かせてください。征……あなたは、私が本当に殺したと思っているの?」
征は名前を呼ばれて顔を上げたが、すぐに困った顔をして横を向いてしまった。
美利河はため息をついて、促されるままに屋敷を出た。
 
 
馬車に乗り込みながら寒菊が大きく息を吐いた。
「何でこんなことになっちゃったのかしらねえ。美利河ちゃんがそんなことするわけないのに」
「……」
美利河は下を向いていた。矢葺は美利河を励ますように肩を叩いた。
「気にすんなって。こういうこともあるさ」
「今回は力になれなかったみたいね」
美利河は矢葺を見て力無く笑った。
「早くここから出た方がいい。何があるかわからない」
「そうね、もう馬車を出すわ」
寒菊が答えたとき、馬車の外から声が聞こえた。顔を出すとそこには旅支度を整えた征の姿があった。背中に小さな荷物を背負っている。
「あら、どうしたの」
「僕も……僕も連れていってください!」
征の真剣な言葉に寒菊と美利河は顔を見合わせた。
「でもあの話は無かったことになったんじゃ……」
「違うんです。来た道を帰ったら、きっとみんな殺されます。だから、僕も連れていってください」
「早く出た方がいい。人が集まってくるとやばいぞ」
瀧が言うと、寒菊は引っ張るようにして征の身体を馬車の中に乗せ、すぐに馬車を走らせた。
「それで、どこへ行ったらいいのかしら」
「はい。ええと、樫蔵から出る道は全部で七つあるんです。来たときに通った場所には今みんなが待ち伏せをしてるから、それ以外じゃないとだめなんです。僕が道を教えるから……」
 
 
やっと樫蔵を抜けた後で、征は美利河の前に座って「ごめんなさい」と言って頭を下げた。
「僕、美利河さんが殺してないって知ってたのに、言わなくてごめんなさい。どうしても言えなかったんです」
征がそう言うのを聞くと、矢葺が怒って征の胸ぐらを掴んだ。征が泣きそうな顔になる。
「何で言わなかったんだよ! お前のせいで、お前のせいでなあ……」
「やめろ矢葺。……お前は誰が殺したのか知っているのか」
矢葺はまたもや瀧に制されて欲求不満状態になっている。
「僕……見たんです。おじいちゃんを殺したのは、彌刀なんです。多分、彌刀は色々考えてあんなことしたんだと思う……。だから、僕、どうしても言えませんでした」
征は言ってからまた泣きそうな顔をした。寒菊はそんな征をかわいそうに思って頭を撫でた。どうにもこの征という少年は見た目よりも幼く思わせる何かがあるようである。
「でも何で彌刀君はそんなことしたのかしら。自分のおじいちゃんを殺すような真似を」
「……彌刀は、もう戦いはたくさんだって言ってました。僕も嫌だった。だから、彌刀は美利河さん達と協力して戦うのももう嫌だったんだと思います。彌刀がおじいちゃんを殺して、それを美利河さん達のせいにすればみんな美利河さん達のこと嫌いになって追い出すから、だからそんなことしたんだと思います。……彌刀は僕の従兄弟で、親友で、本当はとってもいい人なんです。普通なら絶対、こんなことしません」
真剣な目で訴えかけるように征は言った。
「……そうか……それじゃあ、その彌刀ってやつは、京華に降伏するつもりでやったんだろう。そうした方が早く戦いが終わると考えたわけだ」
「そんな……」
美利河は瀧の方を振り向いたが、征は「その通りです」と言って下を向いた。
寒菊は征の隣に座って頭を撫でながら言った。
「でもそれじゃあ、敵同士になってしまうわ。征君があたし達と一緒に来るなら、征君は彌刀君やみんなと戦うことになるのよ。それでもいいの?」
「……状況が変わってくれば多分彌刀もわかってくれると思う。僕は絶対に降伏なんてしたくないし、本当は彌刀もそうだと思うから。それに、彌刀がおじいちゃんを殺したのを僕は見てしまったから、一緒にいても、彌刀が気まずいと思うし……」
征は膝の上でこぶしを握りしめていた。
「勝手についてきてごめんなさい。そのかわり僕はこれから蘇芳について戦うつもりです。戦の手伝いなら出来ると思うから……でもほんとにごめんなさい」
「大丈夫よ、気にしないで。斉夏の征君が一緒に戦ってくれるならあたし達だって心強いもの」
寒菊は征の頭を撫でながら優しい声で言った。
 征を乗せた一行はそのまま篠青を後にした。
行きに通った峠を越えて竜胆に入った頃、日はすでに沈みあたりは真っ暗になっていた。
京華から解放された竜胆の都は人でにぎわい、夜とは思えないほどに明るかった。 その日は、美利河達はそのまま寒菊の屋敷に泊まることになった。 征はよほど疲れたらしく、屋敷につくとすぐに眠ってしまった。瀧は何も言わずにどこかへ出かけ、矢葺は相変わらず寒菊となにやら言い合いをしているようだった。
美利河はそんな中で、一人ふらっと街へと出かけた。
竜胆の都には美利河のいた村にはなかったものばかりがあった。そういえばまともに知らない町を出歩くのははじめてかもしれない。美利河は黙って町の様子を眺めながら一人で歩き続けた。
しばらく歩くと町はずれの河原に出た。
空に浮かぶ星は、故郷で見たよりもずっと少ない、美利河はそんな気がした。
河原に座っていると、向こうから優しげな父親と一緒に少女が歩いてきた。
──鵡斗さん。
何故か急に、三年も会っていない鵡斗の顔が脳裏に浮かんだ。
人の良さそうな顔をしていて、長の血をついでいるわけでもないのに村をまとめる役を自ら買って出た人。そして、親を亡くした美利河を育てた人。
不思議と鵡斗には人を引きつける魅力があり、美利河はいつか鵡斗のようになりたいとずっと願っていた。 何があっても、決して怒鳴るわけでもなく、なだめるわけでもなく、顔上に少し笑みを浮かべ、黙って見ている、そんな人。それでも、事態は必ず解決していた。
鵡斗は美利河に武術も教えた。
「美利河、あなたに武術を教えるのは、誰かを傷つけるためではありません。誰かを守るために教えるんですよ。いいですか、愛する誰かを守るためなら、人は誰よりも強くなれるんです」
鵡斗は何度も繰り返し美利河に教えた。鵡斗は強かった。美利河の知る誰よりも。そして、優しかった。
──私はまだ、鵡斗さんみたいに強くない……。
そう思った後、美利河は懐郷病にかかっているような自分に気がついて苦笑した。過去の情景を頭から振り払って顔を上げると、川の向こうから悲鳴が聞こえた。
叫ぶような声と、逃げまどう影。
美利河は瀧にもらった剣を掴むと、向こう岸へと走った。
──三対一……。一体何だろう。
三つの影は一人を囲み、剣を振り上げた。
美利河はその隙間に入り込み、瀧の剣で三人の剣をはね飛ばした。
三人は美利河に気がつくと、突然「逃げろ!」と叫んで逃げていった。
美利河の前に残ったのは、怪我を負った一人の青年だった。
 
 
「……ありがとうございます。助けていただかなければ、死んでいたかもしれません」
美利河は青年の小さな部屋に招かれて茶をすすめられた。青年の怪我は思ったほど大したことはなかった。
「どうぞ。粗茶ですけれど」
椀を手に取りながら美利河は青年に聞いた。
「どうして、襲われていたんですか」
青年は顔を上げて曖昧に微笑んだ。その顔がどことなく鵡斗に似ているように思えた。
「言っても驚かないでくださいね。……私が、京華の者だからです」
美利河は目を見開いた。
「でも、京華の人は皆追い出されたんじゃ……」
「逃げ遅れたんです。まぬけでしょう。でも私一人がここにいるからといって何が変わるわけでもありませんし」
美利河は黙って椀をおいた。
「もしかしてあなたは、噂の美利河さんじゃないですか? 顔は知りませんが丁度あなたくらいの年齢で、姿形も話の通りですし」
 美利河は答えない。青年は困ったように苦笑した。
「そんな警戒なさらないでください。私は命の恩人に何かするような恩知らずな人間ではありません」
青年はそう言っておかわりはいかがですか、と聞いた。
「……ええ、私が美利河です。あの……京華の方なら、もしかして兄の……阿砂耶のことを知っていませんか。彼は、今どこで何を……」
青年はお茶をつぎながら言った。
「阿砂耶様ですか。京華で元気にしていらっしゃると思いますよ。心配なさらないでも、叶様は阿砂耶様が困ることはなさいませんから」
叶の言葉を聞いて美利河はぴく、と反応した。
「……あなたは、本当にただの京華の人なんですか? 物腰からして、ただの人ではない気がするんですが」
美利河は再び警戒をあらわにした。
そんな美利河を見て青年は正座した膝の上に手を置いて苦笑した。
「心配ですか。そんなに警戒なさらなくてもけっこうですよ。私は、少し前まで叶様のお付きをさせていただいていただけです。軍にも何も関係ありません。それについ最近、ここに来させられてしまって。左遷というやつですね。叶様に嫌われてしまったみたいです。おかげで暮らしもこんな風に」
「叶のお付き……? あなたは、叶を野放しにしておいても平気だというの? あなたは、あの人が本当に天下に幸福をもたらすことができる器だと、そう思っているの?」
美利河は何故か自分が憤っていることに気づいた。叶の名が出るといつもこうだ。前に故郷を襲われ、兄を連れ去られたということもあるだろう。しかし、それ以上に彼が、何かに破滅をもたらすようなそんな存在であると、その名を聞くたびに胸がかきむしられるような思いがした。
「そうですね……あの方の心の中は憎しみだらけで、私はいつもお可哀想だと思っていました」
「可哀想? それじゃ、天下統一とかいう、意味のない戦争で死んだ人達はどうなるんですか」
「……戦いは、人が死ぬものです」
青年はそう呟いて茶をすすった。
美利河は何故かこの青年に抑えきれない怒りを感じた。鵡斗と同じような雰囲気を持っているのに何故、叶をしたいようにさせておいたのか納得がいかなかった。
「私が気に入りませんか?」
青年は美利河を見て言った。
「それでは、もうあまり話さない方がいいかもしれませんね。とにかく今日は本当にありがとうございました。お礼に、京華の情報をあなたに一つお教えしましょう」
「……情報?」
「ええ、あなたにとって、とても重要なことになるでしょう。信じられないならば聞かなくても結構ですよ」
美利河は一瞬戸惑った。だが、聞かないよりは聞くほかなかった。
「いいわ、教えて」
「……一週間以内に、あなたの故郷が滅ぼされます」
「……!」
「叶様もそこにいらっしゃるはずです。今、帰れば間に合うでしょう」
「何故……」
「そこまでは、私にはわかりません」
青年は首を振った。
美利河はその話を聞いていてもたってもいられなくなった。たとえ、嘘でも、本当でも。
──みんなに知らせないと……。
美利河が立ち上がると、青年は思いだしたように言った。
「そう言えば、私は自分の名も名乗っていませんでしたね。私は風眞と申します。覚えておいてください」
美利河は頷くと、外に出た。
──一刻も早く、村に帰らないと。
凪を連れて、美利河は一人竜胆を後にした。

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