| 五章
王宮は未だに後継者争いでもめていた。
二年前に皇后が亡くなった後、珮氏の菖蒲が後宮の実権を握るようになり、後継者争いは冬葵があきらかに優勢のように思えた。あのまま事が進めば、間違いなく王位を継ぐのは冬葵になっていたはずだが、事態はそう簡単にはいかなかった。
金蘭も加わった南部への遠征。その戦いにおいて、王子としてはおよそあり得ぬほど吟は目覚しい活躍をみせた。
その後この二年の間に二回の大遠征が行われたが、いずれにも吟は将軍として参戦し、京華の勝利に大いに貢献した。その功績が高く国王に評価されるばかりか、一部の軍人たちの信頼まで寄せられるようになった。
冬葵王子が王位を継ぐくらいなら、吟王子のほうがいい。
世の中の意見は、冬葵と珮氏につく貴族側と、吟と藍氏につく軍人たちとに真っ二つに分かれた。元の拮抗した状態に戻ったのである。
これに冬葵は焦った。ほぼ勝利を勝ち取ったものと思っていたところ、全てが元に戻ったのだ。その上国王は一向に王位を譲ろうとしない。
こうなると、是が非でも喬殺害に関する叶の発言が必要だった。この拮抗状態を崩して一日も早く王位を継承するには他に方法がない。幸い、行方不明となった叶の足取りを探すのには国王も協力的だったので、冬葵は珮氏の金と権力を以って叶探しに全力を挙げた。
墓参りに行ったまま戻ってこなかったと叶付きの女房、棗は言った。けれども状況と時期が時期だっただけに、ただ単に行方不明になっただけとは冬葵には到底思えなかった。叶は王宮から逃げたのである。それ以外に理由などあるわけがない。
棗の息子の風眞も共に行方不明になっていることから、冬葵は棗を疑った。公には事情を聞いていることにして、冬葵は時に棗を拷問にかけるような真似さえした。
それでも、棗は口を割らなかった。
そんな中、ついには棗が死亡してしまう。冬葵及び珮氏は、彼女を誘拐犯に仕立て上げ、処罰したことにした。
その後事情を知っている人間を探すのに二年という歳月がかかった。最終的には、王宮に仕えている下働きの男の一人が事情を知っているのをつきとめることができた。叶が行方不明になった日に車を出したという。
男の覚えている話から推測してしらみつぶしに辺りの山の草庵を訪ねて回り、やっと叶を連れ戻すことができた。
――これで長かった勝負に決着をつけることができる。
未だに叶の声が戻っていないことを知って冬葵は激しく怒ったが、ここまで来れば証言の際の慣例を捻じ曲げてでも叶に証言させるくらいの決意は固めている。何としても早く決着をつけなければならないのだ。
叶の帰還を国王は非常に喜び、自ら城門まで叶を迎えに行った。
「大事ないか」
叶は国王の問いかけにうなずくことしかできない。
「少し、大きくなったな」
国王にそう言われた冬葵には、少しだけ笑みを見せた。国王は後継者争いへの心労のためか、少しやつれたようだった。たった二年の間に十歳も老け込んだように見える。叶と並ぶと、とても親と子には見えなかった。
その場で国王は「早めに元服式を執り行おう」と叶に言った。元服式を終えるということはすなわち王位継承者の候補となるということだったが、そのことについて誰も文句は言わなかった。そもそも彼らは叶が王位継承者の候補として争いに加わるなどとは考えていない。
――叶は長く生きられないから、早いうちに元服させてやろう。
国王が早めの元服をさせようとしたのはその程度の意味合いし叶と、誰もがそう思っていた。
老婆の家で伸び伸びと二年過ごしたせいもあり、成長した叶の元服式はそれなりに見栄えのするものであった。型どおりの儀式を無事に終え、叶は王子たちの住まう東の殿舎に部屋を与えられた。風眞は誘拐犯という母親を持ちながらも何とか叶付きの使用人という地位を勝ち取ることができた。叶が強く国王に要望したためである。
東の殿舎には、吟や冬葵そして雅葵がすでに住んでいた。以前のようなことがあるかと風眞は警戒したが、管理や警備が必要以上に行き届いているこの場所ではそんなことは起こりえないようだった。それでも何かが起こるのではないかと、風眞の不安は日に日に増していた。
人の多い場所に移り住んだせいか、または随分と時が経ったせいか、蔚木がどこで何をしているのかもわからない。叶は次の国王が決まるその日まで、その場所で暮らすことだけが決められていた。
ある日、風眞は叶に薬を取ってくるように頼まれた。食欲が無いという。確かに食事の量は多くなかったが、珍しいことでもないので風眞は気にしなかった。叶が自ら薬が欲しいと言うからにはよほど症状がひどかったのだろうと思い、風眞は気づかなかったことを叶に謝りながら殿舎を出た。
暦の上では春が訪れている時期で、庭では梅の花のつぼみがぽつぽつと咲き始めている。その横を小走りにかけながら、薬をもらって風眞が帰ってきたときだった。
まだ殿舎までは程遠いというのに、東から異臭が漂ってきた。何かがこげる臭い。殿舎に近づくたびに煙の臭いが濃くなってくる。
見ると、殿舎のあたりから煙が立ち昇っていた。
――まさか。
焦って走りよると、強烈な炎が目に入る。殿舎の周りは逃げ惑う人と、消火しようとする人でごった返していた。王宮の中で火事が起こるなど前代未聞である。
――叶様は。
そう思って見回したが、燃えているの周りには見当たらない。雅葵が腰を抜かして側近に助けられているのと、冬葵が唖然としたように見ているだけで、叶はその傍にはいないようだった。
「すみません」
消火しようとしている人間に声をかける。
「中にはもう人はいないのでしょうか。王子は無事なのでしょうか」
「ああ、もう誰もいないよ。吟王子はどこかへ出かけられているし、雅葵王子で最後だった」
「叶様は・・・・・・?」
「さあな。とにかく、中にはいなかったよ」
そう言われて安堵したものの、姿が見えなくては不安が募る。風眞は辺りを走り回って探した。
炎はいよいよ燃え上がり、殿舎は完全に火につつまれた。東の殿舎は孤立していて、周りの建物とは切り離されているため、他へ燃え移ることはなかったが、もはや全焼はまぬがれない。王子たちが全員無事だったことのほうが奇跡である。
風眞は殿舎より南の、池の作られている庭の梅の木の下に叶が座り込んでいるのを見つけた。叶は殿舎の炎を見つめながらぼんやりとしている。
「叶様。ご無事でしたか」
こくん、と頭が縦に振られた。
「申し訳ありません。こんな時にお傍を離れてしまって」
横に頭が振られる。ぼんやりと炎を見つめながら、叶は口を開いた。
――義兄さまたちは?
「全員ご無事のようです。こんな大変な火事なのに、奇跡ですね」
風眞が言うと、叶は大きくため息をついた。
――そうか、生きてるのか。
「え?」
風眞は、自分が叶の口の動きを読み違えたかと思って聞き返した。叶は変わらぬ表情で炎を見つめている。
――ぼくがやったのは絶対にばれないよ。
またも読み違えたかと思う。風眞は背筋が震え上がるのを感じた。まさか、叶がこの火事を起こしたというのか。
どんなことが起きても、王宮の建物に火をかけるような真似は簡単にできるものではない。単に火事といえども多くの人間が犠牲になることがわかっているからだ。
それも、「ばれない」とは。風眞に用事を言いつけるのも、全部前もって計画したというのだろうか。同じ殿舎に住まう義理の兄たちに復讐をするために?
風眞はめまいがした。いかに今までひどい目に遭わされてきたとはいえ、仕返しの手法が問題だ。以前の叶ならこんな真似をするような子供ではなかったはずだ。あの悲惨な日々が叶をそう変えてしまったとでも言うのか。
――喬兄さまは簡単に死んでしまったのに、他は随分ついているんだね。神様は一体誰の味方なんだろう。
目をそらして、風眞は叶の口が動くのを見ないようにする。それでも、一瞬目に入った言葉に我を疑った。
――みんな死んでしまえ珮いのに。
翌日から、火事の原因についての調査が始まった。王子たちの住まいは一時的に後宮の一部へ移され、そこで火事についての事情聴取を受けていた。
叶はといえば、具合が悪いということで寝所から起きてくる様子もない。訪ねてきた官吏もあきらめて帰っていった。
そうしているうちに、やがて事件は思わぬ方向へ転ぶ。
火事の原因は放火、それも亡くなった皇后の兄、磨波羅による犯行と発表されたのだ。どこをどのように調査したのかはわからないが、?氏を確実に亡きものにしたい藍氏か珮氏の陰謀によるものだということは明らかだった。そうでなければ大臣の磨波羅が東宮に放火する理由などない。
しかし一度決定された事実は覆ることはなく、磨波羅は重罪人として処刑されることが決定した。これには叶もかなり驚いた様子で、あまり関係のない人間を巻き込んでしまったことに多少なりとも落ち込んでいるようだった。
後宮の中に仮に設けられた住まいに、久しぶりに訪ねてきた男があった。金蘭である。
以前訪ねてきていた頃は寝こんでいてほとんど面識のなかった叶は、金蘭の厳つい容姿を見て少しおびえるような風情を見せた。しかしそれもつかの間、心底金蘭の来訪を喜んでいる風眞を見て、叶も心を開いたようだった。
「とにかく、ご無事でよかった。お戻りになられたと聞いたときはすぐにでも馳せ参じようと思っていたが、まさか火事などが起こるとは」
生真面目な性格はそのままのようである。二年前の冬葵と着ている制服が違い、上質のものになっていた。戦で何らかの戦功をあげ、昇進したものと思われる。
真っ先に風眞は蔚木の消息を尋ねた。彼は今何をしているのか。
「蔚木殿は息災でいらっしゃる。随分と叶殿や風眞殿のことを心配されていたようだが、この二年は南国を落とすのに忙しくされておった」
「戦は、どのようになっているのですか」
「蔚木殿の策や吟王子率いる軍の活躍により、南部を平定することができました。この二年の間に三度も大きな戦がありましてな」
「金蘭殿も活躍なされたのでしょうね」
「恥ずかしながら」
金蘭は大きな口を開けて笑った。
「ところで、此度の叶殿の元服、まことにめでたいことでござるな」
「ありがとうございます」
「これで叶殿も立派に、王位継承者争いの土俵にあがれるわけですな」
はた、と風眞は気づいた。二年前に蔚木が言っていた、二年後に元服を、という言葉がはからずしも現実のものとなっている。元服が無事済め珮よいよ動き出すと蔚木は言っていなかったか。
「――蔚木殿は、今は……」
「いよいよ蔚木殿の策が実行に移されるようです。火事やら磨波羅殿の処刑など予想外の出来事が起きているため、計画は少し先延ばしになるようだが、必ず」
「お会いすることは」
「今は直接お話をされるべきときではない。言伝なら某にお任せあれ」
どん、と金蘭が大きな胸を叩く。これ以上に無いほど心強い味方である。
「叶様、蔚木様にお伝えされることは」
――手紙を。
振り返ると、叶が唇だけでそう言いながら手紙を差し出すのが見えた。
渡しながら、叶は金蘭にこう言った。その厳しく真剣な表情に風眞が驚く。こんな表情をする人間だっただろうか。大体その手紙はいつしたためたのだろう。
――絶対に、蔚木以外には見せるな。
叶の表情だけで金蘭は意味を悟ったようで、神妙にうなずいた。
その手紙に何が書かれているのか、風眞には知るすべもない。だが、気になって仕方がない。この間の元服式から、いや王宮に再び戻ってから、叶の何かが変わったような気がした。昔は、こんなに厳しい表情をする人間ではなかった。何よりも、叶が考えていることで風眞が知らないことなど何一つ無かったはずだった。元服して、大人になったからだろうか。
――何がどう変わったとしても、二年前のあのふさぎこんだ様子に比べれば。
風眞は、この間の火事の件についても、今回の手紙の件についても深く詮索しないようにしようと心の中で決めた。
東の殿舎の放火犯として、磨波羅が処刑された。磨波羅は亡桔梗を王位につけることがもはや不可能なため、腹いせに四人の王子を殺害しようと目論んだのだと噂されている。国王は最後まで処刑以外の罰を下すように命じていたが、被害者となった王子たちそしてその後についている珮氏や藍氏の反対にあい、結局処刑せざるを得なくなった。前代未聞の事件の犯人となった磨波羅の首は、それから何週間もの間さらされ続け、庶民の話題の種となった。
その頃から叶は金蘭を供につれて吟のところへ通うようになった。はじめ風眞は金蘭と何処へ出かけているのか知らなかった。あの吟を訪ねてどうしようというのだろう。屈強な金蘭を連れているからあえて風眞は気に留めないようにしていたが内心は気が気でない。
ある日こっそり後をつけていくと、叶は吟と共に金蘭を連れて兵馬の訓練場に出かけていた。その訓練場の兵馬は吟の直属の部隊であるようで、その訓練を高台から眺めながら吟は得意そうに叶に兵法を説いていた。吟の部隊は風眞の目から見てもよく訓練されている精鋭であるように思える。
――これだけの部隊を率いることができる将なら、その気になれば珮氏を殲滅することも可能なはず。
きっと先にそのことに気づいた蔚木が、吟とうまく結ぶよう、叶に助言したのだろうと風眞は思った。
それにしても、本当に蔚木の「策」というものはあてになるのだろうか。そもそも吟、冬葵、そして雅葵という三人の王子たちを差し置いて叶が国王になることなど可能なのだろうか。たとえ玉座を手に入れたとしても、本当にそれが叶が本当に幸せになれるかということが風眞にとっては一番不安な部分だった。実のところ冬葵や吟が王になったほうが、叶にとっては安定した幸福が得られるのではないかと思うことのほうが多い。
――それでも、叶が望んでいるのであれば。
王子たちの殿舎が全焼したことにより、各王子に与えられた部屋は以前よりも狭いものとなった。後宮の殿舎を間借りしているため、自然と四人の王子全員がひとつの小さな殿舎に暮らすことになる。だから叶が吟のところへ通っていることも筒抜けだし、風眞にも他の王子の暮らしの様子が手に取るようにわかった。
叶のすぐ隣の部屋は雅葵の部屋である。毎夜のように雅葵が楽隊を呼んで宴を催したり、どこか女のもとへ通っていることも当然知っていた。しかしそれよりも、毎日のように訪ねてくる母親皋のほうが風眞には異様に思えた。皋は必ず雅葵だけでなく、姉の息子冬葵も訪ねてから帰る。皇后となった菖蒲のかわりに一族の中の情報のやり取りを彼女が担っているのだ。時折聞こえてくる高らかな笑い声を聞くたび、今も様々な謀略が宮中を駆け巡っているのだと思わされる。ゆえに、風眞はその部屋の前を通るのがあまり好きではなかった。
近頃、妙に冬葵たち珮氏の一族が叶のことを気にかけているのも気味が悪い。風眞が部屋の前を通るたびに誰かが声をかけるのだ。それは何かしら叶を利用しようとしている前触れにも見えた。
「叶は元気かい」
薬をもらいにいった帰り、池の前の廊下で風眞は声をかけられた。声の主は欄干に背をもたせ、竜笛を手にした雅葵である。この二年で急にすらりと背が伸びて涼やかな面など少しばかり冬葵に似てきた。冬葵に似ているということはすなわち亡桔梗の面影にも似ているということで、風眞はこの王子に会うのがとても嫌だった。冬葵の禍々しいわけでなく人懐こいその姿はどうしても喬を思い出さざるをえない。けれどもあの破天荒な性格は相変わらずで、喬とかけ離れているその振る舞いが余計に腹立たしく感じられた。
「……薬をもらって帰ってきた人間にそんなことを聞くのもおかしいか」
くすくすとおかしそうに雅葵は笑った。
「ところで、叶は最近吟のところへ何をしにいっているんだい?」
「存じ上げません」
そう言って去ろうとした風眞の腕を雅葵は引きとめた。
「まあまあ、たまにはぼくのところでゆっくりしていきなよ。酒くらい出すからさ」
風眞が睨みつけると、雅葵は目じりを下げて笑った。
「酒が嫌なら菓子でも出そうか。隣人同士、たまにはゆっくり話すことも大切だからね」
否も応もなしに風眞は雅葵の部屋へ引きずり込まれた。
中へ入るとすでにひとりの若い女官が肴と酒を用意して座していた。戸口に大柄な従者の男が立っているところを見るとすでに入念に計画されていたことなのだろう。
「まあ、悪くするつもりはないからくつろいでくれよ。第一、君の母の棗はぼくの母上に仕えていたんだろ? 本来ならば君はぼくの従者であってもおかしくはなかったんだから」
母親の話をされて風眞は硬直した。王宮に戻って以降、棗の話をする人間など存在しなかった。棗は王子の誘拐をたく藍だ重罪人。この王子が今更母親の話を出すとは。嫌な予感がした。
「率直にいうとね、ぼくは叶のことをよく知りたいんだ。別に知ってどうこうしようってわけじゃないよ。ただほら、彼は何を考えているかわからないところがあるだろう。君ならよくわかっていると思うから」
「……私にもわかりかねる時が往々にしてございます」
「まさか」
さもありえないというように雅葵は笑った。
「だって君は叶とは兄弟のようなものなんだろう。このぼくに仕えたほうがいいっていう母上の助言も断ったそうじゃないか」
風眞は目をそらした。
「そんな昔のことは別にどうでもいいんだけどね。ねえ、叶は冬葵兄さまのことを恨んでいると思う?」
雅葵が風眞の顔を覗き込む。風眞は顔を横に向けた。
「昔のことは兄さまも反省しているんだよ。でも、ちっとも叶は兄さまを寄せ付けないそうじゃないか。それどころか吟のやつなんかと会ってるなんて」
「存じあげません」
風眞は首を横に振った。確かに叶は吟に会いに行ってはいるが、その真意のほどは風眞ですら確かでない。おそらく蔚木の策の一部ではあるかと思われるが、この場で蔚木の名など露ほども出すわけにはいかなかった。
「叶はどうしたら兄さまを許してくれると思う?」
「さあ……」
近頃の叶の様子を見るに、今更許す許さないの問題ではないのだろう。蔚木の策の成就それすなわち他の王子の追放もしくは死を意味する。先日の放火事件を考えると、追放よりも死を望んでいるのではないかとすら思えた。
それでも今更なぜ叶の機嫌をとろうなどと考えるのか。風眞は遠まわしに聞いてみることにした。
「叶様と仲直りがしたいとおっしゃっているのですか」
「そう、そうなんだよ。あのときはああして乱暴なことをすれば叶がちゃんと喋れるようになると兄さまは思いこんでいたんだ。でも、今は叶が喋れなくても公の場で発言できるよう、今兄さまもお爺さまも法を改正しようとがんばっているんだ」
「そうですか」
雅葵の祖父といえば大臣をつとめ、貴族としては破格の位階まで昇りつめた永彌である。国王とすら並ぶ権力を持つその位は、死後その功績を称えられて送られるくらいのもので、現役である大臣に与えられるというのは永彌がはじめてだった。
「――声がでなくても公の場で発言できるようになれば叶も官吏になれるだろうし、それに叶だって本当は喬兄さまの事件について、事実を話したいんだろう?」
そういうことか、と思った。要は喬殺害の事件について叶に証言させ、冬葵の王位継承を確実なものとしようというわけである。
「叶には今まで兄さまもつらくあたったりしたから反省しているんだ。兄さまが国王になられた冬葵は、叶にだってそれ相応の身分と官位を与えてくださるはずだよ」
遠まわしに冬葵の王位継承に協力しろと言っている。けれどそれを風眞に言って何としようというのか。風眞は小さくため息をついた。
「そういえば、叶が元服の冬葵の添臥は一応ぼくの従姉にあたるかと思うけれど、その後親交は?」
「え」
初耳だった。
王子の元服の際の添臥はそれなりの身分の貴族の娘と決まっている。添臥のほとんどがその後正室となることが多いが、叶がその後連絡を取っている様子はない。しかしそれがまさか珮氏の娘だったとは。
「叶が従姉と結婚すればぼくらは同じ一族となるわけだけど、母さまから聞いたところによると、叶からは全く音沙汰ないとか。そりが合わなかったのかな。――君に聞けばわかるかと思ったんだけど」
雅葵は真っ黒な目で覗き込んでくる。風眞は返答に困った。叶とその娘の関係を特に詮索する気はさらさらなかったし、まさかそんなことを聞いてくる輩がいるとも思わない。かろうじて風眞はこう言逃れようとした。
「――次王がお決まりになられたら、おそらく叶様は出家なさるおつもりなのでしょう」
「ふうん」
雅葵は不満そうな、納得い叶表情をした。
「君もそれでいいと思ってんの」
「は?」
「だから、叶が出家したらそれに仕えている君の一族はどうなるんだ」
「――」
「君の母親が叶の乳母に抜擢されたからただの地方豪族の身分だったのが昇格したけれど、結局は君の母親が誘拐騒動を起こしたせいで君の一族は昇殿できなくなったんじゃなかったっけ。まあ、君は例外だけど」
「――そうですが」
「叶が出家すれば、君も君の一族も、落ちぶれていくほ叶んだよ」
風眞は下を向いた。
「一族のことだけじゃない。叶の未来を一番案じているのは君じゃないの?」
痛いところをつかれ、風眞は俯くしかできなかった。
蔚木の策が成って叶が王になれ珮い。叶が望んでいるのなら。しかし、それはいちかばちかだ。失敗すれば間違いなく叶の首は落ちる。風眞はどうしても不安でならなかった。できることなら平穏無事に過ごしてほしい。今までが波乱万丈すぎたから余計だった。
「ぼくら一族と誼を結べ珮い。従姉が気に入らないなら別の娘を紹介しよう。そうすれば叶の将来は安泰。その代わり叶は正直に喬兄さま殺しの犯人を証言してほしい。そうすれば、あとは兄さまとお爺さまがいいようにしてくれる。君にだって、君の一族にだっていいようになるはずだよ」
雅葵はたくみに風眞を口説き落とそうとした。風眞の頭の中で様々な考えが駆け巡る。蔚木の言ったように国の行く末も大切なことだったが、風眞にとっては何よりも叶の平和な生活が優先された。
「君からよく叶を説得してほしいんだ。叶の将来のために」
母親が誘拐犯とされてしまった以上、今更一族に対しての申し訳などどうにもならないと諦めていた。それでも今まで散々辛酸をなめてきた叶には幸せになってほしい。医師の言った残り少ない寿命が尽きるまででも。
「君なら、できると思って頼んでいるんだ」
そう言って雅葵は風眞の手を両手で握った。風眞の視線が揺らぐ。
「頼む」
風眞がふと我に返ったときには、首を縦に振っていた。
国王が病床に臥したのはそれから間もなくのことだった。御歳六十歳となる国王はその生の終焉を迎えようとしていた。
当然のことながら臣たちは皆後継者の選定を迫る。国王はそれを半ば払いのけるようにしてひとつの勅命を下した。
――?氏磨波羅が弟茘枝を以って大臣と為す。
突然の勅命。茘枝はまだ三十半ばという若さである。大臣に抜擢されたことにより位階も突如三つ飛ばしに昇った。異例中の異例である。これには珮氏の長者であり国王と同等の権限をもつ大臣永彌、そして同じく藍氏の大臣の桐の二人が猛反対した。しかし国王は二人の大臣のどんな奏上にも耳を貸さず、病床にあるからと面会すら謝絶した。国王は茘枝のみ傍へ呼び、茘枝を通して政を行うような始末である。
二人の大臣、永彌と桐の国王に対しての怒りは筆舌しがたいものであった。特に国王と同等の権力を持つ永彌は、自分に断りもなく国王が勅を発したことは珮氏一族を軽んじられたことと同義だと憤懣やるかたがなかった。
「おのれ、かくなる上は何としても我が孫冬葵を国王にしてみせる」
白い眉に怒りをこめて、永彌は冬葵を伴い国王の寝所へ参じた。
「冬葵王子がお見舞いに来られています」
そう取り次がれては国王も無下に断ることもできない。永彌と冬葵の二人は御簾の前に伏して国王に拝謁した。
「父上。その後お加減はいかがでしょう」
「うむ」
御簾の向こうに横たわった陰から発せられる声には以前のような張りはなかった。
「聞くところによると侍医の薬もお召しにならないとか。私も母も、そして弟も心配しております。何卒お体をご自愛いただきますよう」
それに対する国王の返答はなかった。かわりに、かすれるような声で問われた。
「……今日の目的は」
冬葵と永彌は顔を見合わせた。目的は無論ひとつし叶。永彌は真っ白なあごひげをひと撫でした。
「恐れながら率直に申し上げますと、二年間には行われるはずであった立太子の儀について、そろそろご決断を願いたく。先ごろの茘枝殿の勅授および大臣任命の件もございましたし、諸官の間では混乱が起きております。この上は一刻も早く後継者をお選びいただき、官や民にお考えをお示しいただきますようお願い申し上げます」
御簾の向こうから力ないため息が聞こえてきた。
「……慣例に従えば吟を太子として立てるのが筋だが、そちは冬葵が王にふさわしいと言う。しかし大臣の桐は吟がふさわしいと言い、百官の意見も真っ二つに分かれておる」
「冬葵王子こそ次王にふさわしいという理由につきましては……」
「もうよい。この二年、飽くほどに双方の意見を聞いた」
「それでは、疾くご決定を」
国王はしばらく沈黙した。
「余がどのような決定を下そうが、争いが起こるのは避けられぬ。余生残り少ないが、我が国にとって最も有益な決定を下すために時間の限り吟味したい」
「――なるほど」
永彌が神妙にうなずく。次の瞬間彼は面を伏して奏した。
「王のご決断とあらばすべて従う意思でございますが、ご決断の前には何卒小官にご相談くださいますよう。諸官の混乱を最小限に抑えるのも小官の務めでございますので」
茘枝の大臣抜擢のように突然勅命がくだってはかなわない。永彌は面を伏したまま国王の返答を待った。
御簾の向こうから聞こえてきたかすれた返事は、このようなものだった。
「――最後の決断は全て大臣茘枝に申し付ける。諸官の意識がひとつになるよう、そちも尽力してくれ」
永彌は歯軋りした。
これで穏便に事を済ますのはほぼ不可能になった。自分ではなく茘枝に最終決断を申し付けると宣言したからには八割がた、珮氏によい方向に転ぶことはないだろう。国王の死が間近になった今、二年前の喬殺害事件の証言を得て藍氏を落としいれようという策もほぼ実現不可能となってしまった。叶の声が戻らないため、公的な発言の慣習を変えようとするも難航し、国王の死までにその策が成就するという保障がない。
永彌は搾り出すような声で一言、「――畏まりました」と言い、その場を去った。
妃、王子、姫などの国王の身内の人間はみな順番に国王の見舞いに訪れた。同時に国王が何故か医師の調合した薬を飲まないという噂も流れ、人々は口々に国王に薬を飲むように諫めた。
珮氏にいたっては神官に命じて国王の病を払う儀式を行い、全国にふれを出して名医を呼ぶなど国王の回復に熱心に努めた。しかしその心中が本当に国王の回復を望んでいるかについては宮中の全ての人間が疑問を持っている。
国王が病気に倒れた後、風眞は雅葵に病床の国王を見舞い、喬の死について叶が知っていること全てを伝えるよう頼まれていた。
「もはや父さまの前に諸官を集めて叶の発言を公に取り扱うなど不可能になってしまったからね。父さまに最後、正しい決断をくだしていただくためにも、本当のことを伝えるのは筋だろう?」
同じ内容を書物を読んでいた叶に告げる。叶はしばらく書物から目を離さなかったが、顔をあげるとこう言った。いや、正確には唇だけ動かした。
――今更そんなことをしても、意味がない。
「でも」
口を開いてからはっとした。叶に意見しようとしている。一瞬、叶の表情が堅くなったのがわかった。それでもいわないわけにはい叶。
「――国王が病床に臥してしまった今、誰が太子として立つのか、近いうちにご決断がくだるでしょう。もはや蔚木様の策の成就も難しくなってしまったのではないのですか。時期を間違えば叶様が大逆の罪を問われることにもなりかねません」
叶は硬い表情のまま、風眞の次の言葉を待った。
「お考えをあらためてくださいませ。喬様を殺した吟王子が王位を継承されるよりも珮氏の冬葵王子が王位を継いだほうが泉下の喬様も喜ばれましょう。冬葵王子が王位をお継ぎになられれば、叶様の将来も安定したものなると。……先頃の珮氏の娘を妻としてお迎えになれば」
――珮氏の娘などいらぬ。
言い切ったあと、叶は風眞に問いかけた。
――お前、兄さまを殺したのが吟だと、誰かに話したのか。
風眞が首を横に振ると、いくらか叶は表情を緩めた。
――冬葵も吟も、王になることはないよ。
自信たっぷりに叶は笑みを見せた。その雰囲気がいくらか冬葵に似ているように思えて、風眞は眉をひそめた。
――そしてぼくが謀反人になることもない。
風眞を安心させようと断言してみせたのかもしれないが、その笑みが逆に不安をかきたてるように思えた。無謀な命によって敵軍へ切り込んでいく将のような――そんな後先を考えない人間の浮かべる笑みのように見える。
風眞は首をふって、なだめようとした。
「なぜそんな風に言い切れるのですか。近頃の叶様のお考え、私にはわかりかねることが多すぎます」
く、と右の唇の端を上にあげて叶が笑った。
――ぼくが牢にいた冬葵、お前が吟の名を告げていれば、こんなことにはならずに珮氏の天下になっていただろうよ。お前の言うような安定した生活をしていたかもしれない。
言われて、風眞は愕然とした。
叶が声を失い、牢にいれられていたとき、かわりに証言台に立たされたのは風眞だった。そのとき彼は喬を殺した犯人の名を言うことができなかった。
大勢の官吏や国王、そして吟を含む王子たちを目の前に、十歳の子供の膝はふるえるばかりで、口を開くことすらままならなかった。頭の中では叶の無罪だけは証明しなければという言葉が反芻されて、それでも喉に何かつまったようにまともに声が出てこない。
「そなたは、喬王子が殺された現場にいたか。その者の顔は見たか」
官吏に問われ、あたりを見回すと吟と目が合った。歯がかちかちと鳴る。
「答えよ」
続けて命じられ、風眞はやっとの思いで吟から目をそらし、首を横に振った。
「……み、みて、……いません」
ちらりと吟を見ると、鋭い眼光で睨んでくるのがわかった。
「では再び問う」
官吏が声を大きくした。
「喬王子を殺害したのは、叶王子か」
「……いいえ」
「そのとき、お前はどこにいたか」
「カ、叶様と……廊下に……」
あとは言葉にならなかった。吟が満足げに笑みを浮かべていた。
「お前も叶も喬王子のもとにはおらず、殺害を行った人物も見ていないというわけか」
二回首を縦に振ると、官吏は国王のほうへ向き直り、同じ内容を奏上した。
神官もそばに立っての証言である以上、一度言ったことは事実となり、それは覆ることがない。真実を話さなかったことを風眞は深く後悔したが、あとの祭りだった。それでもその発言がもとで叶は無実の罪をとかれた。風眞は真実を話せなかったことを叶に詫びたが、そのときの叶は許してくれたはずだった。
それを何故、今更。
叶は笑みを浮かべながら風眞の傍へより、肩に手を置いた。
――お前を責めているわけではない。むしろこんな機会をつくってくれたお前に感謝している。
複雑な表情をした風眞が顔をあげると、叶は立ち上がっていた。そのまま何も告げずに外へと出て行った。
手の置かれた肩の辺りが何故だかじんわりと痛む。その部分に自分の手を重ねると、風眞はため息をついた。
叶をあの波乱の底に陥れたのがまさか自分だったとは。牢から出てきた叶に謝ったあの日、自分のせいではないと慰められた。本当は心の底では気づいていた。それでも、何が起ころうとそのときの叶の言葉を繰り返し、自身の責任ではないと思いこもうとした。叶に少しでも幸せになってほしいと思い、尽くしてきた原動力には、そのうしろめたい責任感があったのかもしれない。風眞はひどく自分のしてきたことに落胆した。叶の望んでいる王座よりも珮氏の後ろ盾によって得られる安心した将来を進めるなど、ただの自己満足だっただけのような気がした。
そんな自分に対して発せられた「感謝している」という叶の言葉。風眞は胸が熱くなった。長年仕えてきた主がこんなに心の広い人物だったかと思う。あのひどい年月にこたえることもなく、前向きに考え直すことができるその胆力を思えば、先日のあの放火事件など悪い冗談にしか思えない。こうまで立派な主であれば、その才を信じて王になるを助けるほ叶と思い直す。たとえ策が失敗に終わり首をはねられたとしても、風眞は地獄まで供する覚悟を決めた。
風眞が叶に付き従って国王の見舞いに訪ねると、丁度皇后菖蒲が来ていた。
「――そのように医師に不信ばかりいだいていては、治る病も治らなくなりまする」
声が聞こえた。豪奢な国王の寝台の横に皇后が立っている。おそらく横たわったままなのだろう。天蓋の布に隠れて国王の姿は良く見えなかった。
「薬を飲まないなど手をこまねいて死を待つのと同意。王たるものがそのようなことでどうなさるおつもりですか」
菖蒲は叶に気づくと微笑んでまた王に話しかけた。
「ほら、叶も見舞いにきておりまする。皆王のお体をご案じ申し上げるからこそ、このようにお願いしておるのです。叶もそう思われるじゃろう?」
突然話をふられて、叶はあいまいにうなずいた。王は皇后に支えられてようやく身を起こすと、叶を見て目を細めた。
「皇后よ、少し席をはずしてくれぬか」
皇后は一瞬憮然とした表情を見せ、それからさっさと出て行った。皇后をさげさせるくらいだから後ろにひかえている自分も下がるよう言われるかと風眞は思ったが、国王は何も言わない。かわりに叶に向かって手招きした。
「叶よ、近くへきなさい」
言われるままに近くへ行くと、国王はしわがれた手で叶の手を取った。祖父と孫のようにしか見えない。国王の御髪は雪のように白かった。
「お前には、いろいろ苦労をかけたと思う」
一瞬動きをとめた叶の目から突然涙が零れ落ちたのがわかった。異国の刺繍を施された絨毯にぽとりと音を立ててそれは染みをつくる。
「人払いをしてある。一度しか言わないからよく聞きなさい」
そう言うと王は戸口に控えている風眞にすら聞こえるか聞こえないかというほどに声を落として、言った。
「――亡き兄、喬の意志を継ぎなさい」
叶が顔を上げる。目に涙をためたまま、大きく驚いた顔をしていた。王は笑って叶の頭を骨ばった手で撫でる。
「私はもう長くない。しかしやるべきことはやったつもりだ。私の考えは大臣の茘枝に伝える。彼は喬の叔父にあたる者だ。信頼できる。もしも私が死んだ後、立太子についての発表が大臣の永彌によって行われた場合は軍師の蔚木を頼りなさい。彼のことは知っているであろう」
叶は頷いた。
「それから、蔚木と同様に東の塔にいる榊という巫女を頼っていろいろなことを教えてもらいなさい。彼女は神託を受けて時には未来のことも知ることができる。私も今まで彼女に随分と助けてもらった」
国王はそこで言葉を切って、叶を見つめた。何度も何度も小さい子にするようにその頭を撫でる。
「――すまなかった」
言うと国王は叶の肩を抱いた。叶の背中が震えているように見えた。
たった数分間のできごとである。叶も風眞もひどく長い時間を過ごしたような気分になっていた。今まで国王とまともに話した経験などほとんどない。叶は自分の部屋へ戻ると、突然崩れるように泣き出した。
気の利いた言葉のひとつも思いつ叶風眞は、ただただ叶をなだめることしかできない。泣きながら、叶は訴えかけるように何かを言おうとしていた。
――ぼくの大切な人はどうしてすぐ死んでしまうんだろう。
常葉に始まり、喬に桔梗、棗、そして父である国王。たった数年のうちに遭遇するにはあまりに多い身近な人々の死。母の死以降、気を強く持とうとしている風眞ですら国王の病状には胸が苦しくなるものがあったから叶には相当なものだろう。ましてや彼にとっては本当の意味で最後の肉親である。
――お前は、死ぬな。
そう言おうとしたのだけが、風眞にははっ桐と読み取れた。
「私は、死んだりしません」
言うと叶は顔を伏せて泣いた。
それからまもなくして、国王崩御の報せが届いた。
国王の十日の儀礼の間は国中の民が喪に服し、すべての政、仕事、店などが休みとなる。人々は戸を閉めて外に出ない。死穢に触れることを恐れるためだ。十日過ぎて儀式が終わると穢れは浄化され、すべては元に戻る。それは王宮も同じだった。
十日すぎには王のいない議会が開かれた。決めるべきことは国王の葬儀の日取りや陵墓の建設など山ほどあったが、何よりも官吏たちが注目していたのは国王が亡くなるまで決断が下されなかった太子の名だ。その中で、ひとり大臣の姿が見えなかった。茘枝である。
「――茘枝殿は国王崩御の心痛のあまり倒れられたそうだ。本日も病床から出られぬとご連絡があった」
言ったのは大臣永彌、珮氏の長者であり冬葵の祖父である。その瞬間、官吏たちの間に言い知れぬ緊張感が走った。同列の席に座る大臣の桐が太い眉を上げる。
「どういうことですかな。国王は生前に王位継承についてのお考えは全て茘枝殿に伝えると」
「私のもとへその旨についてはご連絡があった。本日は茘枝殿の代理として、国王のご遺志を……」
「待て」
桐が立ち上がった。重厚そうな顔を赤くし、唇を震わせている。
「茘枝殿の病状についてまず伝えられよ! 本当に外に出られぬほどに状態が悪いのか? この場で国王のご遺志を伝えるのは茘枝殿の役目であったろうが! 以前そなたもそれで納得したはずだ!」
永彌は立ち上がった桐を眺めながらにやりと口元を笑いの形にゆがめた。
「……茘枝殿のご病状についてはご自身で使いでも出して確かめたらよかろう」
桐は目を見開いた。永彌の深い笑みはすでに勝利を確信した笑みだった。
――やられた。
王宮の醜い争いの中で常に頂点に立ち、ありとあらゆる手段で邪魔者を廃してきた珮氏一族。その長者である永彌はその中でも謀略に長け、王宮内のすべての人間関係を把握しそれを動かす力と後ろ盾を持っていた。いつか裏をかかれるのではないか。永彌と対立して戦いながらも桐はいつもそんな不安に駆られていたが、それもこれも今日で終わったのである。目の前が真っ白になった。桐は半ば放心状態で椅子に倒れこむ。
冬葵が国王になれば藍氏一族の未来は終わったも同然である。国王の勅命により官位を剥奪され都を追い出されるだけでなく、場合によってはありもしない罪をなすりつけられて処罰される可能性もある。
議会のその後の話もまったく耳に入ってこない。戴冠式の準備やら、それまでの間はどのように政を進めるかなど議論は盛り上がったが、盛り上がっているのは議会に参加している半分の官吏である。残りの半分は桐と同じように放心していた。
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