| 六章
冬葵の立太子の儀はすぐさま執り行われた。通常、立太子の儀は元服と同時に行われるのが慣例で、冬葵のように二十歳になってから太子として立つのは異例のことである。
冬葵が太子となった事実は当然叶も聞き及んでいた。儀式が行われる当日、叶も招かれてはいたが病気を理由に欠席し、かわりに巫女のいる東の塔へと向かった。
叶が巫女の塔を訪れるのはこの日がはじめてのことである。金蘭は塔の入り口で控え、叶と風眞の二人が中へと進む。若い巫女に榊を訪ねた旨を伝えると、巫女はすぐさま榊のいる最上階へと案内してくれた。
榊の部屋は奇妙なほどに広い、板張りの不思議な香の匂いのする部屋だった。壁沿いに立てられている無数のろうそくには火がともされていて、部屋の奥の御簾がさげられた向こうに榊が座っていた。
「――よくぞいらっしゃいました」
はんなりとした声だった。榊は前王が即位する前から前王を見知っていたというから、年齢で言えばかなりの歳のはずである。けれどもそんな雰囲気を微塵も感じさせない鈴のような声で榊は続けた。
「叶様のお聞きしたいことはわかります。お声が出ずとも、この榊には聞こえます。ご安心くださいませ」
風眞は目をしばたかせた。宮中には神官や巫女など神を祭る官職が様々あったが、皆ただ儀礼をこなすだけの役割であり、不思議な力を持つものなどはいない。その中で、前王が絶大な信頼を寄せていた榊だけは神の声を聞くことができるという話も聞いていたが、半信半疑だった。
「――蔚木様がよい策をすでにお考えの様子。しばらくお待ちあれば彼が良いようにするでしょう。さすれば、叶様の王位は確実なものとなります」
叶は無表情のまま頷いた。ろうそくの火が揺れる。
「ただし、お気をつけくださいませ。蔚木様の示す道は、多くの血が流され屍が積み上げられることでつくられた道。その道を行き玉座に着いた冬葵には叶様を悪魔のように申す者がいるでしょう。けれども、玉座を手に入れる道は他にはありませぬ。その道を選ぶかどうか、十分お考えになってからお決めになってくださいませ。――もうお心はお決まりのようですが」
風眞は叶を見た。相変わらず無表情で、そこには肯定も否定もない。
榊はさらに続けた。
「天下を取るためには蔚木様という人物は非常な鍵となります。けれども何やらその先には吉事が見えませぬ。凶事ばかり続くよう。天下を取ることが本当に我が国の成すべきことか否か、よくよくお考え遊ばされますよう」
風眞には榊の言うことが気味が悪く、不安だらけのように思えた。血塗られた道を進んで王位を継承し、天下をとるために進み続けても凶事ばかり続くとは。
――本当は、叶様が王位を継ぐべきでないと言いたいのではないか。
くすり、と榊が笑ったので風眞はびくりとした。
「私が何故かようなことまでわかるのか、叶様は疑っておられるようですね」
少し、御簾の向こうの影が動いた。
「――私はもともとこの国のものではありませぬ。遠い遠い浅葱の北の村を出て、この国へたどり着いたのです。叶様の父君、前王とお会いしたのはこの国へ来てすぐのことでございました。けれども私はすぐに、私がお仕えするべき方と気づき、以来仕えてまいったのでございます」
するすると御簾があがり、榊の姿があらわになる。目鼻立ちのくっ桐とした、意志の強そうな女性だった。この国の女性とは雰囲気が違うが、どう見ても三十前にしか見えない。昔から榊は歳をとらないと噂があったが、本当のようだと風眞は思った。前王の在位は二十年にも及ぶ。まさか十にも満たない子供のときにこの国へ来たとは思えない。
「私のいた村は、外界からは閉ざされた村でした。私のように神の声を聞けるものもおります。村の長の血統は古くから神の血をひくと……」
言ってから榊は言葉を止めた。続きを、と叶が促したが榊は口を閉ざしたまましばらく視線を泳がせている。やがて、床に手をついて榊は言った。
「申し訳ございませぬ。この続きはまた後ほど。蔚木様がもうすぐ叶様を訪ねられることでしょう。お戻りくださいませ」
叶はしばらく不思議そうな顔をしていたが、頷いて立ち上がり、榊に背を向けて退出した。その後姿を見送り、榊は大きくため息をつく。
「……何故あんなことを口走ったのか」
榊は一人呟いた。
「やはり破滅の星の導きには逆らえないということか。……私は一体何のために……」
立ち上がると露台に出て、榊は北の空を見上げた。故郷の村を出たのはもう三十年近くも昔のことになる。村の祭壇で見た未来の光景を、榊は今でも忘れられなかった。
静かだった村には悲鳴がこだまし、火の手のあがる中で血が流される。――村の最後の姿。それを榊に伝えた神は榊に何をさせようとしたのだろう。榊は一人、村の未来を救うために村を出たはずだった。
「救うどころか、禁をおかしてまで村のことを話すなど……」
外部との接触を避けている榊の村では、外で村の話をすることは禁じられていた。人に話すことで古くから伝えてきたものを奪われたり、壊されたりすることを恐れていたためである。ましてや、村のものが神の血をひくなどという言い伝えは、前王にしか話したことはなかった。
心の底から自分の言ってしまったことを後悔した榊は、それにより将来故郷が侵されることも見えていた。
――逆らえぬのなら、何故神はあのような声を私に聞かせたのだろうか。
その日、榊は塔から身を投げた。
巫女の塔の外で待っているはずだった金蘭の姿が見えないので、叶と風眞は二人で殿舎へと帰った。黒色の晴れ着を着て走り回っている官吏たちが目に入る。冬葵の立太子の儀式のためだろう。つい十日前ほどには誰一人外へ出ることもなく、皆白い喪服を着ていたはずだった。それを思うと浮き足立っている官吏たちの様子が異様に思えてくる。
叶が部屋に戻ったときには、他の王子たちも冬葵の立太子の儀式のために出払っているようだった。
「吟王子も儀式に向かわれたとは驚きですね」
風眞が言うと、叶も頷いた。冬葵が太子になることなど、吟が納得していようはずがない。何故だか妙に静かな殿舎の中で、風眞は胸騒ぎがするのを感じていた。
そして叶がいつものように本を開こうとしたとき、戸を叩くものがあった。蔚木である。
「ここにおられたか」
言うと安心したように蔚木は笑った。
「儀式の場でどう探してもおられぬから、心配しましたぞ」
叶は視線をあげると、蔚木の次の言を見守った。
「実は今日、藍氏が兵を率い、乱を起こすことになっております」
風眞は驚いて思わず手にしていた湯飲みを落としそうになった。
「吟王子直属の兵たちはもちろん、金蘭も含め全ての王兵が彼らに従うことになっております。――目的は、永彌の失脚。王の軍全て藍氏側に味方するわけですから、永彌の私兵で太刀打ちができるわけがありません。永彌は今日失脚するでしょう」
満足そうに、蔚木は言う。風眞が問うた。
「それはあなたが命じたことなのですか」
「吟王子直属の兵以外を動かしたのは私です。もともと、こうなった場合吟王子には捨て身の覚悟で乱を起こす気があったようですから。しかしこれで永彌がいなくなれば、あとは藍氏のみ。叶様の玉座はあと少しと言えるでしょう」
「けれども、吟王子は……」
くすり、と蔚木は笑った。
「あれは喬様の仇。どのような手段を用いてもよいでしょう。そうでしょう、叶殿?」
叶が無表情のまま頷く。言外に何を意味しているのかすぐにわかった風眞は、それをさも当然のことのようにいいのけてしまう蔚木に驚いていた。軍師というものはこういうものなのだろうか。
「その件につきましては、私に任せていただければすぐにでも。――どうなさいますか?」
蔚木が言うと、叶は首を振り、指で自分を指し示した。
「――まさか、ご自分で?」
頷いた叶をなだめようと風眞が口を開きかけたとき、南方――王宮の中央から騒ぎが聞こえてきた。
「あれは……」
「はじまったようですな」
蔚木は悠々としている。
「我々はゆっくりしていればよいでしょう。――して、その後のことはどうなされますか? 何か入用のものなどございますか」
叶は首を横に振り、聞こえてくる雑音など気にもならないように本を広げた。外は怒声や悲鳴、ものの壊れる音がこだまし、驚いた後宮の女たちが逃げ惑う足音で溢れかえっている。それと正反対に静かな室内で、風眞だけが不安に戸惑っていた。
吟と藍氏が起こした乱は大成功を収めた。突然の謀反に永彌は官達を動かし国軍によって対処しようとしたが、そもそも今回の謀反にはすべての国軍が加わっていたためになすすべもなく捕らわれ、首をはねられた。立太子の儀式の最中だった冬葵は命からがら逃げ延びたようだが、王宮の中で皇后をはじめとする珮氏の者たちが次々と捕らわれていく中で頼る先もなく、王宮の外へと逃れていった。同様に雅葵も誰かに助けられ、王宮を出たという。
藍氏の長者桐は王子吟と共に、国王の遺志をねじまげて次王を選定しようとした珮氏一族を逆賊としてしたてあげた。逆賊となった珮氏の者たちは皆、並べられて首にされ、道端にさらされることとなった。その数、二百を越えるという。
ほとんどの官職についていた珮氏がいなくなったために官吏全体の総数は減り、残ったものは皆大臣桐に従う他なかった。乱が起きたときの王宮の傷も癒えぬ血なまぐさい堂で、早速吟の立太子の儀式が行われた。今度は冬葵のときのように邪魔者は入らなかった。
吟は太子となると、すぐさま王のように振る舞い、政に口を出すようになった。祖父の桐と協力し、手始めにまず行ったのが、徹底的な不穏分子の洗い出しだった。不穏分子の洗い出しは元珮氏側についていた位階の低い官吏たち、そして地方豪族や一般庶民にまで及んだ。
そんな中、遠縁の寺を頼って都から落ちのびようとしていた冬葵と雅葵の二人が変死したという報せが届く。吟にとっては寝耳に水のような話だったが、首になった二人の姿を見てこれでもはや自らの玉座をおびやかす存在はいなくなったと笑ったという。
吟の戴冠式は、喬と同じかそれ以上に豪華なものとして来月行われる予定だった。喬のときのようなことが無ければ、の話だったが。
毎日のように行われる宴を思い浮かべ、吟は自室で酒を口にしていた。今日は王家が召抱えている劇団がやってきた日でもあったから、ああいうものもまんざら悪くないものだといいながら従者と話をしていた。
そんな中、突然従者が立ち上がった。妙な物音が外から聞こえてきたのである。不穏分子狩りなどで物騒な近頃、警戒するにこしたことは無い。従者は吟を一人置いて刀を腰に帯びて外へと出て行った。吟はそのままゆるゆると酒を飲み続ける。
ふと戸口に人の気配を感じ、従者が戻ったかと思うと、そこには叶が立っていた。ほろ酔い気分になりながらも、それが何だかいつかの妙な光景と重なるような気がして、吟は眉をひそめる。
叶は南国産の酒を手にしていた。満面の笑みで差し出すところを見ると、祝いのつもりなのだろう。
――そういえばこいつまだ喋れないのか。
あらためて認識すると、吟はにっこり笑って叶の頭を撫でた。
「お前のこと、すっかり忘れてたなあ」
叶は返事をしない。ただ黙って瑠璃の杯に酒を注いでくるだけだ。
「俺が国王になったら、お前にもいい思いをさせてやらないとなあ。思えば身内以外でここまで俺の味方をしてくれる人間なんていなかったものな」
続けて喬を殺したのは俺なのに、というとぴくりと叶が震えた気がした。
勧められるままに吟は杯の中身を飲み干す。南国産の独特の甘酸っぱいような香がした。と同時に、手足のしびれるような感覚を覚え、吟はどっと床に倒れた。倒れた先に、光る銀の刃が見える。声を出そうにも出せなかった。
「――やっとお前を殺せる」
驚いて目だけを動かすと、本当に嬉しそうに叶が笑みを浮かべていた。
右手の銀の刃がすうと振り上げられる。
叶の笑い声だけが妙に響いた。
こうして、吟のために用意された戴冠式は叶のためのものとなった。
戴冠式の叶のそばには蔚木と、病床だったはずの茘枝がおり、珮氏の者はもとより、藍氏の者たちの姿すら見えなかった。
声の戻った叶の戴冠式は若年とはいえ賞賛するに値するものであった。何よりも彼がその場で下した勅令――任官は以後位階に因らず公正なる試験を以って行うこと――は画期的であり、事実上今までの貴族制度の撲滅を意味した。後日彼は位階によって貴族たちが得た土地を一時的に国有化し再分配する法なども整備している。
ただ、五人の兄を持ちながらその全てが年若くして死を迎え、その事によって王位を継承したことは多くのものたちの不信を買っていた。叶が玉座を手に入れるために五人の兄を殺したのだと言うものもあれば、もともと叶には悪魔か悪霊が祟っていたのだろうというものもある。――巫女の榊の予言は本当のこととなった。
「――悪魔だの悪霊だの言われていたのでは、天下統一すら危ういだろうよ。お前はその点に関しては無策なのか」
たった一人の大臣茘枝と蔚木しかいない場で半ばはき捨てるように叶は言った。声が戻ってからというもの、頭は切れるが口が悪い。まだ十四と若年だから仕方がないとは思いつつも頭が切れるだけに部下に対する態度には時折蔚木ですら腹が立つ。
「策はございます。神官たちに神意をうかがわせ、叶様が天下の王たるべきという神勅を受けたことになされば……」
「馬鹿者。それでは我が国内でしか通用しない。もっと広く、天下で信じられているような……」
言いながら叶はしばらく考えていたが、小さく「そうか」と呟いて笑みを浮かべた。あまりに嬉しそうに笑うので、蔚木が呆然としていると叶はまだあどけなさの残る顔でこう言った。
「いいことを思いついた。ごく少数でいい。遠征の準備をしてくれ。それから浅葱の地理に詳しい人物を探してくれ」
「――浅葱、でございますか」
「うん。これが成功すればもう余計な心配はいらなくなる。後はお前の手腕が問われるだけだ」
「は」
満足して、うきうきと嬉しそうに部屋を出て行く姿は子供のようだったが、蔚木にはこの若い国王がとてつもない化け物のように思えていた。
――もしかしたら、自分はとんでもないものを玉座につけてしまったのではないか。
本当にそれが国にとって正しい選択だったのか否か、自分にそれを命じた前国王にすらわかりかねることだったのかもしれない。皆に望まれた王子、喬が死亡してしまったことにより全ての歯車が狂ってしまったのだから。
この時空は大きく傾き、多くの星たちが動き始めていた。
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